| ほっかいどう 北海道 |
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十勝平野の大規模農場
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北海道旗(中央は道章)
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| 国 | |
| 地方 | 北海道地方 |
| 団体コード | 01000-6 |
| ISO 3166-2:JP | JP-01 |
| 面積 | 83,457.00km² |
| 総人口 | 5,497,406人 (住民基本台帳人口、2011年12月31日) |
| 人口密度 | 65.9人/km² |
| 隣接都道府県 | 青森県 |
| 道の木 | エゾマツ、アカエゾマツ |
| 道の花 | ハマナス |
| 道の鳥 | タンチョウ |
| 道の歌 | 北海道民のうた、道民体操(どさんこ体操) |
| 北海道庁 | |
| 知事 | 高橋はるみ |
| 所在地 | 〒060-8588 北海道札幌市中央区北3条西6丁目1番地 |
| 外部リンク | http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ 北海道 |
| 特記事項 | 面積には北方地域5,036.14km²を含む |
| ウィキポータル | 日本の都道府県/北海道 |
| ウィキプロジェクト | |
北海道(ほっかいどう)は、日本の北部に位置する島、および同島を中心とする地域を管轄する都道府県(地方公共団体)の一つ。今日における日本の47都道府県中唯一の道である。道庁所在地は札幌市。
この北海道1道のみで構成される地方を北海道地方といい、その面積は日本の総面積の約2割 (22.9%) を占める83,456.75km²[1]。
江戸時代までは一般的に、千島や樺太を含めて蝦夷ヶ島、本島単独では蝦夷地、北州、十州島[2]などと呼ばれていたが、明治時代に入り、律令制における五畿七道の各道に倣って新設された北海道となった。
北海道本島は面積77,984.15km²[3]で、本州、四国、九州とともに日本列島を構成する主要4島の一つ。日本の島の中では本州に次ぐ第2位、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の大きさである[4]。
目次 |
この島の先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では「アイヌモシリ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)と呼ばれる。日本人(和人)は近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた[5]が、明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討し、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。結局「北加伊道」を基本として採用し、海北道との折衷案として、また、律令制時代の五畿七道の東海道、南海道、西海道の呼称に倣う形として「北海道」と命名された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。
北海道は地方自治法において他の都・府・県と同格の普通地方公共団体の1つとされているが、「都」「府」「県」はこれを外して「東京」「愛知」のように表記・呼称することがあるのに対し、北海道については「道」を外して単に「北海」と表記・呼称することは非常に稀である(北海タイムス、北海学園大学など、社名や学校名等の固有名詞の一部分に使用される例はある)。一方、道である普通地方公共団体は北海道しか存在しないため(東京都の「都」と同様に)、逆に道が「道産米」等、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。
後述の通り、1886年(明治19年)から1947年(昭和22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太と樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。1901年(明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後、1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で市制・町村制・東京都制とともに府県制が改正されたとき、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。改正法律の附則の規定により従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「道」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。
地方公共団体としての北海道は、北海道本島の他、利尻島、礼文島、奥尻島、天売島、焼尻島、渡島大島、渡島小島等の属島をその領域に含む。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島も北海道の領域の一部だが、1945年(昭和20年)にソビエト連邦が占領し、現在もその後継国家であるロシア連邦の実効支配下に置かれており、現在、日本の施政権が及んでいない(北方領土問題を参照)と日本政府は主張している。
北海道には179の市町村(35市129町15村)、74の郡がある(この他、北方領土に5郡6村がある)。北海道では、森町が「まち」である以外は、町はすべて「ちょう」、村はすべて「むら」と読む。
| 北海道 | |
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2001年5月30日地球観測衛星テラ搭載のMODISセンサにより撮影 |
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| 面積 | 77,984.15 km² |
