| この項目には、一部のコンピュータや一部の閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。 |
| (国旗) | (国章) |

| 公用語 | 国語(中国語) |
|---|---|
| 首都 | 台北市(臨時、正式には、南京市) |
| 最大の都市 | 台北市 |
| 建国 - 建国日付 - 台北遷都日付 |
1912年1月1日 1949年12月7日 |
| 通貨 | 新台湾ドル (NT$)(TWD) |
| 時間帯 | UTC +8(DST: なし) |
| ISO 3166-1 | TW / TWN |
| ccTLD | .tw |
| 国際電話番号 | 886 |
中華民国(ちゅうかみんこく、Republic of China)は、東アジアの太平洋沿岸に位置する共和制国家。現在は台湾島と周辺の島嶼群、南沙諸島の一部などを実効統治し、日本やフィリピン、中華人民共和国(実際上であり、憲法では自国領)などと領海を接している。
中華民国を正式に国家として承認している国は少ないが、それ以外の多くの国とも事実上独立した地域として国交に準じた関係を結んでいる。
目次 |
1912年1月1日に革命家の孫文を臨時大総統として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。
同年2月12日には、清朝の皇帝である宣統帝が退位することによって、その後袁世凱が大総統に就任した。その後袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州で樹立したものの、1925年に死去した。
| 元謀・藍田・北京原人 | |||
| 神話伝説(三皇五帝) | |||
| 黄河・長江文明 | |||
| 夏 | |||
| 殷 | |||
| 周 | 西周 | ||
| 東周 | 春秋 | ||
| 戦国 | |||
| 秦 | |||
| 漢 | 前漢 | ||
| 新 | |||
| 後漢 | |||
| 三国 | 魏 | 呉 | 蜀 |
| 晋 | 西晋 | ||
| 東晋 | 十六国 | ||
| 南北朝 | 宋 | 北魏 | |
| 斉 | |||
| 梁 | 西魏 | 東魏 | |
| 陳 | 北周 | 北斉 | |
| 隋 | |||
| 唐 | |||
| 五代十国 | |||
| 宋 | 北宋 | 遼 | 西夏 |
| 南宋 | 金 | ||
| 元 | |||
| 明 | 北元 | ||
| 後金 | |||
| 清 | |||
| 満州 | 中華民国 | ||
| 中華人民共和国 (中国大陸) |
中華民国 (台湾) |
||
1924年には中国共産党との間で第一次国共合作をおこなったが、南京事件が起こったことで1927年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蒋介石の指揮下で上海や武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘等の「武漢国民政府」に分裂するが、間もなく両者は合流、また、北方軍閥の張作霖が日本軍によって爆殺された後、張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。
その後日本の後援により、愛新覚羅溥儀を執政に擁き東北地域に満州国が設立され、さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った。これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を樹立することになる。その後日本は、中華民国と友好関係にあったイギリスとアメリカなどとの間に1941年12月に開戦し第二次世界大戦に突入したため、中華民国は連合国の主要国として日本をはじめとした枢軸国と対峙した。戦後は主要戦勝国の1国として国際連合の設立メンバーとなり、またGHQからの委託に基づき台湾島に進駐した。
しかし、中国国民党とソビエト連邦が支援する中国共産党との間の内戦において、ヨーロッパにおけるソビエト連邦との間の冷戦や朝鮮半島での緊張に気を取られたアメリカによる支援が減ったことなどにより、1949年頃には支配地域が縮小した。これを受けて、その後蒋介石総統率いる中国国民党政府が首都を南京より台湾島の台北に遷都し、台湾島地域及び金馬地区などのみを統治する国土の殆どをアメリカ合衆国の暫定占領地区に頼る国家として1950年までに再編成された(なお、日本国が1952年に権原を含める一切の権利をサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)において放棄するまでの間は、台湾島地域は国際法上、日本領土であった)。
