| 堂本光一 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 堂本光一 |
| 別名 | 光ちゃん、王子 |
| 出生 | 1979年1月1日(31歳) |
| 血液型 | B型 |
| 学歴 | 東海大学付属望星高校卒 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | 歌手 俳優 シンガーソングライター タレント |
| 担当楽器 | ボーカル ギター |
| 活動期間 | 1992年 - |
| レーベル | ジャニーズエンタテイメント |
| 事務所 | ジャニーズ事務所 |
| 公式サイト | 公式ウェブサイト |
堂本 光一(どうもと こういち、1979年1月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身の男性アイドル、歌手、俳優、タレント、作詞家、作曲家、シンガーソングライター。 ジャニーズ事務所に所属するKinKi Kidsのメンバー。 血液型・B型。愛称は光ちゃん、王子、昔はどうもっちんなど。 身長168cm。芦屋市立朝日ヶ丘幼稚園・芦屋市立朝日ヶ丘小学校・芦屋市立山手中学校→港区立三河台中学校・東海大学付属望星高等学校卒業。 KinKi Kidsの相方・堂本剛と名字が同じなのは偶然で、縁戚関係は全く無い。
目次 |
小学校6年生の時、少年隊ファンの姉が送った履歴書がきっかけでジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川から電話が入り、神戸で行われた光GENJIのコンサートに招待される。 その後1991年5月5日、横浜アリーナでの光GENJIのコンサートに招待され、そこで堂本剛と共に事務所に入る。 1992年堂本剛と2人でグループを結成。以後、テレビドラマ・映画・舞台・バラエティ番組などに出演するようになる。1993年4月4日、ABCテレビ『KISSした?SMAP』にて初めて「Kinki Kids」[1]のグループ名を発表。 1997年7月21日、シングル『硝子の少年』、アルバム『A album』の同時発売でCDデビュー。 デビューから29作連続でオリコンシングルチャート初登場第1位を継続、今なお自身で記録を更新中である。ギネス・ワールド・レコーズにも掲載されている。
2006年7月12日堂本光一として『Deep in your heart/+MILLION but -LOVE』の両A面CDをリリースしソロCDデビュー。 同年1月発売のサウンドトラック『KOICHI DOMOTO Endless SHOCK Original Sound Track』 (2006年度日本ゴールドディスク大賞サウンドトラック部門受賞)を始め、ソロ名義作品は2002年から既に5作品をリリースしていたが、ソロでCDシングルを出すのはこれが初めてとなった。 KinKi KidsとしてCDデビューする以前からドラマのエンディングにてソロの楽曲を披露していたがソロデビューはまだしていなかった[2]。
2009年現在までに3度、ソロでの全国ホールツアーを行っている。いずれも光一自身による構成・演出・総合プロデュースとなり、2004年『KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2004 1/2』、 2006年『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 "mirror" 〜The Music Mirrors My Feeling〜』と題したツアーでは、2004年は「それまでの堂本光一の集大成」として過去と現在を総括した内容で構成、2006年はファーストソロアルバム『mirror』を中心に構成・展開した。2009年『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2009 -Best Performance and Music-』は、「今回はたくさんの人に背中を押されて始まった」と本人が語った3年振りのソロ活動に伴う全国ツアーだったが、「“今の自分だからこそ表現できるもの”を届けられたら」という想いでツアー、ステージを敢行した。2004年は30万4千人、2006年は33万人、2009年は30万2千人動員とのメディア発表。また、2009年のツアー最終日に、2010年のソロアルバム発売と全国ソロツアー開催を発表した。