| 最高標高 | 2,291 m |
| 最高峰 | 旭岳 |
| 最大都市 | 札幌市 |
| 所属諸島 | 日本列島 |
| 所属国・地域 | |
島としての北海道は、面積77,984.15 km²(日本では本州に次いで2番目、世界では21番目に大きな島[3])。アイルランド島よりやや小さく、樺太よりやや大きい。また、沖縄県や離島を含む九州、四国全県を合わせた面積よりも大きい。南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函トンネルにより鉄路で繋がれている。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流・宗谷暖流、及び親潮と東樺太海流が流れている。
北海道は大きく分けて胴体部にあたる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島)よりなる。
胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地・北見山地と、西の夕張山地・天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地・上川盆地・名寄盆地等の盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。
北海道東部は千島弧の延長である知床半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続き平野は少ないが、南側では十勝平野、根釧台地等の大平野が形成されている。
渡島半島に続く地域は、石狩湾から石狩平野、勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である。ここには人口約190万を抱える札幌市や、千歳市、苫小牧市等が並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部にあたり、石狩低地帯の西に位置する南西部山地、その南に黒松内低地帯、更に南には渡島山地がある。
北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰等)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,291mである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山等の山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。
一級水系は13水系ある。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川、網走川、常呂川、湧別川、渚滑川、留萌川、沙流川、鵡川、尻別川、後志利別川。
阿寒湖、大沼、屈斜路湖、サロマ湖、支笏湖、洞爺湖、摩周湖、ウトナイ湖、網走湖、能取湖、風蓮湖などの湖がある。
詳細は「北海道の気候」を参照
西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる道南の一部沿岸地域を除くと、ほぼ全域が亜寒帯湿潤気候である。夏と冬の温度差が大きく冬の積雪は根雪となる。日本海側が豪雪地帯であり太平洋岸では少量の降雪である。一部地域は特別豪雪地帯になっている。道北、道東は寒さが非常に厳しく、沿岸部を除くほぼ全域で最寒月の平均気温が-8度以下となり、零下20度以下まで下がることが多い。
北海道の人口は5,507,456人(2010年(平成22年)10月1日、国勢調査で国内8位)で、道央および道南に約70%が集中した人口分布となっている。特に、近年は札幌市への人口集中が著しく、道内の他の自治体とは、非常に大きな差が見られ、2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ、札幌市の人口の18%程度にとどまる。また、179の自治体のうち、中核市は、旭川市と函館市の2市のみであり、特例市は存在しない。また、総務省によると、2011年(平成23年)9月26日現在の段階で、143の自治体(道内の自治体の8割)が過疎地域に指定されている。[6]
| 北海道と全国の年齢別人口分布(2005年) | 北海道の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 北海道
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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北海道(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
北海道では、本州などの様に七五三、酉の市などに代表される季節に纏わる慣習などは、縁遠い存在で、神棚や玄関、車の正月用飾り付けに於いても注連縄の様な質素な物ではなく、宝船(七福神)を模したものである。
詳細は「:category:北海道の食文化」を参照
正月に食される「口取り」(口取り菓子)も北海道独特である。本来、口取り菓子は、茶会に出される料理(本膳料理)であるが、御節料理の一部で扱われ、正月に食される。これは、鯛や海老など縁起物を縁取った菓子(今日では白餡を用いた練り切り・羊羹などもある)である。
2011年(平成23年)現在、衆議院議員選挙は、小選挙区を12区に分け、比例北海道ブロック議席は8議席保有している。
詳細は北海道知事一覧を参照。 北海道庁時代の歴代長官については北海道庁 (1886-1947)の項を参照。
「北海道議会」も参照
定数は106人。構成は以下の通り。(2007年(平成19年)4月30日現在)
2006年(平成18年)度の実質公債費比率は19.9%と、全国では長野県に次いで2番目に悪い。
