| しこくちゅうおうし 四国中央市 |
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| 四国中央市市章 | |
| 国 | |
| 地方 | 四国地方 中国・四国地方 |
| 都道府県 | 愛媛県 |
| 団体コード | 38213-2 |
| 面積 | 420.57km² |
| 総人口 | 89,588人 (推計人口、2012年1月1日) |
| 人口密度 | 213人/km² |
| 隣接自治体 | 新居浜市 香川県観音寺市 徳島県三好市 高知県土佐郡大川村・土佐町、長岡郡大豊町・本山町 |
| 四国中央市役所 | |
| 所在地 | 〒799-0497 愛媛県四国中央市三島宮川四丁目6番55号 |
| 外部リンク | 四国中央市 |
| ウィキプロジェクト | |
四国中央市(しこくちゅうおうし)は、愛媛県の東端に位置している都市。四国3県に接している。
2004年(平成16年)4月1日に愛媛県の東端に位置する川之江市(かわのえし)・伊予三島市(いよみしまし)・宇摩郡土居町(うまぐんどいちょう)・宇摩郡新宮村(うまぐんしんぐうむら)が合併して生まれた。
将来、道州制が導入される場合の道庁所在地ないし州都に成る事を目指して命名[1]。
発足時の人口は約9万6000人(登録人口)。
目次 |
高速道路が交差する交通の要衝であり、60km 南に高知市、70km 北東に高松市、80km 西に松山市、100km 東に徳島市が位置する。高速道路網の整備により、川之江ジャンクションと川之江東ジャンクションを持ち、四国の「エックスハイウェイ」が交差する中心地となっている。
市の南部に東西に連なる法皇山脈の山々が屏風のようにそそり立っている。平地は山地の北側に細長く展開し、北は燧灘に面している。中央構造線が山すそに沿って、東西に走っている。法皇山脈の南側に吉野川の支流の一つである銅山川が東流し、そのさらに南には高知県との境をなす四国山地の山々が連なっている。
全般には温暖で穏やかな瀬戸内型気候に属する。北に海(燧灘)、南に山(法皇山脈)という地形から、日本海側気候の特徴も若干持つ。
松山、高松など、瀬戸内の他の都市に比べて、日照時間が2割程度少ない。これは平野部が狭く、燧灘を吹き渡って来た風が法皇山脈にぶつかり上昇して雲を発生させやすいためである。移動性高気圧型のときに顕著で、午前中はほとんど曇っており、気温が上がる昼前になってようやく雲が消え晴れてくる。同じ燧灘に面している新居浜や西条は平野部が広いため日照時間が長い。
平野部は気温が下がりにくい。冬の最低気温は松山や宇和島より高く、冬日は1年に1〜2回程度である。これに対し山間部の新宮町や富郷町は冷え込みが厳しい。また、山間部には湿った空気が集まりやすく、降水量が平野部の1.5倍に達している。
春先を中心に、やまじ風という南寄りの突風(日本三大局地風の一つ)が吹き、農作物や家屋が被害を受けることがしばしばある。
市域で発見された遺跡から、この地方に人が住みはじめたのは1万2000年以上前と考えられる。最初に人が住んだのは金生川流域の丘陵地帯で、その後縄文時代から弥生時代にかけて海岸の平野部に生活の範囲が広がっていった。
古墳時代中期には木梨軽皇子の墓といわれている東宮山古墳が作られている。古墳時代後期の6世紀になると丘陵地帯に古墳が作られるようになった。7世紀前半には四国最大級の石室を持つ宇摩向山古墳が作られた。急峻な山地と狭く長い平野のため、大きな権力を持つ社会の形成は遅かったようである。
大化の改新後、この地域は宇摩郡と呼ばれるようになり、古代官道など交通網の整備によって南海道に伊予国大岡駅が設けられ、中央から伊予・土佐への交通の分岐点となった。この宇摩郡と四国中央市の市域はほぼ一致する。
1636年から1642年の7年間川之江藩が存在した。藩主一柳直家が病没し、養子一柳直次への相継が幕府に認められず播磨国へ転封となった。その後宇摩郡の村々は徳川幕府、今治藩、西条藩の領地が複雑に入り組む状態となった。幕府領の陣屋を川之江に置き、周辺にあった新居郡、讃岐国那珂郡や小豆島の天領を支配していた。
明治維新後、交通手段が徒歩から船や鉄道に変わると、川之江の交通の要衝としての重要性は相対的に低下した。篠原朔太郎の研究により機械動力を利用した製紙業が行われるようになる。第2次世界大戦後は近代的製紙業の発達とともに急速に発展した。
1878年 川之江村に宇摩郡役所が置かれた。
1889年 町村制の施行により、郡内の51村が合併し23村になった。川之江・二名・金生・上分・金田・川滝・新立・上山・松柏・三島・中曽根・ 中之庄・寒川・豊岡・金砂・富郷・野田・津根・小富士・土居・満崎・関川・ 別子山(1898年から1952年にかけて、三島・川之江・上分・金生・寒川は町制を施行)
1954年 宇摩郡の各町村が合併し、川之江市、伊予三島市、土居町、新宮村、別子山村が誕生した。
2003年 別子山村が隣接する新居浜市と合併。
2004年(平成16年)4月 川之江市、伊予三島市、宇摩郡土居町・宇摩郡新宮村が合併し四国中央市となる。