1993年『ANOTHER』、1997年『kyotokyo』、1999年『MASK(初主演)』を経て、2000年から『SHOCK』シリーズの座長・主演を務める。 『SHOCK』は、2000年の初演から2009年現在まで10年連続で毎年開催されており、2006年に通算400回公演、2008年公演初日に通算500回公演、2009年3月30日の千秋楽で通算651公演を達成。 2009年3月12日夜公演で、帝劇単独主演記録625回(森繁久彌)を23年ぶりに塗り替えたと東宝より発表された。これは単独主演では97年の歴史を誇る帝劇史上最速記録にもなる。 2008年4月『Endless SHOCK』が第33回「菊田一夫演劇大賞」を受賞。高い舞台成果に対しスタッフ・出演者一同に贈られたもの。同演劇賞ではジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が2002年に特別賞を受けたが、同事務所の所属タレントが大賞を受賞するのは初めて。 堂本光一は『Endless SHOCK』では、脚本・演出・音楽にも参加している。『SHOCK』シリーズとしては2006年の『Endless SHOCK』で終了の予定だったが、約14万の座席数に200万を超える応募があったため、翌年の再演が決定した。 2010年は『SHOCK』シリーズ10周年記念として全100回の公演が行われると発表された。(2010年2月14日(日)~3月30日(火) ・7月4日(日)~7月31日(金) )
1993年公開の映画『200X年 翔』が映像での俳優デビュー。 その後オーディションを受けた『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』に出演が決まり、『家なき子2』『銀狼怪奇ファイル〜2つの頭脳を持つ少年〜』等で注目を集める。非科学的で現実離れした役が多く、それを得意とする90年代土曜グランド劇場の顔の一人でもあった。 2007年から2008年に掛けてドラマと映画で主演した『スシ王子』では、初めての本格コメディーへの出演となった。
2006年にはフジテレビ系アニメ『獣王星』(樹なつみ原作)で主人公トールの声(青年期)を演じ、初の声優挑戦となった。(主題歌も担当)2008年には主演映画『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』のキャンペーンの一環として『クレヨンしんちゃん』にKAT-TUNの中丸雄一と共にゲスト出演した。
KinKi Kidsとして、堂本光一として、90年代から様々なジャンルの番組を担当し、現在は『新堂本兄弟』で司会を務める。
作詞・作曲も手がけ、ソロシングル・アルバムともほぼ全ての曲を自身で作曲している。 KinKi Kidsのデビューから現在までのKinKi Kidsのシングル・アルバム、また、自身の舞台サウンドトラックにも作詞・作曲(作曲のみ含)をした楽曲が収録されている。 他者への楽曲提供も行っている。(NEWS『private hearts』、KAT-TUN『Change』、滝沢秀明『dream boy』など)[3]。作曲は1997年の処女作『MY WISH』以来、主にギターを使って行ってきたが、2004年に初めて舞台音楽を制作した際はそれまでと違った手法を用いた。マイナーコードの曲を作ることが多い[4]。ソロでのCD、グループでのCD共に、コーラスの歌入れ、ミックス、トラックダウンなどを自らする場合が非常に多く、レコーディング期間中はスタッフと毎日朝まで話し合いながら作る事が多いとのこと。また、ソロの映像作品のほとんどの編集にも細かく立ち会う。CDシングル、CDアルバム、ビデオ、DVD等の作品への関わりもそうだが、コンサートの構成、演出等も、スタッフと話し合いながら自身で細かく行う[5]。作詞作曲時の名義は「堂本光一」がほとんどだが、「K.Dino」と明記されることがある。「K.Dino」の由来は、F1のチーム・フェラーリの創始者・エンツォ・フェラーリの息子であるアルフレード・フェラーリの愛称“ディーノ”から取られている。
父親、母親、3歳年上の姉(既婚)、本人の4人家族である。 家族は仲が良く、本人も「自分の生まれ育った家庭が理想」「父親を尊敬している」と度々口にしている。父親は温厚で丁寧な人、母親は控えめだが明るい人だという。父親の身長は180cm以上と長身だが、本人は成人した今も170cm未満のため、「もう少し身長が欲しかった」と話す場合もある。『光一』という名前の由来は、母曰く「父親の名前の一字をとって、光一と命名」[6]。本人は「1月1日の朝生まれたので「光る一番」と言っている[7]。