北海道は、地方自治法155条第1項に基づき、支庁を設置している。「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」において「北海道総合振興局」(以下「総合振興局」)および「北海道振興局」(以下「振興局」)とされている。各総合振興局および振興局は、その所管区域において、納税証明書の発行および旅券発給等の窓口業務など、所管区域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。
2008年(平成20年)6月28日の道議会で、それまであった14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出張所として5振興局を置くとする条例が可決された。しかし、縮小の対象となった、檜山支庁、日高支庁、留萌支庁、根室支庁、石狩支庁の支庁所在地を抱える管内各自治体では住民の怒りの声が上がり、地域経済の悪化に拍車がかかることも懸念された。また、再編する際に必要な公職選挙法の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)、2009年(平成21年)4月実施は不可能となった。これらのことから当初の条例は施行されず、結局2009年(平成21年)3月31日の道議会で「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」が改正され、総合振興局・振興局への改称後も、どちらも同格の支庁として存続することになった。但し総合振興局は隣接する振興局管内の広域行政を担うことができ、該当する振興局が条例で規定されている[7])。 この改正では、網走支庁がオホーツク総合振興局となる以外は名称は従来の支庁名が継承された。なお幌延町が旧留萌支庁管内から宗谷総合振興局管内へ、幌加内町が旧空知支庁管内から上川総合振興局管内に移った[8]。
| 名称 | 位置 | 所管区域 | 管内市町村数 | 人口(人) | 面積(km²) |
|---|---|---|---|---|---|
| 空知総合振興局 | 岩見沢市 | 空知地域 | 10市14町 | 336,254 | 5,791.19 |
| └石狩振興局 | 札幌市 | 石狩地域 | 6市1町1村 | 2,342,338 | 3,539.86 |
| 後志総合振興局 | 倶知安町 | 後志地域 | 1市13町6村 | 232,940 | 4,305.83 |
| 胆振総合振興局 | 室蘭市 | 胆振地域 | 4市7町 | 416,289 | 3,698.00 |
| └日高振興局 | 浦河町 | 日高地域 | 7町 | 75,321 | 4,811.97 |
| 渡島総合振興局 | 函館市 | 渡島地域 | 2市9町 | 427,807 | 3,936.47 |
| └檜山振興局 | 江差町 | 檜山地域 | 7町 | 42,058 | 2,629.96 |
| 上川総合振興局 | 旭川市 | 上川地域 | 4市17町2村 | 520,365 | 10,619.20 |
| └留萌振興局 | 留萌市 | 留萌地域 | 1市6町1村 | 53,105 | 3,445.77 |
| 宗谷総合振興局 | 稚内市 | 宗谷地域 | 1市8町1村 | 73,447 | 4,625.13 |
| オホーツク総合振興局 | 網走市 | 網走地域 | 3市14町1村 | 310,009 | 10,690.62 |
| 十勝総合振興局 | 帯広市 | 十勝地域 | 1市16町2村 | 348,597 | 10,831.24 |
| 釧路総合振興局 | 釧路市 | 釧路地域 | 1市6町1村 | 247,320 | 5,997.39 |
| └根室振興局 | 根室市 | 根室地域 | 1市4町(6村) | 80,569 | 8,534.24 |
一般的な区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる[9]。
胆振・日高を道南に区分したり、オホーツクを道北に区分したり、或いは上川の富良野地区を道央に、空知の深川地区を道北に区分したり、上川の塩狩峠以南を道央に区分したりする例も見られる。
他方、北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏 (PDF)」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。(北海道の2005年(平成17年)の国勢調査人口562万7424人)。
国の出先機関(地方支分部局)の支局等が、一般に札幌市・旭川市・函館市・釧路市の4か所のみに設置される場合は、概ね振興局を分割することなく、その支局等が置かれる振興局と近隣の振興局を管轄することとなる(例:釧路支局が釧路総合振興局と根室振興局を管轄する)が、一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、振興局を分割して管轄する場合がある(特に空知総合振興局の北部と中南部であることが多い。例:札幌法務局と旭川地方法務局、札幌運輸支局と旭川運輸支局)。
日銀の管轄は、函館支店が渡島・檜山2振興局、釧路支店は釧路・根室・十勝3振興局を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の旭川事務所の管轄が上川・オホーツク・宗谷・留萌4振興局となっている。
また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、北海道の報道機関の一覧を参照。
「アイヌの歴史」も参照
北海道には数万年前の氷河期にシベリアから陸橋となった宗谷海峡をマンモスやオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて人類が渡ってきた。約12,000 - 13,000年前には氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。
道内各地で旧石器時代の発掘調査は、群馬県の岩宿遺跡で旧石器が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を放射性炭素年代測定法では21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器・尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある。[10]
縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。
本州以南は多数の渡来人(帰化人)が移住することで弥生時代を迎えたが、北海道にまでは弥生文化(水稲耕作)が伝播せず、アイヌを中心とした民族により縄文文化が続いた(本州の弥生・古墳時代に並行する続縄文時代[11]は、紀元前2世紀から8世紀の奈良時代頃まで続いた)。この文化は、北はサハリン南端部、東は国後島・択捉島、南は東北地方から新潟県西部にまで及んでいる。 この時期のはじめの土器は東北北部の土器の影響が及んだ恵山式土器で紀元前2世紀から3世紀紀までを恵山文化と呼ぶ。この文化と弥生文化との交流を示す鉄器や碧玉製の管玉が見つかっている。また、この文化の影響が道央部に及んで江別式土器が出現する。この土器は後北式土器[12]とも呼ばれている。江別式土器を特徴とする江別文化は紀元前1世紀から7世紀頃までで、サケ・マスの漁撈生業を中心とした狩猟・採集経済である。この文化の遺跡からソバの花粉や緑豆の種子が検出されており、食用植物が栽培されていたと考えられる[13]
つづいて、7世紀後半より土師器の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする擦文時代となって、この文化を8世紀までを前期、9世紀 - 10世紀を中期、12世紀頃までを後期の三期に区分する。この文化は和人(本州以南の日本人)との交易によって、12世紀頃には鉄器を持ち、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化に成熟した。
オホーツク海沿岸には、アイヌによって擦文時代が営まれていた頃、道東に漁業と海獣狩猟を中心とするオホーツク文化を持った人々が移住したが、アイヌ文化が成熟した頃に姿を消した。アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。この古代文化は、3世紀から13世紀にサハリン、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に展開された。このうち、北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推測されている。
古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場し、阿倍比羅夫と接触を持ち、奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。
中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)等様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、米や鉄等を日本人(和人)との交易で得るようになっていった。
また鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。
室町時代には渡島半島の南端に和人が道南十二館を築き居住地(和人地)を設けたことが考古学的にも確認されている。室町・戦国期には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『新羅之記録』(寛永20年(1643年)成立)があり、同書に拠れば1457年(長禄元年)に起きたコシャマインの戦いで、甲斐源氏・若狭武田氏の子孫とされる武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。
松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。1784年(天明4年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。
江戸時代後期から、シベリアからロシアが領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本と北海道近辺で接触した。中にはゴローニンや高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太・千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、1799年(寛政11年)に東蝦夷地を、1807年(文化4年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として1802年(享和2年)に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は1821年(文政4年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。
1868年(明治元年)に、新政府は蝦夷地にそれまで置かれていた箱館奉行を箱館裁判所に置き換え、すぐにその名を箱館府と改めた。ただし、旧幕府軍が五稜郭を占拠し榎本武揚総裁の率いる「蝦夷共和国」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で戊辰戦争のひとつ箱館戦争が戦われた。旧幕府側の降伏直後の1869年(明治2年)、和人地および蝦夷地(北州)には大宝律令の国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→北海道 (令制))。同年7月(天保暦)館藩(松前藩)領以外を箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ開拓使が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初は、道外の藩・士族・寺院・華族などによる幕藩体制と同様の北海道の分領支配も行われていた。
