ブランド統合後のロゴ ブランド統合前のロゴ |
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本社第一ビル
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| 種類 | 株式会社 | |||||||||
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| 市場情報 | 非上場(以下は過去のデータ)
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| 略称 | サンヨー 三洋 SANYO |
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| 本社所在地 | 〒570-8677 大阪府守口市京阪本通2丁目5番5号 |
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| 設立 | 1950年4月8日 | |||||||||
| 業種 | 電気機器 | |||||||||
| 事業内容 | 電化製品、半導体等の製造・販売・保守・サービス等 | |||||||||
| 代表者 | 佐野精一郎(代表取締役社長) | |||||||||
| 資本金 | 3222億42百万円 | |||||||||
| 売上高 | 連結:1兆5946億円 単独:9112億円 (2010年3月期) |
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| 純資産 | 連結:1295億円 単独:1760億円 (2010年3月末日現在) |
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| 総資産 | 連結:1兆3912億円 単独:1兆78億円 (2010年3月末日現在) |
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| 従業員数 | 連結:104,882名 単独:9,504名 (2010年3月末日現在) |
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| 決算期 | 3月31日 | |||||||||
| 主要株主 | パナソニック(株) 100% (2011年4月1日現在) |
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| 主要子会社 | 三洋電機コンシューマエレクトロニクス(株) 100% | |||||||||
| 関係する人物 | 井植歳男(創業者) | |||||||||
| 外部リンク | 三洋電機株式会社 | |||||||||
三洋電機株式会社(さんようでんき、英: SANYO Electric Co., Ltd.)は、パナソニックグループの日本の電機メーカー。本社は大阪府守口市に所在。
目次 |
松下幸之助の義弟で松下電器産業(現・パナソニック)の創業にもかかわり、同社の専務取締役であった井植歳男が、GHQによる公職追放指定に伴い、1946年(昭和21年)に松下電器を退社。翌年2月1日、松下幸之助より、自転車用発電ランプの製造権と加西市にある松下電工(現・パナソニック電工)北条工場(現在の「イオンモール加西北条」敷地)を譲り受け、個人事業「三洋電機製作所」を創業し、自転車用ランプを製造(当初は松下電器が三洋電機の名前を併記してナショナルブランドで販売[1]。のちに直販化)。松下電器産業の後藤清一も創業時に工場長として参加(後に副社長)。
1950年(昭和25年)、三洋電機株式会社設立。会社のマークに、源流企業の松下電器の「ナショナルマーク」類似の、円形に電気のスパークとサンヨーロゴをデザインしたものを採用。社名は太平洋・大西洋・インド洋を意味し、世界で活躍できる企業になるという意志が込められている。1953年(昭和28年)に開発した噴流式洗濯機が大ヒットし、一躍有名になった。2011年(平成23年)に株式交換によりパナソニックの完全子会社となった。
2004年(平成16年)10月23日発生した新潟県中越地震によって、子会社の新潟三洋電子(現・三洋半導体製造新潟工場)の半導体製造工場が被災、地震保険に未加入であったことから500億円を超える損害がほぼそのまま損失として計上されたほか、デジタルカメラの単価下落などの煽りを受けて、同年度は大幅な減収減益となった(2005年3月決算は1715億円の当期赤字)。
