| さくまよしこ 佐久間良子 |
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| 本名 | 佐久間良子 |
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| 生年月日 | 1939年2月24日(71歳) |
| 出生地 | |
| 血液型 | O |
| 職業 | 女優 |
| 活動期間 | 1958年- |
| 家族 | 平岳大(長男) |
| 主な作品 | |
| 映画 『五番町夕霧楼』 『越後つついし親不知』 『にっぽん泥棒物語』 『湖の琴』 『風林火山』 『細雪』 テレビドラマ 『おんな太閤記』 『ドナウの旅人』 『功名が辻』 |
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佐久間 良子(さくま よしこ、1939年2月24日 - )は、日本の女優。東京都練馬区出身。
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練馬区豊玉(当時は板橋区中新井町)の地主旧家で、出生。血液型O。製薬会社重役の父滋司と母幸子の一男二女の長女。練馬区立開進第三小学校(小一入学の時、群馬県磯部温泉に集団疎開)から、私立川村中学へ。川村高等学校在学中の1956年、高等学校の先輩で東映の女優・小宮光江に誘われ、東映東京撮影所を見学した時に東映宣伝部にスカウトされる(なお、通学中の西武線の車内で、東映宣伝部員吉川義一氏(後NETプロデューサー)が彼女をマーク。せっせと佐久間家を訪れ説得。家族親族の猛反対もあったが、粘り強い交渉のうえ入社へ、というエピソードもある)。 翌1957年に東映第4期ニューフェイスとして入社。水着審査を拒否、補欠合格だった。同期には山城新伍、曽根晴美、室田日出男、水木襄、花園ひろみ、山口洋子らがいる。俳優座養成所で半年間、研修を受け、この間に東映動画「白蛇伝」のモデルとして初めてカメラの前に立つ。1958年、映画『美しき姉妹の物語・悶える早春』の端役で映画デビュー。続く「台風息子」2部作で江原真二郎の相手役に抜擢され売り出す。以降、早くから東京撮影所期待のホープ女優として、デビュー2年目にして、雑誌「平凡」人気投票の女優10位に入る。
1960年8月7日、産経会館国際ホールで後援会が発足。後援会長は、株式会社ヤシカ専務の牛山治三郎氏。10月には、機関誌「咲」が発刊される。
1960年以降は、今井正監督「白い崖」、家城巳代治監督「秘密」、自ら映画化を希望した村山新治監督「故郷は緑なりき」と着実な歩みをみせ、東映の看板女優として活躍。
1960年、鶴田浩二の東映入社第一作「砂漠を渡る太陽」で 鶴田の相手役にふんし、以降「湖畔の人」他でも共演。「人生劇場 飛車角」の頃から、実生活でも鶴田の恋人として大いに当時のマスコミをにぎわせた。(ヤングレディ 1966.3.21号 南部僑一郎寄稿「佐久間良子と鶴田浩二の禁じられた恋の結末」、カーロン愛弓「父・鶴田浩二」新潮社)
1962年(昭和37年)、3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅(東宝社長)を団長として、川喜多長政、奥山融(奥山和由の父)、そして、映画会社各社代表女優の吉永小百合(日活)、星由里子(東宝)らと共に東映代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なヨーロッパ訪問となった。帰国時の写真が現存している。
1963年、映画『人生劇場 飛車角』で鶴田演ずる飛車角の情婦という初の汚れ役が話題になった。続いて、『五番町夕霧楼』(代表作。サンケイ新聞社 シルバースター主演女優賞)、『越後つついし親不知』、『湖の琴』(1966年 NHK主演女優賞、京都市民映画祭賞)などの名作映画にも出演し、演技力も認められるようになった。
1960年代後半に入り、東映はヤクザ映画とポルノ路線を推し進め、ヤクザ映画の藤純子(現・富司純子。寺島しのぶの母)に東映のトップ女優の座を譲り、以後、映画出演は激減した。当時、出演が決まりながら流れた企画映画に「ロバータ、さあ歩きましょう」「石狩平野」等がある。 1968年には他社主演映画の松竹「わが闘争」で、初の役柄でもあるヒロイン堤玲子を熱演。同年、「雪夫人絵図」で官能のヒロイン雪を演ずるが、文芸作品は、ヤクザとエロ全盛の東映カラーに合わないとしてお蔵入りとなった(1975年に日活系で公開)。また、翌年出演した小幡欣治原作「あかさたな」の映画化は東映の興業に合わせて、「ど助平一代」と、女優としては口にするのもはばかるような題名で公開される等、一流女優として磨きのかかった佐久間と東映路線との距離は離れていった。
1967年頃からテレビドラマと舞台に活躍の場を移し、テレビでは「徳川の夫人たち」「皇女和の宮」、初舞台の1969年の「春の雪」は好評のため4ヵ月のロングランとなり、以後 映画女優時代以上の名声を得て、日本を代表する女優としての揺るぎない地位を確立した。テレビドラマでは特にNHK大河ドラマ史上、数少ない女性主役を務めた『おんな太閤記』の「ねね役」が有名で、お茶の間の人気を博した。
私生活では1970年4月16日、俳優の平幹二朗と霊南坂教会で挙式。1974年7月27日、一男一女(双子)を出産するが、1984年5月28日離婚記者会見。平との結婚生活にピリオドを打った。子供達は佐久間が引き取った。
27歳当時、テレビドラマが縁で フジテレビディレクター島田親一氏(当時34歳)と噂が。また、離婚後45歳当時、1984年8月21日 テレビディレクター小田切成明氏と軽井沢別荘での密会写真が女性週刊誌にフォーカスされ、29日 釈明会見がされた。
舞台では1983年に菊田一夫演劇大賞、1995年に文部省芸術祭賞を受賞している。2004年の舞台大作『鹿鳴館 (戯曲)』(三島由紀夫原作)では元夫の平と成人して俳優になった長男・平岳大と共演し話題になった。
書道では1977年に「日展」に入選。「毎日書道展」でも入選。各地で個展も開催されている。2003年の誠直也主演の『実録ヒットマン 北海の虎・望郷』では題字を担当した(出演はしていない)。
1998年12月、宗教団体「二譲会」代表とともに「広告塔」としての責任を問われ都内の主婦より損害賠償請求で提訴される。それ以前10月当時からの週刊誌報道が過熱するなか、11月25日、緊急記者会見。代表との関係は認めるが、身に覚えのないことと広告塔であることについては否定。 2000年3月、一部週刊誌に代表との借金トラブルが報じられ、二譲会女性幹部からは醜聞的暴露記事も。 一時は和解へ向かったが、法廷闘争へ。2000年5月10日には、裁判に初出廷。その後10月27日の判決で佐久間自身に責任はないとされた。借金トラブルについては、2001年11月に代表平林恵美子から借金返還で訴えられる。2002年12月2日、出廷。
2008年12月16日より20日、ニューヨーク日本人会館にて、荒了寛との「二人展」が開かれる。2008年は4月にも名古屋市内のアートサロン光玄にて「個展」が開かれている。こうした書道展のほかは、「食肉と健康を考えるシンポジウム」(2008年9月20日 秋田児童会館、2009年2月7日 仙台国際センター)、またトークショー(2008年2月23日 小川温泉)にゲスト出演している。
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