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千葉市(ちばし)は、千葉県中北部の東京湾北東隅に面した市。同県の県庁所在地で政令指定都市及び業務核都市。
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県のほぼ中央部に位置し、東京都心へおよそ40kmの地点にある。地形は、臨海部および各河川下流域に広がる平地と、周辺部の台地・谷津から構成される。郊外や臨海部を中心に大規模な住宅団地が多くある一方、花見川区、若葉区、緑区などの周辺部には自然が多く残されている。かつての海岸線は現在の国道14号・国道357号・国道16号をなぞる線にほぼ等しく、遠浅の海が広がっていたが、昭和期以降の大規模な海面埋立により新たに広大な土地が誕生した。美浜区のほぼ全域及び中央区の一部がこれに該当する。現在の海岸線は中央区部分ではほぼ工業施設または港湾で占められている一方、美浜区部分には長大な人工海浜(いなげの浜、検見川の浜、幕張の浜)も造成されている。
日本で13番目に多くの人口を抱える市であり、市域には多くの国道や高速道路が集まり、また県内鉄道網の要となっている都市である。
面積も広いため地域によって気候は異なるが一般には、夏季はそれほど猛暑にはならず、冬季も暖かくて温和な太平洋側気候である。1月の平均気温は5.4℃、8月の平均気温は26.4℃、年平均気温は15.4℃である。千葉測候所のある場所は三方を海に囲まれている。そのため、海洋性気候の特色が強く出ていて、特に冬季の朝の冷え込みが市内内陸部とは大きく異なることがある。ヒートアイランドの影響も色濃い千葉測候所ではほとんど冬日を観測しない反面、若葉区、緑区などの内陸部では毎日のように冬日を観測し内陸性の特色を有している。また、標高が高い緑区の土気などでは、中心部が雨でも気温が低いために大雪の時もある。
| 千葉市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 気候表 (説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『日本後紀』大同元年正月癸巳(1月28日)条に、「千葉国造大私部直善人(直は姓)」という人物が登場しており、大化改新以前より千葉に国造が置かれていた可能性が高く、律令制成立後も下総国千葉郡と呼ばれる郡が成立した。更に『倭名類聚鈔』には千葉郡にあった7つの郷の1つに「千葉郷」と呼ばれる郷があったことが記されており、同郷は現在の稲毛区穴川・黒砂付近を指していたと考えられている。
平安時代に千葉氏の祖、平常重が千葉郡千葉郷・池田郷一帯に千葉荘を開き、池田郷亥鼻に拠点を築いて千葉介を名乗る。以後子孫が室町時代まで下総国守護職として周辺を支配した。
享徳の乱に乗じた原胤房と馬加康胤によって千葉胤宣が討たれ千葉氏宗家が滅びた後は、千葉妙見宮の小さな門前町となり、江戸時代には市域の大半が佐倉藩領(この他に市域に生実・曾我野の2小藩が置かれた)となるが、廃藩置県後木更津県と印旛県が廃止され千葉県が誕生、両県の境である千葉郡千葉町に県庁が設置されたことから、その後千葉県最大の都市となった。
市制施行により千葉市が誕生したのは、1921年(大正10年)1月1日のことである。この時点での市域は、現在の中央区の北半分から稲毛区の南東部にわたり、これは1889年(明治22年)に設定された千葉町の町域をそのまま引き継いだものであった。その後、徐々に周辺の町村を合併するとともに、海面の埋め立てを進め、現在の広大な市域が成立した。戦前、現在の川崎町の埋立地に日立航空機製作所と日立製作所などの軍施設が集中する軍都として発展したが、昭和20年6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ、市域の7割が壊滅する甚大な被害を受けた。
戦後、宮内三朗市長(名誉市民第1号)の元で大規模な埋め立てと市町村合併が行われ、京葉工業地域の中心都市として再建された。ちなみに現在の緑区のうち、旧土気町であった部分はかつては上総国山辺郡に属していた地域である。
2003年2月、隣接する四街道市の住民の発議により、法定合併協議会が設置され、合併方式を千葉市への編入とし、行政区名を「四街道区」とする方針が決まったが、四街道市議会内で合併への賛否が拮抗し、賛成派・反対派双方による発議により2004年5月16日に行われた、合併の是非を問う住民投票の結果、反対意見が賛成を上回った為に合併は白紙となった。
| 代 | 氏名 | よみがな | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|---|