このため2005年(平成17年)6月には、創業以来長らく続けてきた井植一族による同族経営の殻を破り、外部からジャーナリストの野中ともよを社外取締役として招聘した。野中はその後会長・最高経営責任者(CEO)に就任する。しかし2006年(平成18年)2月に野中はCEO兼務を解かれる。
2005年(平成17年)9月28日には、創業地である北條工場(兵庫県加西市)の閉鎖を含む追加再建計画を発表。同年10月22日、共同通信社が「冷蔵庫などの家電から撤退しこれらを生産している工場を閉鎖する」と報道したが、三洋電機側はこの報道を全て否定、「白物家電からの撤退を考えている事実はない」として、当該報道への遺憾の意を表した[9]。しかし同年11月18日に総合家電メーカーから撤退を発表、今後は二次電池・太陽光発電といった自然環境に優しいクリーンエネルギー事業や、携帯電話をはじめとするモバイル関連事業を中心に経営再建を図る見通しとなった。白物家電については完全撤退しないものの、日本国外メーカーとの合弁も視野に入れ、事業は大幅に縮小される見通しであった。
2005年(平成17年)12月9日、再建に向けての重要課題とされる三洋電機クレジットについて、株式の一部を米投資銀行のゴールドマン・サックスに売却すると発表した[10]。また同日不振のテレビ事業においてもアジアメーカーとの提携に向けて協議中であることも明らかにし、2006年(平成18年)3月17日に台湾のクアンタ・コンピュータと提携すると正式に発表。クアンタ・コンピュータと薄型テレビ事業のための合弁会社を設立し、分社化され、三洋ブランドの液晶テレビは新会社から発売されることとなった。
2005年(平成17年)12月21日、再建に向けて三洋電機の資本増強計画についての第三者割り当てによる新株式(優先株式)発行の基本合意が大和証券エスエムビーシープリンシパル・インベストメンツ株式会社(以下「大和証券SMBCPI」)、ゴールドマン・サックス・グループ、及び株式会社三井住友銀行(以下「三井住友銀行」)の中で達したと発表した。この発表では、2006年(平成18年)2月末までに総額3,000億円の優先株式を発行し、大和証券SMBCPI、ゴールドマン・サックス・グループ、及び三井住友銀行がこれを引き受け、このうち大和証券SMBCPI及びゴールドマン・サックス・グループに各1,250億円を、三井住友銀行へは500億円を割り当てる予定[11]とし、2006年(平成18年)1月25日に上記内容を予定通り正式に決定したと発表。2月26日での臨時株主総会にて了承を得た後、3月14日に増資は完了した。尚産業再生法の適用により、増資に伴う税金が一部軽減された。
また同時に人事変更の発表もあり、CEOとCOO、およびCFOは廃止し、9人の取締役のうち5人が今回の引受先の金融機関3社から就任する予定であることを明らかにした。
その後も12月には不具合による携帯電話機向け充電池130万個を回収、翌2007年(平成19年)1月の洗濯乾燥機16万台リコール、さらに2月には不適切な会計処理が問題化するなど、野中のCEO解任後も財務・事業両面で立て続けにトラブルが続いた。
2007年(平成19年)3月19日、3期連続の赤字決算の責任と会計問題を処理する過程で野中が社外取締役を辞し会社を去る。さらに同年4月2日には創業者・井植歳男の孫である井植敏雅[12]が社長を辞して代表権のない取締役に退く。代わって生え抜きの佐野精一郎執行役員総務人事本部長(当時)が社長に就任、同年6月正式に代表取締役となった。その後佐野社長の下で(実質的には大株主である金融機関が主導)、不採算事業や関連性の低い事業の売却や太陽電池等主力事業の強化が行われた。これにより、創業家が経営の一線から退いた。
2007年(平成19年)11月27日、2007年度9月中間連結決算は、人員削減などのリストラ効果もあり、最終損益が159億円の黒字と、中間期では3期ぶりに黒字に転換と発表。また同日に来年度から3年間のマスタープラン「チャレンジ1000」も発表。得意分野である二次電池(充電式電池)や太陽電池、電子部品などの部品事業に設備投資を集中し、特に太陽電池では岐阜事業所(岐阜県安八町)内に薄膜太陽電池の研究開発拠点となる「次世代太陽電池開発センター」を新設。売却を断念した半導体事業も、子会社の三洋半導体に対し3年間で約3700億円を投じる方針。不振の白物家電も「AQUA」など環境に優しい高級商品を中心に継続する方向とした。