2009年3月に、メスのチワワ(2009年1月9日生まれ)を飼いはじめた。名前は「パン」で、誰にでもお腹を見せるほど人懐っこい。しかし、所属事務所の社長ジャニー喜多川に初めて会った時はなぜかあまり関心を寄せず、二度目に会った時に「You!この子すごいよ!」と言われるほどに懐いた。
自他共に認める仕事人間である。ライヴや舞台等では空間すべてを使った演出を得意とし、特にソロでは、音に合わせて駆使された照明・ダンスを取り込んだ演出が多い。「普段は聴こえることのない音や間を目でも楽しんで貰えるステージを作りたい」「その“ひととき”は日常を忘れて楽しんでもらえるように」ということを心掛けている。ステージ作りついて本人は、「自分らしさというものは絶対に持ってなきゃいけない。だけど、それが独りよがりになってしまっては楽しくない。そこにはやっぱりお客様が見に来るというのが大前提で、その中でどうお客様を楽しませようか、というのを考えるのが一番大事なこと。」[8]「僕は作品を作る駒のひとつ」「みんなで作り上げる作業が好き」と語っている。
今までの人生は全て自分で選んで歩んできた道で後悔はひとつもないと言い、自身に関わる人や育ってきた環境への敬意を根本に強く持っている[9]。 共演者、仕事仲間からは「非常にストイック」「プロフェッショナル」だと評される。本人も「決して自分に満足することはない。これでもかと思ってやるが、まだ何か出来るだろうと思い、何かが終わってもそれに満足したことはない」というが[10]本人としてはストイックと言うよりは、何事もしっかり事前に準備をして、常に全力で挑みたいと言うことの様だ[11]。
自分から友人や知人を食事等に積極的に誘うことが苦手なため、相手側から誘ってもらえるのを待っていることが多いというが、一人の時間も、みんなでワイワイしている空間にいるのも好きとのこと。冗談も好きで「親父ギャグや下ネタは、打ち解けるために、僕はありだと思ってますからね。男同士は特に。」と語っていたことがある。
バラエティ番組での心掛けを聞かれて、「トークが苦手そうなゲストの時は自分が出て行って、出来るだけ居心地の良い空間を作るようにすること。」「おもしろいかどうかは見る人の判断だけど、人を落とさず自分を落とすこと。」と答えている。ファンへの想いとしては、「みなさんが楽しめる様に」ということを一番に考えている[12]。
メディアやファンから「王子」と呼ばれる事もある。その他には、左右とも0.02の視力(コンタクトレンズを着用)、乾燥肌、花粉症、貧乏揺すりの癖などがある。体脂肪は6%~10%。
車好きで、携帯の待ち受けは愛車のエンブレム、着信音はF1、19000回転のエンジン音である。そのため車に関する話題が多く『KinKi Kids どんなもんヤ!』のソロコーナーは、毎週F1・車の話題である。2006年3月からは雑誌『GRAND PRIX SPECIAL(F1グランプリ)』(ソニー・マガジンズ)で「F1賛歌」を、2007年からは東京中日スポーツ紙上でF1に関するコラムを連載している。F1に詳しく、2000年と2002年にフジテレビF1中継にゲスト出演した際には、その知識と熱意を知られ、以後川井一仁と親交を深めるようになる。また、2009年10月に鈴鹿サーキットで行われた2009年日本グランプリにFIA唯一の公式VIPゲストとして招かれ、前夜祭イベントやフジテレビF1中継等に出演した。F1に異常に詳くなったきっかけは、幼い頃によくしてくれた近所のお兄さんが好きだったから。2005年9月には、「最後になるかも知れないスパを体験しておきたい」という理由で、スケジュールを調節し、プライベートでベルギー・グランプリを観戦に行った。憧れの人はアイルトン・セナで、ドライビングスタイルだけではなくその人物自体にも非常に強く惹かれている。また、ミハエル・シューマッハにも憧れており、タイヤメーカーのプレスミーティングでミハエルの3m前を歩くという機会に恵まれた時は、緊張して振り向く事が出来ず足早に遠ざかってしまったことがある。[13]
好きなアーティストはBon Joviなど。幼少期は母親の影響でTOTOなどを聞いていた。音が好きなためか、オーディオやヘッドフォンにもこだわりがあり、近年は自身がライヴで使うイヤーモニターと同じものをオーダーメイドで作ってもらい、プライベートでも愛用している。お気に入りの曲は串田アキラの『宇宙刑事ギャバン』。『LOVELOVEあいしてる』やライブで歌ったこともある。