| 臨時代理 | 神田清治 | かんだ きよはる | 1921年1月1日 | 1921年3月7日 |
| 初代 | 1921年3月7日 | 1924年8月3日 | ||
| 2代 | 久保三郎 | くぼさ ぶろう | 1924年8月4日 | 1928年8月13日 |
| 3代 | 神谷良平 | かみや りょうへい | 1928年8月14日 | 1932年7月10日 |
| 4代 | 財部実秀 | たからべ さねひで | 1932年7月11日 | 1933年8月8日 |
| 5代 | 加納金助 | かのう かねすけ | 1933年8月9日 | 1934年12月21日 |
| 6代 | 永井準一郎 | ながい じゅんいちろう | 1934年12月22日 | 1938年12月 |
| 7代 | 1938年12月 | 1942年12月 | ||
| 8代 | 1942年12月 | 1946年4月 | ||
| 9代 | 加納金助 | かのう かねすけ | 1946年6月8日 | 1947年4月 |
| 10代 | 1947年4月 | 1950年5月19日 | ||
| 11代 | 宮内三朗 | みやうち さぶろう | 1950年5月20日 | 1954年5月17日 |
| 12代 | 1954年5月18日 | 1958年4月19日 | ||
| 13代 | 1958年4月20日 | 1962年4月21日 | ||
| 14代 | 1962年4月22日 | 1966年4月21日 | ||
| 15代 | 1966年4月22日 | 1970年5月16日 | ||
| 16代 | 荒木和成 | あらき かずなり | 1970年5月17日 | 1974年4月22日 |
| 17代 | 1974年4月23日 | 1977年7月9日 | ||
| 18代 | 松井旭 | まつい あさひ | 1977年7月10日 | 1981年6月13日 |
| 19代 | 1981年6月14日 | 1985年6月15日 | ||
| 20代 | 1985年6月16日 | 1989年6月17日 | ||
| 21代 | 1989年6月18日 | 1993年6月19日 | ||
| 22代 | 1993年6月20日 | 1997年6月14日 | ||
| 23代 | 1997年6月15日 | 2001年6月30日 | ||
| 24代 | 鶴岡啓一 | つるおか けいいち | 2001年7月1日 | 2005年6月30日 |
| 25代 | 2005年7月1日 | 2009年5月1日 | ||
| 職務代行 | 藤代謙二副市長 | ふじしろ けんじ | 2009年5月1日 | 2009年6月14日 |
| 26代 | 熊谷俊人 | くまがい としひと | 2009年6月14日 | 2013年6月13日 (任期全うの場合) |
千葉市の行政は千葉市役所を中心として6つの区が存在する。
以下の6区で構成されている。
2000年に、市制施行80周年を記念して、それぞれの区を「イメージカラー」と「シンボルマーク」が発表された。
イメージカラーおよびシンボルマークの使用には各区の許可が必要である。ここでは色名についてのみ記載する。
| 中央区 | エネルギッシュ・レッド |
|---|---|
| 花見川区 | フラワーピンク |
| 稲毛区 | ブライト・イエロー |
| 若葉区 | フレッシュ・グリーン |
| 緑区 | エバー・グリーン |
| 美浜区 | マリンブルー |
臨海部(中央区川崎町、新浜町、蘇我町、美浜区新港を中心とした地域)は千葉港を中心とした京葉工業地域の一角をなし、中央区部分にはJFEスチール東日本製鉄所(旧川崎製鉄千葉製鉄所)、東京電力千葉火力発電所などが所在し、美浜区新港には食品や金属加工関連の事業所が多い。また、北部地域(花見川区千種町、稲毛区六方町を中心とした地域)では、鉄鋼加工や機械工業が盛んである。
戦前は旧・省線千葉駅、旧・京成千葉駅、県庁を結ぶ現・栄町通りがメインストリートとなっていたが、戦災を経て戦後の都市整備に伴い両千葉駅が移転したことで新駅周辺に商業集積が移動。特に国鉄千葉駅前にはそごう千葉店、ニューナラヤ(現・千葉三越)といった大型小売店が店舗を構えたことから、千葉県最大・関東有数の商業拠点として栄えてきたが、平成に入り、幕張新都心や、蘇我地区などの臨海部に商業施設が建設され、また、郊外での大型ショッピングセンターなどが相次いで建設された。以来、中心市街地が衰退する傾向が大きい。
概して、幕張新都心は大企業や多国籍企業が多く立地し、中心市街地(JR・千葉都市モノレール千葉駅、JR東千葉駅、JR本千葉駅、亥鼻城周辺)は古くからの地元商店街的な色彩が目立つ。