2008年(平成20年)1月25日に、同年4月1日付けでグループの組織再編を行い、三洋電機の白物家電事業・車載機器事業および営業・販売部門を三洋電機コンシューマエレクトロニクス(同日付で鳥取三洋電機から社名変更)に移管、鳥取三洋電機のフォトニクス事業を三洋電機に移管することが発表された[13]。
2008年(平成20年)4月に国内の家電量販店に出荷する液晶テレビの生産を中止し、地域系列店だけで販売しているが、優位性のある日本国外市場で事業規模を拡大しておき、競争優位に立てる生産規模になれば、再び国内市場の本格参入もあるとした。テレビ事業は、2006年10月にアメリカの子会社に移管し、アメリカ市場ではウォルマートの販路を活用し、存在感を示している。
2008年(平成20年)11月7日、パナソニックが三洋電機を子会社化することで基本合意したことを発表[14]。この基本合意の時点では、2008年(平成20年)12月を目途に雇用・事業・ブランド等についての大枠で合意した上で、2009年初めに、パナソニックが友好的株式公開買付け(TOB)を実施し、3月末までに子会社化する予定であった。
2008年(平成20年)12月に資本・業務提携契約を締結。2009年(平成21年)3月には過半数の議決権を持つ主要株主(三井住友銀行、大和証券SMBCPI、ゴールドマン・サックス・グループ)がTOB応募でパナソニックと合意したが、両社が二次電池において高いシェアを占める(特にアメリカ合衆国におけるニッケル水素電池のシェアは約8割に達する)ことから、独占禁止(反トラスト)法上の手続が予想以上に長期化した。
2009年(平成21年)6月26日、佐野精一郎社長が株主総会で「本年9月1日より三洋はパナソニックグループの傘下に入る(=パナソニックの子会社となる)」ことを正式発表。同年10月末までにニッケル水素電池部門の一部売却などを条件に世界各地域全ての関係当局から承認が得られたことから、2009年(平成21年)11月4日にパナソニックが三洋に対する友好的TOBの実施、三洋がTOBへの賛同をそれぞれ決議した。TOBは11月5日から12月7日まで行われ、12月8日成立。12月21日にTOB決済とTOBに応募された優先株式の普通株式転換が行われ、パナソニックが全株式の50.27%を取得、当初予定より半年以上遅れて三洋が正式にパナソニックグループに加わった[15]。翌2010年(平成22年)2月1日付でパナソニックから役員を受け入れ[16]、自社のHIT太陽電池をパナソニックにOEM供給し、パナソニック電工が擁する強力な販売網に乗せて販売するなど、パナソニックグループの一員として本格的な連携が始まった。
なお、ブランドビジョンとして「Think GAIA(シンクガイア)」[17]を設けていたが、パナソニックグループ入りしたことに伴って、グループ内における方向性を示す表現が複数存在すること(パナソニックグループは「Panasonic ideas for life」)によるコミュニケーションの混乱を避けるため、2010年(平成22年)4月9日限りでこのブランドビジョンの運用を取りやめた[18]。
2010年(平成22年)5月7日、大坪文雄パナソニック代表取締役社長が、同年3月期パナソニック決算発表記者会見の席上で「三洋の白物家電事業を将来的に統合する」と発表。その後、同年7月28日にパナソニック・パナソニック電工・三洋電機の3社合同でパナソニックグループの抜本的再編を発表した。3社がそれぞれ一定の独立性を持った現状の経営形態では、サムスン電子やLGエレクトロニクスといった急成長を続けるアジア系電機メーカーとの競争を勝ち抜くには不十分で、競争力強化と意思決定の迅速化を図るには、経営統合・細かく重複の多い既存事業の大胆な整理集約といった抜本的な再編が必要であるとパナソニック側から電工・三洋両社に打診し合意した。
まずパナソニックが2010年(平成22年)8月23日から10月6日まで友好的TOBを実施。TOBは10月7日に成立して10月14日付で決済が行われ、パナソニックは三洋の全株式の80.98%を取得した。TOBに応募されなかった株式は株式交換によって取得、三洋は翌2011年(平成23年)3月29日に上場廃止となり、同年4月1日付でパナソニックの完全子会社となった。続いて2012年(平成24年)1月までにパナソニックグループ全体で「コンシューマ」「デバイス」「ソリューション」の3事業分野を核とする事業再編を実施、三洋の強み(太陽電池・蓄電池などのエナジーシステム)は主に「デバイス」事業で活用される見込み。