戦国時代には、四国でも産業が発展し各国の交流が増加した。それに伴い、交通の要衝として戦略的に重視されるようになり、たびたび讃岐・阿波・土佐から侵略をうける。3つの国境に接する市域の東部では特に防衛のための砦が多く築かれ、現在もいくつかの遺跡が残されている。
金生川の河口は川の江と呼ばれ、河口付近の浅瀬を港として利用されるようになった。江戸時代に入ると土佐街道の始点として商業が発達し、港町として発展した。土佐藩が参勤交代の経路として四国山地を越える土佐街道を利用し、宿場町として栄えた。
1985年(昭和60年)3月に、四国で初めての高速道路、土居インターチェンジ〜三島川之江インターチェンジが開通した。
2000年(平成12年)3月に、川之江東ジャンクションの供用開始により、川之江ジャンクションと併せて四国の「エックスハイウェイ」が完成する。
因みに、市内中曽根町の三島公園に四国高速道路発祥地の碑、また、柴生町の四国高速道路クロス地点展望台に四国高速道路クロス地点モニュメントがある。
製紙、紙加工業において日本屈指の生産量であり、紙製品の出荷額は6年連続日本一[2]。
その他を含めた工業製造品出荷額は約6,000億円余りと、高知県全体の工業製造品出荷額5,400億円を凌いでおり、四国では西条市に次ぎ第2位、全国では第101位となっている。
大王製紙やユニ・チャームの上場企業をはじめ、複数の企業が本社や本部を置いている。また中堅の製紙メーカーも複数所在している。しかし、大王製紙をはじめとする製紙工場による公害が顕著である。
大型商業施設にはイオンやフジグランなどがある。また、地元スーパーチェーン店のママイをはじめ、食品スーパー、ドラッグストアー、ホームセンター、家電量販店、書店など県内外の企業が出店している。川之江栄町商店街、伊予三島駅前商店街、土居町商店街などの商店街もある。
近年、四国縦貫自動車道と四国横断自動車道が交わるジャンクションが当市に完成したことで、三島川之江インターチェンジ周辺の立地条件が見直され、付近への商業集積が著しくなってきている。なお当市の小売業商品販売額は、2,600億円余りで四国第8位となっている。[3]
| 四国中央市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 四国中央市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 四国中央市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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四国中央市(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
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四国4県都へ放射線状に高速道路が延伸している四国中央市では、殆どの高速バスが市内を通過する為、三島川之江インターチェンジには1日50便以上の高速バスが停車する。
四国中央市はその名前の奇抜さ故に、市内だけでなく、全国的に批判の対象となる事が多い。市名が批判される理由として以下のような理由が挙げられる。
地元の郡名である「宇摩」を採用せず、四国から消滅させた理由について、旧伊予三島市長の篠永善雄は読売新聞東京本社文化部の取材に対して以下の趣旨の発言を残している[4]。
また公募で寄せられた数は「宇摩市」が1位で、「四国中央市」は5位であったにもかかわらず、篠永善雄前市長は「論議を呼んでいるが、反対意見は一部だと思う。 名称変更は考えていない。賛成する市民も多く、自然体で年月の経過を待ちたい」と話している[5]。
地元周辺では、市名を「しこちゅう」と省略して呼ばれることもある。また、2ちゃんねるなどのネット掲示板などでは、「シコ厨」と表記されることもある。
香川県や徳島県と愛媛県を往来する車両のほとんどが四国中央市の狭い平野部を通過する為、慢性的な交通渋滞が問題となっている。近年、海岸線や国道11号川之江三島バイパスが整備され、旧三島地区で渋滞がやや緩和されたが、バイパスと国道11号の分岐点となった中之庄町交差点で大渋滞が発生するなど、新たな問題点が発生した。また、バイパスの終点付近にある具定橋西側に市道が接続された為、それが渋滞に拍車をかけているのが現状である。
また、三島川之江港に建設中の金子多目的国際ターミナルが完成すると、現在慢性的に渋滞している国道11号港交番前交差点に多目的国際ターミナル線が接続され、大渋滞となることが想定されることから、平成24年度の供用を目指し港交番前交差点周辺で拡幅改良の為の用地買収を行っているところである。
日本有数の紙の町として発展してきた一方で、製紙工場から垂れ流される汚水によって、燧灘の海底にヘドロが堆積したり、奇形魚が獲れたりするなど、昔から大気汚染や悪臭などの公害に悩まされ続けてきた。
公害の酷さに近隣の漁協などから苦情が多発した為、企業側も浄水設備や超高層集合煙突を設けるなど本格的な環境対策に乗り出してから、現在では河川に魚の姿が多数見られるようになり、以前ほどの強烈な悪臭もしなくなってきた。
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