また、一部の企業が支店や支社を千葉市に置いて千葉県と茨城県を管轄下に置いているケースも見られ、小さいながらも広義の東関東の拠点都市としての機能がある。
首都圏の近郊農業地。畑作が中心だが、ブドウや梨などの果樹栽培もある。
| 千葉市と全国の年齢別人口分布 | 千葉市の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 千葉市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
千葉市の中心市街地は千葉駅から京成千葉中央駅、本千葉駅周辺、幕張新都心近辺に位置する。 千葉駅から千葉中央駅周辺には千葉都市モノレールや企業のオフィスビルや銀行などが立ち並び、百貨店はそごう千葉店や千葉三越、千葉パルコなどが林立する。また市街地中心部に位置する中央公園は市民の憩いの場として様々なイベントが行われている。JR千葉駅の駅ビルにはペリエが入居する。千葉中央駅の駅ビルにはミーオが、奥の東口には京成ホテルミラマーレが入居する。周辺地域も含めた千葉都市圏の人口は172万人に及ぶ。[要出典]
千葉駅周辺
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県庁周辺には、かつての下総国守護所があった亥鼻城跡を囲むように、千葉県警察本部、千葉市消防局、千葉地方検察庁・千葉区検察庁、千葉地方裁判所・千葉家庭裁判所など行政機関が集中する。一方、市街地は地場資本の奈良屋(後に専門店ビル・セントラルプラザ)・田畑(現・千葉パルコ)・扇屋(後にジャスコ傘下入り)といった百貨店が並び、ダイエーや丸井、十字屋、緑屋が進出するなど活況を呈していたが、現在では空洞化が深刻化しダイエー千葉店、セントラルプラザなどが次々に閉店し、その跡地はマンションや駐車場が造られ、また、市街地から少し逸れた中央区栄町地区は、かつては県下一の賑わいを誇っていたが、国鉄千葉駅が現在の位置に移転したことをきっかけに衰退、現在では風俗店が集中する歓楽街となっており、商業的には地盤沈下傾向が続いている。市は地元商店会と共に栄町の再生に取り組み始めている。
県庁周辺
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幕張新都心地区には、多くの企業が入居する超高層ビルや中高層マンション。イベントや国際会議などが開かれる幕張メッセや、千葉ロッテマリーンズのホーム球場千葉マリンスタジアム。ベイエリアには、人工海浜やヨットハーバーなどが整備されている。
幕張新都心
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※千葉市内に本部を置く大学は太字で表示 国立
私立
公立
私立
県立
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県立 |
市立
私立
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国立
県立
市立
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中学校 昭和22年から26年まで、以下の中学校はナンバースクールであった。
※四中の椿森中学校は、校舎が定まらず翌23年に開校した。
現在では、千葉市にナンバースクールがあったことを知っている人は少なくなったが、緑町中学校の校章が数字の「五」を象っていることや、中学校の名簿の順番が加曽利中学校から始まることなどに名残が残っている。
高等学校 昭和25年から36年まで、以下の高等学校はナンバースクールであった。
千葉市周辺では、今でも千葉高等学校のことを「いちこう」(一高)と呼ぶ人がいる。
千葉二高時代には、若干ではあるが男子がいて、現在でも千葉女子高等学校出身の老齢の紳士がいるらしい。
中央区中央・本町の広小路交差点は国道14号の終点と国道51号の起点を兼ねており、戦前から千葉市における国道の結節点であった。
主要地方道
一般県道
| 旧町村名 | 番地先 | 目標物 | 状態 |
| 千葉町 | 寒川字北長洲989番ノ1地先 | 羽衣公園 | 現存 |
| 蘇我町 | 今井字神明前262番地先 | なし | 不明 |
| 生実浜野村 | 浜野字東町1130番地先 | 浜野交差点 | 現存 |
| 検見川町 | 検見川字東上宿38番地先 | なし | 不明 |
| 幕張町 | 馬加字南寺口806番地先 | なし | 不明 |
| 椎名村 | 富岡字平台259番地先 | なし | 不明 |