そして、事業再編が実施される2011年度中に「SANYO」ブランドを原則廃止し「Panasonic」へ一本化する事も決まった(SANYOブランドが強く支持されている海外の一部地域・機器を除く)[19]。まず「SANYO」ブランドでの新製品発表は2011年3月31日付を以て終了。翌4月1日以降三洋が生産・出荷する製品には原則として「Panasonic」ブランドを冠することとなり、「SANYO」ブランドを冠する既存製品の生産・出荷は1年後の商標公式使用終了に向けて縮小される。そして2012年(平成24年)4月以降「SANYO」ブランド製品は「在庫・展示品限り」となり、完売次第市場からは消滅する運びとなる。
さらに全国に約1500店ある三洋系列店「スマイるNo.1ショップ」を「パナソニックショップ」に転換・統合する事も決まった。2011年(平成23年)10月1日から、三洋系列店看板を(「SANYO」ロゴ等を外して)「Panasonic」ロゴ等へ掛け替える作業が始まり、2012年3月末に完了予定[20]。これに先行する形で三洋系列店には、三洋グループ本体が生産体制を大幅縮小した製品を中心に(薄型テレビ・冷蔵庫等の一部において)パナソニック製品が供給され始め、完全子会社化以降はパナソニックショップ転換に向けて、「Panasonic」ブランドを冠した三洋製品を含めて全分野の製品がパナソニックショップと同様の品揃えに置き換わっていく見込み[21]。
また完全子会社化に伴い、4月からホームページのアドレスがパナソニックのドメイン(panasonic.co.jp)の下に置かれることとなった。
なお、車載用以外のニッケル水素電池部門等(三洋エナジートワイセル等)は2010年(平成22年)に古河グループ(富士通系)のFDKに、かつて売却を断念した半導体事業(三洋半導体)も2011年(平成23年)にアメリカのオン・セミコンダクターにそれぞれ売却された。ただし、前者は2011年(平成23年)現在もeneloopの製造元として引き続き三洋に製品供給を続けており、後者もオン・セミコンダクター傘下入り後最長3年間はSANYOロゴを使用する計画があるとされる。ちなみに車載用のニッケル水素電池事業は、三洋側ではなくパナソニック側の事業が湖南科力遠新能源に譲渡される見通しとされる[22]。
自社ブランドの家電製品自体のシェアは小さいものの、洗剤が不要な洗濯機や、ニッケル・カドミウム蓄電池、リチウム電池の商品化など、一部の技術力は高いものを持っており、自社ブランドが表に出ない光デバイスや二次電池、パソコン等電子機器用コンデンサなど一部の電子デバイスや、デジタルカメラなどの完成品のOEM供給ではトップシェアを持つ製品が数多く存在し、「縁の下の三洋(電機)」と言われることもある。特にデジタルカメラのOEM供給元としては世界トップシェアを誇っている。また、「デジカメ」・「ムービーデジカメ」の商標を保有している(このため他社が自社製品をデジカメと呼ぶことはないが、ほぼ商品ジャンル全体の代名詞化しているため、雑誌、テレビなど第三者が他社製品をこの名で呼ぶことは黙認されている)。CD-Rドライブの書き込みエラー(バッファアンダーラン)防止機能「BURN-Proof(バーン・プルーフ)」を世界で初めて開発した。コインランドリーの機器では国内市場をほぼ独占していたが、近年は日本国外メーカーの進出で独占状態は崩れている。ナビゲーションシステムのPND分野では、2006年(平成18年)末に発売した「ミニゴリラ」が人気を得て、国内PND市場70%のトップシェアを誇る。
低価格競争の激しい家電量販店よりも、地元密着型でアフターサービス重視の街の電器店を優遇する傾向があり、ハイビジョンレコーダ等は通常OEM供給のみだが、街の電器店において専売モデルとして販売したり、街の電器店で購入した場合のみに適応する長期延長動作保証などの特典がある。
太陽光発電の事業でも有力な生産者であり、独自技術のHIT太陽電池で高いシェアを持つ。また、岐阜県安八郡安八町の岐阜事業所内に巨大なモニュメントを兼ねた大規模太陽光発電システム「ソーラーアーク」が設置されている。東海道新幹線の米原駅と岐阜羽島駅の間で車内から見ることができる。