現在は、議会制民主主義を主体とした共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島(台湾省・台湾地区)、および福建省沿岸の金門島・馬祖島(金馬地区)、南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の太平島を実効統治している。
冷戦下の1971年に、中ソ対立の中でアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国の代表権」が中華人民共和国政府に移され、中華民国は国連とその関連機関から追放された。さらに、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、日本は中華人民共和国を承認し中華民国と断交。その後1979年にアメリカが最終的に中華人民共和国を「中国の代表権を持つ正統政府」として承認すると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調した。
しかしながら、李登輝政権下の1990年代には国民党による一党独裁体制から複数政党制議会制民主主義を主体とした民主主義政体に移り、また、その経済や貿易規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、イギリスやフランスなどをはじめとする主要国とは形式上国交こそないものの、非政府組織を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。また、世界貿易機関(WTO)のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。
また、アメリカは中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた場合は台湾関係法に基づき、適切な行動を取ることとなっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍が選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為を行った際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡に空母打撃群を派遣し、同国のウォーレン・クリストファー国務長官は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。また、2008年3月に行われた総統選挙の際も近海に空母2隻を派遣した。
詳細は「中華民国の歴史」を参照
中国大陸統治時代
台湾国民政府時代
中国語(北京語、正体字表記)での正式名称は、中華民國(ツォンホア・ミングウォ、漢語拼音:Zhōnghuá Mínguó、ウェード式:Chung-hua Min-kuo)であり、国内では中華民國のことを中華と表記することもある。また、公式の英語表記は、Republic of China(リパブリック・オブ・チャイナ)で、略称はR.O.C.である。
中華民国の国名表記は、中華民国政府が「全中国(China)を代表する主権国家」であるという認識に基づいている。そのために、1971年に国際連合で中華人民共和国が「全中国を代表する主権国家」として承認されてからは、国際連合の影響下にある国際機関では中華民国のことを『中華民国(Republic of China)』と称するケースが減少し、オリンピック(1984年冬季大会以後)などのスポーツ大会や各種国際機関においては、Chinese Taipei(チャイニーズタイペイ、中華台北)という名称が使用されている。これは、国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を「全中国を代表する主権国家」として承認しない一方で、中華民国政府との非公式関係を維持していることによる。なお、世界貿易機関 (WTO) に関しては、Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu(台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域)という名称で加盟しており、Chinese Taipeiとともに中華民国の名称として使用されている。
一方、中華民國という国名やChinese Taipeiという名称について、20世紀末以降は台湾地域を中心として反発が生じるようになり、李登輝元総統(任期:1988年 - 2000年)を始めとする泛緑連盟の構成員・支持者達が、中華民國という現在の国号を「台灣」という名称に変更しようという台湾正名運動を興している。しかし、「中国の政党」であると自認する中国国民党を始めとした泛藍連盟の構成員・支持者達は国号変更に反対しており、この件に関する国論は二分されている。それと同時に、中華民国の一般住民の国に対する意識も1990年代から変化し始めていると喧伝される。