| 誉田村 | 野田字上宿291番地先 | 野田十字路→緑土木事務所へ移設 | 現存 |
| 白井村 | 野呂字北ノ谷218番地先 | 白井小学校はす池 | 現存 |
| 更科村 | 上泉字下表耕地111番地先 | 消防団器具置場 | 現存 |
| 千城村 | 大宮字宮ノ谷688番地先 | 大宮神社 | 現存 |
| 都村 | 加曽利字田向696番地先 | なし | 不明 |
| 都賀村 | 作草部字屋舗748番地先 | なし | 不明 |
| 犢橋村 | 長沼字屋敷24番地先 | なし | 不明 |
| 土気本郷町 | 土気字馬場1727番地先 | なし | 不明 |
公営交通は無く、市域の殆どで広義の京成グループの会社の手による路線バスが運行されている。
乗降方式は一部の均一路線を除き、基本的に後乗り前降り後払い方式。整理券を用いた区間運賃制を採っている。
市内に於いて、バス共通回数券は現在発行されていない。ただし、小湊鐵道と九十九里鉄道を除く京成グループの各社ではプリペイドカードとして磁気カードのバス共通カードが使用可能であり、またこれら各社は非接触型ICカードであるPASMOを導入する予定である。
2010年~はJ2
東京湾を望む幕張地区(美浜区)に、全国的に有名なイベントや会議などが開催される複合的コンベンション施設の幕張メッセや、千葉ロッテマリーンズの本拠地千葉マリンスタジアムなどがある。近年では、「花の都・ちば」を都市イメージとして確立すべく事業を展開している。
| 番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
| 1 | 重要文化財(工芸品) | 短刀 銘国俊 (名物愛染国俊) | 千葉市 | 個人 | 昭和10年4月3日 | - |
| 2 | 史跡 | 加曽利貝塚 | 若葉区桜木町141他 | 千葉市 | 昭和46年3月22日 | 縄文時代中期から後期。日本最大級の馬蹄形貝塚。 |
| 3 | 〃 | 月ノ木貝塚 | 中央区仁戸名町289-1他 | 千葉市・他 | 昭和53年3月16日、平成14年3月19日 | 繩文時代中期から後期。馬蹄形貝塚。 |
| 4 | 〃 | 荒屋敷貝塚 | 若葉区貝塚町726-1他 | 千葉市・他 | 昭和54年3月13日 | 縄文時代中期前半。馬蹄形貝塚。 |
| 5 | 〃 | 犢橋貝塚 | 花見川区さつきが丘1-18 | 千葉市 | 昭和56年12月9日 | - |
| 番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 登録年月日 | 備考 |
| 1 | 建造物 | 千葉市民ギャラリー・いなげ(旧神谷伝兵衛稲毛別荘) | 稲毛区稲毛1-8-35 | 千葉市 | 平成9年5月7日 | 大正7年竣工。鉄筋コンクリート2階建。 |
| 2 | 〃 | 千葉トヨペット本社(旧勧業銀行本店) | 美浜区稲毛海岸4-5-1 | 千葉トヨペット株式会社 | 平成9年7月15日 | 明治32年6月竣工。昭和40年に現在地に移築。木造2階建。 |
| 3 | 〃 | 千葉県水道局千葉高架水槽 | 千葉市中央区矢作町670(誉田給水場千葉分場内) | 千葉県水道局 | 平成19年7月31日 | 昭和12年2月竣工。正12角形の配水塔。高さ30m、5階建。土木学会選奨土木遺産。 |
もともとの市外局番は「0472」だったが、政令指定都市昇格4週間後の1992年4月29日から「043」に変更され、市内局番は200番台になった。新規加入は300番台が割り当てられる。(ちなみに市外局番「0434」であった佐倉市、四街道市、八街市なども同日に「043」になり、市内局番は400番台になった。) ただし、花見川区の八千代市に接している一部の地域(柏井町・柏井・横戸町・横戸台など)は買い物等の生活基盤が八千代市であること等を理由に住民の希望(NTTの都合の説もあり)で市外局番が「047」となっており、同じ千葉市内でありながら「043」地域から「047」地域に電話をする際(逆も)には市外局番からかけなければならない。
「花の都・ちば」のシンボルキャラクターとして、ちはなちゃんが使用されている。パンフレットや看板などによく印画されているため、街中でも見る事ができる。
公式
観光
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This text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. Last update: 2010年3月16日 22:33:09:JST