有機ELディスプレイにも意欲的であり、米イーストマンコダック社と共同で開発していたが、2006年(平成18年)1月31日に撤退を表明した(コダック社は事業継続)。
プラズマテレビ、液晶テレビではシェアは低いが、セイコーエプソンの技術協力を得てホームシアター用プロジェクターであるZシリーズは国内で一番の売上を誇っている。プラズマ、液晶においてもデザイナーのグエナエル・ニコラを起用し、革新的なデザインのテレビでシェア向上を狙っている。
また携帯電話の分野ではPHSを含む国内全キャリア(イー・モバイルを除く)に端末を供給した実績があり(但し、ボーダフォン(現ソフトバンクモバイル)へは2004年(平成16年)夏モデルとして発表した<V401SA/ 2004年(平成16年)7月15日発売>を最後とし、2004年(平成16年)夏季以降新製品の供給はなし)、骨伝導スピーカー「SonicSpeaker」(携帯電話端末機としては世界初)やFMラジオチューナー、果てはワンセグ放送対応テレビチューナー(携帯電話端末機としては世界初、KDDI/沖縄セルラー電話のauブランド向けCDMA 1X WIN対応端末・W33SA)を搭載するなど、野心多き企業だった。携帯電話開発は、三洋電機(大阪、旧三洋テレコミュニケーションズ、SA型番)と、子会社の鳥取三洋電機(ST型番、後にSAへ統合)の2社により独立して行われていた。また、納入条件で折り合いがつかないことが原因で長らく供給が途絶えていたNTTドコモ向け機種についても、2005年(平成17年)にFOMASA700iSで6年ぶりに供給を再開したが、3機種で撤退となる。KDDIのauブランド等が採用するCDMA2000方式の携帯電話の世界シェアアップや開発費の削減などを目的に、フィンランドの世界最大の携帯電話開発メーカーのノキアと事業提携を結び、2006年夏をめどに合弁会社を設立すると2006年(平成18年)2月14日に発表したが、同年6月22日に提携解消を発表。
2007年(平成19年)8月11日に一部報道機関から携帯電話事業売却をシャープや京セラに打診しているとの報がなされたが、その時点では三洋側は否定していた。しかし2008年(平成20年)1月21日、500億円で携帯電話事業の京セラへの売却が正式発表され、同年4月1日付で売却された。なお、売却同日に鳥取三洋電機から商号変更した三洋電機コンシューマエレクトロニクスの携帯電話事業は京セラに売却されず終息となった(端末利用者向けのサポートは継続)。京セラは当初日本国外向けはSANYOブランドを継続し、日本国内向けについては2008年度に限って存続させる予定であったが(同年7月発売の「W64SA」が最後とみられていた)、国内向けも依然として従前のユーザーに多く支持されている理由から2009年(平成21年)10月30日発売の「SA001」でSANYOブランドを再展開、2010年(平成22年)5月28日には「SA002」を発売した。しかしパナソニックグループの事業再編によってSANYOブランドが原則的に廃止される方針となったため(前述)、当機種をもってSANYOブランド端末は国内・海外向けとも正式に終息となった[23]。ちなみに三洋も京セラもau向け、並びにウィルコム(旧DDIポケット)向けが主体であるが、同じKDDI系列でサービスを終了したツーカーにも共に最後まで供給を続けていた点で共通している。
三洋電機コンシューマエレクトロニクスと合わせ、セレクトショップのFrancFrancやamadana、±0で扱うオリジナルブランド家電のOEM供給元でもある。また洗濯機は、二槽式・全自動式・洗濯乾燥機に至るまですべて日本製を貫いている(三洋アクア東京工場で生産)。
1990年代に少量ながらコンシューマゲームソフト・ゲームハードを発売していたことがある。2010年(平成22年)現在では任天堂のライセンス品として、ニンテンドーDSシリーズやWiiリモコンなど任天堂ゲーム機向けに充電式電池をOEM供給している。
その他、かつて電子オルガンを販売していたこともある。
1984年(昭和59年)に発売された石油ファンヒーター「CFH-S221F」型を使っていた45人が一酸化炭素中毒となり、うち4人が死亡した。原因は空気取入口が上に向いていたためで、そこにホコリがたまって不完全燃焼を起こしやすくなっていたとされる。暖房器具の安全性が見直された重要な事件である。事件が多発した1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)にかけて、三洋はその後のテレビCMや新聞広告などのマスメディアを用いた告知により回収を進め、提供番組では数ヶ月間通常のテレビCMを自粛した。その後当該ファンヒーターを製造していた子会社の東京三洋電機を吸収合併すると同時にブランドロゴ(ワードマーク)を一新、「第二の創業」に踏み切ることとなる。