この様な背景もあり、中華民国政府は2003年9月以後、パスポートに、「中華民国」の正式名称とともに「TAIWAN」を付記して発行するようになった。なお、2004年9月7日に中華民国外交部のスポークスマンは「国交を持たない国に対しては「台湾」を強調することを最優先課題にし、将来的には国交を持つ国との間でも条約文書などで「Taiwan」を使用し、中華人民共和国との混同を避けるようにしたい」と話し、また、「9月7日の時点で中華民国行政院(日本の内閣に相当)は、自国の略称として第一にR.O.C.、第二にTaiwan、第三にTaiwan,R.O.C.、第四にR.O.C.(Taiwan)、第五にTPKM(Taiwan《台湾》、Penghu《澎湖》、Kinmen《金門》、Matsu《馬祖》の頭文字)を使用しているが、陳水扁総統の指示があれば使用順位を入れ替えてTaiwanを第一とする。」とも話した。その為、中華民国の対外的な略称がR.O.C.からTaiwanへと変更される可能性はあるが、仮に変更したとしても政権交代等が発生すれば元に戻される可能性もある。
日本語表記は中華民国。
マスコミでは「台湾」という表記・呼称を使用し、中華民国と他の国々を総称する際は「国及び地域」と表記している。なお、中華民国を「華」、「台湾」を「台」と略称する例もある。スポーツ関連では上記の通り「チャイニーズタイペイ」を使用することが多い。
日本政府は、1972年以降は中華民国を国家として承認していないが、サンフランシスコ講和条約において台湾島一帯の領有権放棄後の帰属については言明していない。また、日中共同声明でも、日本政府は「中国の立場を十分に理解し尊重する」と表明はしたが、中華民国及び台湾島一帯の地位について明確にしたわけではない。そのため、マスコミでも中華民国を「独立国」と扱わない他、国旗を掲載しないなどの「配慮」を行う一方で、雑誌や新聞、ニュースやドキュメンタリー番組からクイズ番組、バラエティ番組に至るまで、中華人民共和国とは別の「国家」として扱う上に、「中国の一部」という表現は行っていない。
中華民国の国旗は青天白日満地紅旗と呼ばれ、平等を表す白、自由を表す青、そして革命に献身した人々の血と友愛を象徴する深紅があしらわれている。
中華民国の主張する国土の総面積は11,418,174km²である。このなかには現在中華人民共和国の中国共産党政府が実効統治している区域に加え、外蒙古(モンゴル国、トゥヴァ共和国)、清朝がロシア帝国に割譲させられた領土(江東六十四屯、パミール高原)、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州、それにミャンマー北部の地域(ミッチーナ以北の地域、胡康河谷、江心坡及びに南坎)も含まれている。これは、中華民国が清朝の全ての国土を継承したという認識によるものであり、中華民国は国交が無いモンゴル国の独立を公式的には承認していない(詳細は対モンゴル国関係を参照のこと)。さらに、日本の主権下にある尖閣諸島に1969年、「青天白日旗」を掲揚し、付近海域の石油採掘権をアメリカ企業に与えた上に、1971年6月以降は中華人民共和国による同様の主張に対抗するべく、領有権を主張している。
建国当初の中華民国は中国大陸を領有する国家であり、1895年に日清間で締結された下関条約により日本に割譲された台湾島一帯はその版図に含まれていなかった。台湾島一帯が中華民国領となったのは、1945年の第二次世界大戦における日本の敗戦により、台湾島一帯を「中国の一部」として中華民国が自国領として回収したことによる。その後、国共内戦の結果、中華民国は1955年までに台湾省(1947年成立)、福建省の一部以外の領地を全て喪失し、1912年の建国から一貫して統治している地は福建省の金馬地区のみとなっている。しかし「『中国』における唯一正統な政府」を自認する中華民国は大陸部の統治権を放棄せず、中華民国政府が発行する官製地図『中華民国全図』には前記地域を中華民国国土として掲載している。しかし2004年1月、内政部は、実効支配地域外を含めた『中華民国全図』の新規発行停止する決定を発表し、今後公式な国土範囲にも変化を来たす可能性が示唆されている。
現在の中華民国が実効支配する範囲は台湾島(台湾)一体と金馬地区(金門県)、東沙諸島、南沙諸島から成り立っており、日本や中華人民共和国、フィリピンなどと領海を接している。なお、詳細については台湾の地理を参照のこと。
上記のように、中華民国は中国大陸(中華人民共和国の実効支配地域)、モンゴル、パミールなどを自国の領土であると主張している。中華人民共和国も、台湾及び福建省金門県、連江県の領有を主張している。日本の尖閣諸島についても、双方が自国の領土であると主張している(詳細は尖閣諸島領有権問題を参照のこと)。