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1870年(明治3年)、根室国の花咲郡、根室郡、野付郡が東京府の所領となったが、同年末に廃止。1871年8月29日(明治4年7月14日)廃藩置県に伴い館藩の旧領(爾志郡・檜山郡・津軽郡・福島郡)に館県設置。同時に分領支配も終わり、館県以外の地域はすべて開拓使の直轄となった。同年9月(天保暦)、館県は道外の弘前県などと合併、弘前県(青森県)の一部となり消滅。明治5年(1872年)10月(天保暦)、福島郡など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管。これにより、北海道全域が開拓使の所管となる。1874年(明治7年)には開拓と北辺の守りを固めるため屯田兵の駐屯が開始された。開拓使は設置からわずか13年後の1882年(明治15年)に廃止された。
開拓使を置き換えるように北海道全体として初の近代行政区画・近代行政機関である函館県、札幌県、根室県の3県が設けられたが、当時は人口も少なく非常に偏った分布で3県体制が機能していないことから、1886年(明治19年)には道内全域を管轄する北海道庁が置かれた。明治政府の政策により多くの人が移住し、道内各地に開拓の波が押し寄せた。これにともない鉄道や国道が建設されたが、網走刑務所に代表されるように、懲役刑の一環として行われた面もある。石炭が産出されることから、数多くの炭鉱が開発され、輸送するための鉄道が縦横に張り巡らされた。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。
1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁が総理府の外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代に石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道を初めとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理した。
2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。
北海道の製造業は、太平洋側に面した大規模港湾のある、苫小牧市(苫小牧港)、室蘭市(室蘭港)、釧路市(釧路港)に発達している。苫小牧市は人口規模で札幌市の10分の1未満だが製造品出荷額で札幌市を抜く。この3市の製造品出荷額は北海道全体の実に4割を占め、北海道経済の機関車としての役割がある。なお、道内最大の都市である札幌市は消費依存型の都市で、食品加工業以外目ぼしい製造業はない。
鉄道・バス・道路は以下の項を参照。
北海道の鉄道路線、北海道の乗合バス事業者、北海道地方の道路一覧、北海道の道道一覧
重要港湾は12港、そのうち国際戦略港湾は1港、国際拠点港湾は2港。
以前は日本各地の空港と直接結ぶ路線も多様に見られたが、近年は新千歳空港乗継と東京国際空港(羽田)乗継に路線が整理縮小されてきている。
| 空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
| 新千歳 | 1773万8000人 | 1711万0876人 (911万6627人) |
道内 | 稚内・(利尻)・女満別・ 釧路・中標津・函館 |
62万7124人 | ユジノサハリンスク・ ソウル・釜山・北京・ 上海・大連・香港・ 台北・グアム |
| 道外 | 青森・花巻・秋田・ 仙台・福島・茨城 羽田・成田・新潟・ 富山・小松・松本・ 静岡・中部・伊丹・ 関西・神戸・(岡山)・ 広島・(松山)・福岡 |
|||||
| 函館 | 209万4813人 | 194万2066人 (128万9554人) |
道内 | 旭川・新千歳・丘珠・ 奥尻 |
15万2747人 | ソウル |
| 道外 | 羽田・中部・関西 | |||||
| 旭川 | 120万2693人 | 112万3426人 (88万8488人) |
道内 | 函館 | 7万9267人 | (ソウル) |
| 道外 | 羽田・成田・中部・ (伊丹・関西) |
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| 女満別 | 101万0459人 | 100万8020人 (50万5234人) |
道内 | 新千歳・丘珠 | 2439人 | - |
| 道外 | 羽田・中部・(関西) | |||||
| 釧路 | 93万8353人 | 89万0397人 (57万7102人) |
道内 | 新千歳・丘珠 | 4万7956人 | - |
| 道外 | 羽田・(伊丹) | |||||
| 帯広 | 66万7243人 | 61万2147人 (52万0026人) |
道外 | 羽田 | 5万5096人 | - |
| 丘珠 | 37万5797人 | 37万5797人 | 道内 | 利尻・女満別・釧路・ 函館 |
0人 | - |
| 稚内 | 23万4981人 | 23万4981人 | 道内 | 新千歳 | 0人 | - |
| 道外 | 羽田・(中部・関西) | |||||
| 中標津 | 22万3330人 | 22万3330人 | 道内 | 新千歳 | 0人 | - |
| 道外 | 羽田 | |||||
| 紋別 | 5万5754人 | 5万5754人 | 道外 | 羽田 | 0人 | - |
| 利尻 | 3万5662人 | 3万5662人 | 道内 | (新千歳)・丘珠 | 0人 | - |
| 奥尻 | 1万1786人 | 1万1786人 | 道内 | 函館 | 0人 | - |
| 礼文 | 487人 | 487人 | - | - | 0人 | - |
北海道の報道機関の一覧を参照。
詳細は「北海道の観光地」を参照
2008年(平成20年)第34回主要国首脳会議が北海道洞爺湖畔での開催が安倍政権により打診され、高橋はるみ知事の判断により開催が決定された。2005年(平成17年)における北海道庁の試算では警備費だけで約30億、全体では約70 - 80億円となっており、夕張市財政破綻問題を抱え、巨額の積算赤字に苦しんでいる財政難の中でさらに重たい負担が北海道にかかる見通しとなっている。
北海道を舞台にした作品一覧を参照。
「北海道出身の人物一覧」を参照
| 先代: 北海道庁 |
行政区の変遷 1947年 - |
次代: ----- |
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