また1994年(平成6年)から1998年(平成10年)にかけて、同社が生産・発売した石油ファンヒーターによって瞬間的に炎が噴き出るという事故もあった。症状は、燃料検出センサーが故障した状態で運転を続けた場合、灯油を使い切る直前に温風吹出し口から瞬間的に炎が出てすぐに運転を停止してしまうというもの。原因は、灯油を使い切る直前に灯油と一緒に空気が吸い込まれることで、燃焼状態が不安定になるために生ずる一時的なものである。三洋電機の他に、ユアサプライムス(ユアサ)・日本電気ホームエレクトロニクス(NEC)でも同様の機種を販売している(三洋は22機種・ユアサは4機種・NECは3機種)。
これらの事故をきっかけに、三洋は2001年(平成13年)に石油ファンヒーターの製造を終了。石油ファンヒーターからは撤退したが、FF式石油暖房機は2007年(平成19年)まで継続して製造された。
2005年(平成17年)に松下電器産業(現:パナソニック)製のFF式石油暖房機において同様の事故が発生した際にも似たようなCMが放映され、他にもパロマやリンナイなど、後の製品リコール告知・商品回収告知CMの標準フォーマットとなっている。
2005年(平成17年)以降、未点検機種がまだあることが利用者からの修理問い合わせなどで発覚しているため、過去に事故が発生した上記2製品の回収告知を再度行っている[25][26]。
1990年代後半、子会社である三洋ソーラーインダストリーズが販売してきたソーラー発電システムの太陽電池パネルに、仕様より低い出力のものが多く含まれていた。市民団体による再三に渡る事実確認にもかかわらず、2000年(平成12年)10月20日に記者会見で不良品の存在を認めるまで、何度も事実を認めなかった。さらにその記者会見でも、当初から低出力のパネルを販売していたことを認識していたにも関わらず同年9月に初めて発覚したと虚偽の発言をしたことから批判が集中、ついには三洋ソーラーインダストリーズのみならず親会社の三洋本社の社長までもが辞任に追い込まれる事態となった。同年12月、通産省は三洋及び三洋ソーラーインダストリーズに行政処分を行った。三洋は行政処分を受け該当するパネルを回収、それを用いて岐阜事業所内にソーラーアークを建設した。
子会社の「三洋アクア」が製造したトップオープンドラム式洗濯乾燥機において、3度のリコールと1度の再告知を行ったうえで修理対応を行ったものの、修理時における作業不備が原因の発火事故が1件発生した事を受け、再度の無料点検と一部機種の製品交換を発表した。なお、現行機での交換に対応しきれない場合は市価から減価償却費を差し引いた所定金額での返金対応となる[27]。
このことに関し、三洋本社の専務執行役員、修理作業を行った三洋電機サービスの代表取締役、並びに製品を製造した三洋アクアの代表取締役(いずれも当時)他数名の降格処分等が行われた[28]。
2006年(平成18年)12月7日、NTTドコモの携帯電話「D902i」など使われている三洋電機グループ製のバッテリー約130万個を、不具合により回収。
2007年(平成19年)2月23日、朝日新聞が「三洋電機巨額粉飾の疑い」と朝刊一面で報道。
2007年(平成19年)12月25日、東証・大証は、2001年3月期から2006年3月期までの有価証券報告書を訂正したことが、虚偽記載に該当するとして、三洋電機株を監理ポストに割り当てた。翌2008年(平成20年)2月9日に監理ポストの指定を解除。注意勧告が行われ、改善報告書の提出が義務付けられた。
現在はなし
ラグビー、バドミントン以外は、完全子会社化に伴う名称変更については未発表。
かつては『兼高かおる世界の旅』『仮面の忍者 赤影』などの一社提供など大々的にCMを放映をしていたが、現在はPTや親会社パナソニックの提供番組での放映が多くなっている[35]。2008年の北京オリンピック開催前まではイメージキャラクターにバドミントン部所属のオグシオコンビ(小椋久美子・潮田玲子)を起用していた。
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