東沙諸島と南沙諸島については、中華人民共和国と実効支配を、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイと領有権を争っている。
中華民国では、沖縄県地域を「琉球」と称し、貿易統計の項目や世界地図の色分けでも「日本」と「琉球」を区別してきた(空港での行き先案内板でも「琉球 Okinawa」となっている)。これは、同地域が琉球処分までは独立国(琉球王国)として明および清朝と冊封関係にあったこと、また、米国による日本への沖縄返還が中華民国政府との協議を経ずに進められたことを不満として、沖縄県地域に対する日本の主権を認めるか否かについて態度を曖昧にしているためである。したがって、(沖縄県の日本本土復帰後に発行されたと思われる)「中華民國全圖」の地図において沖縄県と中華民国の間に国境線が無いのはミスによるものではない。
査証業務などを取り扱う実質的な中華民国領事館にあたる台北経済文化代表処についても、かつては東京(台北駐日経済文化代表処)と那覇(中琉文化経済協会駐琉球弁事処)で(別の国として)異なる組織による代表部を置き続けていたが、那覇の弁事処については2007年2月に「台北駐日経済文化代表処那覇分処」に改名された。詳細は台北経済文化代表処の項を参照。
中華民国の行政区分は中華民国憲法の規定(第十一章)より規定されているが、この行政区分は遷台以前に規定された大陸地区を含むものであり、台湾地区での実際の行政との整合性に欠如した内容となっている。そのため憲法改正[要出典]により一部改正を行い、実質的に機能していない台湾省及び福建省への虚省化(実質的な廃止)を実施しているが、公式には大陸地区を含めた地区の行政区分が存在していることとなっている。
中華民国の公式な行政区分については中華民国の行政区分を、台湾地区での実際の統治範囲における行政区分としては台湾の行政区分を参照。
また中華民国海軍の艦艇のなかには大陸を統治していた当時の地名で、ウルムチの旧名である「迪化」を採用した艦艇が存在している。
中華民国の首都は南京市であるが、遷台以降の実効支配範囲である台湾地域における最大の都市は北部盆地に位置する台北市であり、1949年以降は中華民国の首都機能を果たしている。なお、台湾省の省都も当初は台北市であったが、1957年に台北市から台湾島中部にある南投県南投市中興新村に移された。現在、台湾省が凍結されているので現在では省都として機能していない。
現在の主要都市については台湾の項目を参照
中華民国の公式な首都は現在でも南京市と規定されている。中華民国憲法に基づいた中華民国政府が1948年に発足した際、中華民国の公式な首都は名実ともに南京であったが、当時激しさを増していた国共内戦において国民党軍はソビエト連邦の全面的な支援を得た中国人民解放軍(中共軍)に相次いで敗北し、1949年4月には首都・南京を人民軍に奪取され、中華民国政府は首都移転を余儀なくされ、広州、重慶、成都を経て1949年12月7日に台北に首都を移した。
遷台当初、中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場から台北遷都を一時的なものとし、「大陸反攻」(武力による大陸部の奪還)後に再び首都を南京に戻すつもりであった。この理由により公式な首都は南京のままとされ、台北は臨時首都という扱いとなった。しかし第二次世界大戦後の冷戦体制が確立されると、両岸関係の劇的な変化を回避することを望む国際環境下で「大陸反攻」が絶望的になり、また1971年に中国代表権問題の結果国際連合における代表権を喪失した後は、中華人民共和国を「全中国を代表する国家」として政府承認する方針が国際主流となり、中華民国は国際政治環境で孤立化してくこととなった。この状況下でも中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場を今日まで固持し続けており、そのために事実上の首都である台北の扱いも臨時首都のままとなっている。
上記の政府見解を反映し中華民国の小中学生向けの国定教科書でも南京を首都とした記載が続けられてきたが、台湾独自路線を追求する民意の高まりとその結果の民主進歩党政権の誕生の結果の一つとして2003年版教科書からは台北を首都とする記述が登場し、教科書における状況変化が見られる。しかし「首都・台北」と表記した場合、台湾独立政策の体現とし中華人民共和国との軋轢が生じる可能性を考慮され、教科書では「中央政府は台北にある」という間接的な表現をしている。
詳細は台湾の気候を参照。
中華人民共和国やベトナム、シンガポールなど、周辺には未だに実質的な一党独裁制を敷いている国家が多いが、中華民国においては李登輝元総統の就任後の1980年代後半より日本や大韓民国などと同様の議会制民主主義が施行され、現在は複数の政党が存在し、市町村の議会議員に至るまでが自由選挙によって選出されている。また、国民の結党や言論、宗教、思想などの自由は完全に保障されており、各種マスコミやインターネットなどを通じた様々な政治的な活動が自由に行われている。
また、中華民国の政治において特筆すべきことは、中華民国政府が中華人民共和国の中国共産党政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であるとしている点である。これは、歴代の中華民国政府が、蒋介石率いる中国国民党が中国大陸を統治していた1947年に施行した『中華民国憲法』に基づいて政府を樹立していることに由来しており、1949年の毛沢東率いる中国共産党による、北京をその首都とする中華人民共和国設立は「反乱団体による非合法行為」としてきた。
このような中華民国政府の主張は、中華民国が連合国の主な一員として参戦した第二次世界大戦前から国際的に受け入れられており、その結果、第二次世界大戦の戦勝国としての立場は中華民国政府にあった。また、当然ながら1945年10月の国際連合設立時とそれ以降における「中国」の代表権も中華民国政府にあった。しかし、1949年の中華人民共和国の設立以降も、香港問題を抱え中華人民共和国に対して政治的配慮を必要としていたイギリスを除く殆どの西側諸国が中華民国政府を「『中国』の正統な政府」として認めていたものの、第二次世界大戦以降の冷戦下におけるアメリカとソビエト連邦を中心とした東西両陣営の政治的駆け引きの中、1971年に国際連合で中国共産党率いる中華人民共和国が承認され、中華民国政府が国際連合から脱退してからは、日本やアメリカをはじめとする西側諸国においても中華民国政府を「『中国』の正統な政府」として承認する政府が減少した。現在ではバチカンやパラグアイ、ブルキナファソなど、23カ国のみが承認しているという状況であるが、日本やアメリカ、フランスなどを始めとする多くの国々とも「弁事処」と称される利益代表部を置く。
なお中華民国とバチカンの外交関係の歴史は古く、第二次世界大戦中の1942年に確立されている。中華人民共和国は、表向きは中華民国と密接な関係を維持するバチカンに対して批判的な態度をとりながら、裏では世界各国に大きな影響力を持つバチカンとの外交関係の正式な確立を模索してきた。しかし、この様な状況は当分変化しないと考えられている。
李登輝総統(任期:1988年 - 2000年)時代に入り、中華民国政府は中華人民共和国の存在を「反乱団体による非合法行為」と規定しなくなったが、今でも「『中国』の正統な政府」という主張は変えていない。その為、現在の中華民国国内では、「『中国』の正統な政府」であることを止め、現在の実効支配区域のみを統治する政府として国家を再編することで、中華民国の新たな国際社会復帰を模索する動きも活発化している。2005年8月1日には、陳水扁総統が「中華民国は台湾」と語っており、中華民国の国家としての定義は国内において二分している状況である。
さらには、21世紀初頭では、中国大陸と台湾地域を統治する事を前提とした現在の中華民国の国家体制から脱却し、台湾地域のみの統治を前提とした国家を創出する台湾独立運動(台独運動、または台独)も活発化しており、そのことが問題をより複雑化している。もっとも、台湾地域においては、この問題に関する様々な意見が存在しているものの、少なくとも台湾地域の主権帰属が中華人民共和国に属するものではないという点では世論の大勢が一致している。そのため、中華民国の立法府たる立法院の議員は、主に「台湾の主権帰属は中華民国に属する」とする泛藍連盟派と、「台湾の主権帰属は中国の国家には属さない」とする泛緑連盟派(台独派)のいずれかに大別される。
ただし、世論調査では、早急な統一も台独も望んでおらず、「実質的に共産主義政党の中国共産党による一党独裁国家であり、言論や思想、宗教選択の自由すら許されていない中華人民共和国」と完全に分離して、議会制民主主義体制が堅持されている現在の状態を維持することを望む声が多い。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行なっている。
また、日本やアメリカ、イギリスなどの中華人民共和国と国交を持つ旧西側諸国の政府も、正式には中華人民共和国の唱える「一つの中国」政策を支持しているものの、議会制民主主義体制を維持することを望む中華民国の国民の意向を尊重することと、中国共産党の一党独裁国家であり、言論の自由が制限されている中華人民共和国[1][2]によるアジアにおける軍事的覇権を牽制する意味からも、現在の状態の維持を事実上支持している。
1912年の中華民国の成立当初、清朝の対外賠償金を継承し、また鉄道や税関などの収入源を賠償金の担保として列強の支配下に置かれていたため危機的な経済状況にあった。
また建国当初の政争に加え、中国共産党軍との対立、更には日中戦争と国内での混乱が続いたことで更に経済状況が悪化し、物資が軍需用として優先使用され、その物資の輸送も限定された交通手段に頼っており国民経済は困窮を極めた。
日本の敗戦後は、特に満州及び台湾では日本が遺した資産を活用した工業化などによる経済建設を計画したが、まもなく開始された国共内戦により経済政策の実施は頓挫、また国民党が行った紙幣の乱発による急激なインフレなどで台湾地域の国民経済は崩壊の淵に立たされることとなった。
1949年に台湾に移った国民党政府は「大陸反攻」を実現すべく国力の充実を図り、経済方面でも乱発した貨幣(国民党軍が発行した旧台湾ドル)を廃してニュー台湾ドルを発行しインフレを抑制、傾斜生産方式を採用した工業化を図ると共に、冷戦下のアメリカからの経済援助を活用しての経済政策を実施、それまで農業と農業関連の加工業が主であった台湾の経済を軽工業、やがては重工業へと転換させることに成功し、現在ではアジア有数の先進工業国としての地位を確立、特に、マザーボードや液晶、レーザーモジュールやPCなどの高度な技術開発力を必要とするIT関連や、自動車やオートバイとその部品、MTB等の付加価値の高い自転車、家電製品とそのための電子部品をはじめとする製造業、海運や航空業でその強みを発揮し、世界トップクラスの外貨準備高を擁する経済大国へと変貌している。
2000年代以降は中華人民共和国やインドなどの、低賃金の単純労働力を提供する発展途上国の台頭によって、高度な開発、生産力を必要としない製造業においては、工場の海外進出に伴う産業の空洞化が進行したが、これに対し政府はITへの更なる投資と併せて、バイオ産業などより高い技術を有する産業に重点を置く政策に転換しつつある。
また、華僑ネットワークに支えられた、全世界ネットを駆使した世界戦略も強みである。アメリカや日本で注文を取り、中華人民共和国やベトナムに製造させる仲介的戦略も、この華僑ネットを利用している。近年は高雄港や基隆港、台中港が中国大陸や東南アジア、および太平洋地域における海運の重要なハブとしての地位を獲得しており、コンテナ取扱高世界一を誇る一大海運企業である長栄海運などがそれを後押しする形となっている。
中華民国の経済は日本経済と共通点のある面が強い。資源小国であることから技術力、工業生産力に依拠し、世界市場で優位に立てる高付加価値製品を開発製造することによって、外貨を獲得する加工貿易が基本である。また独立志向の強さが国民性であり、それが経済に活力を与えると同時に、大企業成長に必要な人材の確保が困難な一面もある。
台湾の経済も參照のこと。
中華民国は、実効統治する台湾が旧日本領であったなど日本と歴史的に関係が深く、地理的にも日本に近いことから、貿易をはじめとした経済的交流が非常に強い。その象徴として、台北の台北国際金融センタービルは日本の熊谷組を中心としたJV(共同事業体)が施工しているほか、日本の新幹線の信号・車両技術を導入した台湾高速鉄道(台湾新幹線)も台北 - 佐営間に運行中である。また、多くの日本企業が進出しているだけでなく、中華民国の企業も日本に進出している。
詳細は「台湾の交通」を参照
詳細は「中華民国の警察」を参照
詳細は「中華民国国軍」を参照
中華民国憲法第20条により徴兵制度が敷かれており、満19歳以上の男子国民は、12カ月間の兵役義務(2003年までは22カ月)を有している。良心的兵役拒否権が認められている。2014年に完全志願制度に切り替えられる予定[3]。徴兵制度廃止による削減分の予算の一部は兵器の充実に回す予定だが、野党などから国防費を急増させる中国との軍事格差がますます広がるとの懸念も出ている。
国軍である中華民國国民革命軍は、正規軍で約30万人、予備役で約165万人の兵力を擁しており、正規軍の内訳は陸軍20万人、海軍4万5000人、空軍4万5000人である。なお、中華民国軍の最も重要な軍事基地は中国大陸沿岸の金門島である。アメリカ政府との協定「台湾関係法」や台湾海峡防衛を盾に政府に強くイージス艦導入を求めている。事実中華民国政府は前向きに検討してはいるが実現には至っていない。
1949年以降の中華人民共和国との軍事的対立を背景として、中華民国の軍事施設には自国製のみならずフランス製やアメリカ製の最新鋭の兵器、軍用機、軍用船が装備されており、2005年度の国防関係予算は国家予算全体の約15%に相当する2,453億元(約7,400億円)となっているが、近年[要出典]では国防関係予算の削減が行われており、政府は特別予算を組むなどして対応している。
また、アメリカは正式な国交が無いが、中華民国が軍事的脅威にさらされた場合は台湾関係法に基づき中華民国を助けることとなっており、事実上の同盟関係にある。実際に、1996年3月23日に行われた総統選挙の前後に、「独立派」と目される李登輝総統の再選を阻止しようとした中華人民共和国の人民解放軍が、台湾島近海に「実験」と称して弾道ミサイルを放ち軍事的恫喝を行なったことに対し、アメリカ軍は正規空母インディペンデンス (USS Independence, CV-62)とニミッツ(USS Nimitz, CVN-68) などを中心とした艦隊を派遣しこれに対抗した。
中華民国の国民は、中華民国憲法(第一章第三条)の規定によって「中華民国の国籍を有する者」とされており、2002年の時点で22,548,009人となっている。人口密度は平均617人/km²(2001年6月)である。
中華民国の国民は大きく漢民族と原住民族にわかれる。中華民国政府が認定した原住民族は、2008年現在で14民族50万人弱である。 なお、中華民国では、国民である国内各民族が融合して中華民族を形成するとされており、中華民国憲法(第一章第五条)によって各民族間の平等が定められている。また、中華民国国民には省籍が存在し、在籍する省によって本省人と外省人に分けることがある。原住民族は広義には本省人に含まれるが、通常は分けて考えられる。この区分に従うと、中華民国編入後の台湾島一帯では、人口が多い本省人が政治的には少数派の外省人に支配される構図が浮かび上がるが、これは省籍矛盾と呼ばれ、長年にわたり社会問題とされてきた。
公用語は標準中国語(北京語)と定められ、中華民国では国語と称されている。国語は基本的には中華人民共和国で使われている普通話と同一言語であるが、現在では政治体制や文化受容の差異、社会の相違により語彙などの細かい部分に多少の相違点が生じている。
文字表記は正体字と称される正字体が採用されており、簡略化された簡体字とは大きな違いを有している。実際の生活上ではある程度の略字が使用されている。また発音表記では注音符号と称される北京政府時代に制定された符号を教育で使用している。
現在の中華民国実効支配地域における言語については台湾の言語を参照。
詳細は「台湾の教育」を参照
中華民国は教育制度として国民小學(小学校)6年間と国民中學(中学校)3年間が義務教育とされている。21世紀初頭では小中學をあわせた「九年一貫課程綱要」に基いてカリキュラムが編成されている。なお、儒教圏の例に漏れず学歴尊重社会である為、義務教育終了後に高等教育学校へと進学する者が先進国同様に多い。
民主化後になって、北京語以外の言語、すなわち閩南語、客家語、原住民語の教育が義務付けられたが、中国国民党による戒厳令時代はすべて標準中国語(北京語)のみで教育する事とされていた。このため、高齢者は閩南語(または客家語)のみで北京語が話せない者がおり、その下の世代では両方を解するが、現在の中年の世代以下では北京語のみで閩南語を解しない者が少なくない(特に北部の都市部)。たとえ話せたとしても発音に北京語の訛りがある場合も多い。
したがって、同じ「台湾人」であるはずなのに高齢者と若者との間でコミュニケーションが成り立たないということも珍しくない。また、日本統治時代には日本語での教育が義務付けられていたため日本語を話すことのできる高齢者も多い。
詳細は「台湾の文化」を参照
特筆すべき中華民国の文化的な国家制度としては、教育制度と休・祝日制度、中華民国暦制度が挙げられる。また、世界遺産の登録にむけた運動が、官民挙げて進められている。
詳細は「台湾の宗教」を参照
詳細は「台湾料理」を参照
詳細は「中華民国の文化的制度」を参照
中華民国は、国際連合から脱退しているため、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟を認められておらず、世界遺産が一つも登録されていない。しかし、陳水扁政権発足後から、中華民国行政院を中心に世界遺産登録を目指す動きが活発化しており、2003年には世界遺産登録候補地として12か所が選定されている。
詳細は「民国紀元」を参照
中華民国では、建国年である1912年を元年とする民国紀元を西暦と併用している。これらは双方とも太陽暦であるが、民間の年中記事は旧暦で行うものも多く、日常生活では旧暦も併用されている。
民国紀元は中華民国における行政の公式暦法とされ、一般に誕生年も「民国N年」「民前N年(1911年以前)」と表現され、また民国60年代の場合を「N年級」と表現する方法も使用されている。
詳細は「台湾の祝祭日」を参照
中華民国は公的機関において完全週休二日制度が導入されている他、総計で8日の祝日がある。なお、中華民国の祝日の中には旧暦で定められているものもあり、それらの日付は太陽暦では日付が毎年一致していない。
|
||||||||||||||||||||||||||
このページはウィキプロジェクト 国のテンプレートを使用しています。
This text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. Last update: 2010年3月22日 9:49:01:JST