好きな飲み物はコーラで、コンビニで売っている氷をグラスの半分まで入れて飲むのが定番[14]。好きな食べ物は、水分の多い果物、桃、イチゴ、タコ、イカ、もずく、豚の生姜焼き、餅、味噌汁(ネギ多め)。甘い物は苦手だが、チョコレートは食べられる。ただし、チョコレートケーキは食べられない。苦手な食べ物は、おにぎり、臓物系の料理、生クリーム、あんこ、パクチー、ナス等。大福やタイ焼きは外側の皮しか食べない。お酒はビール、ワインなどを嗜む。
野球好き。プロ野球では巨人ファン。元巨人の選手、川相昌弘のファン。しかし最近はあまり野球の話題を知らず、2006年頃は新庄剛志の引退はもとより、日本ハムに移籍した事すら知らなかった。2000年に収録現場でバッタリ会った巨人の上原浩治選手にストレートの投げ方を教えて貰った事がある。
ゲーム好き。とくにファイナルファンタジーシリーズ(FF)は子供の頃からも含めて、すべてクリアしている。中でもFF10がお気に入りで[15]FF10でワッカ役を演じていた声優中井和哉と獣王星で共演した際は嬉しかったと言う。その後、中井に自身のライブDVD『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 mirror~The Music Mirrors My Feeling~』のCMでのナレーションを依頼している。FFシリーズのオンラインゲームについても、当時ジャニーズJr.だった秋山純に誘われ、植草克秀との交流を深める触媒となった。その他に最近はPOKIPOKIと言うネットゲームにはまってる[16]。
流行やブランドにはこだわりや関心がほとんどないが、[17]クロムハーツを気に入っており、同ブランドのクロスネックレスをよく身に付ける。また、稽古着としてジャージやウインドブレーカーを愛用している。
好きな科目は理科で[18]、F1も専門的な構造から、自動車の動く仕組み、飛行機がなぜ飛ぶか、表面張力や水の素晴しさ、色の不思議、オーディオ、配線など、好きな事に関しては雑学的な事まで詳しいが、興味のない事に関しては一般的な知識、認識が低い。
無類の子供と動物好きである。特に猫が好きだが猫アレルギーである。昔は「ウニ」「ゆず」という名前の猫を飼っていた。
芸能活動が多忙になり途中から高校に通えなくなったため、単位を通信制に持って行き、通信制で5年かけて卒業した。(光一が行っていた東海大学付属望星高校は、単位制と通信制の両方がある。)
事務所に入ろうと思ったきっかけの大きなものとしてミュージカルへの憧れがあった。15歳時のインタビューで将来の夢を聞かれた時には、「歌も踊りも芝居も全て入っているミュージカルをやりたい。」と答えている[19]。
ライフワークとも言われるSHOCKという舞台に関して、光一は、「色んな意味で自分の人格形成された場所。生き方や仕事のやり方があの舞台を通じて出来てきた。」「SHOCKという物語の中の主人公は舞台人として、ある意味、究極の存在。その存在に現実の自分が負けてしまうと演じられない。だからいつまでも慣れることはない。」「全公演、一度も手を抜いたことはないと言うことだけははっきりと言える。」[20]と語る。2009年、SHOCKを観劇に訪れた森光子と「(『放浪記』を2000回以上演じ続ける森にとって)走り続けることの意味とは?」「バランス。」と言う会話を交わしている。また常々、「舞台やステージは皆で作るもの」と言い、菊田一夫演劇大賞を受賞した際も「全員の力で頂くことが出来た。とにかくひとつになることを大切にしてきた。スタッフ、キャストがひとつになって作り上げてきたこの舞台でこのような賞が頂けて本当に嬉しい。」と語った。今では、SHOCKのキャストスタッフ含めカンパニー全体が双方向で思いやれる絶対の信頼関係があるとそれぞれが各所で語っているが、この関係について本人は「“うらやましいでしょ?”と自信を持って言える。」と語っている。(光一がこのような発言をするのは珍しいこととインタビュアーが後記している。)[21]
2009年3月12日に帝劇単独主演記録を更新した際は、「(625回は)あっという間だった。自分では漠然としていてわからないが、“一公演一公演、大事にしていこう。”というのが、“何回”というのを目標にするのではなくて、結果的に“何回”やらせて貰えたとう事に繋がったのだと思います。」と話した。
SHOCKシリーズの初演となる2000年の『MILLENNIUM SHOCK』の公演中に太股の筋肉断裂、2002年6月の『ショー劇・SHOCK』再演の初日に足の靱帯損傷という大怪我を負った。両公演ともサポーターや添え木をして1ヶ月の公演をやりきったが、「足を運んでくださったお客様とスタッフキャストへの申し訳ない思いと、動けない自分への悔しさと、全力で届けなければという思いでいっぱいだった」という。2002年の初日カーテンコールでは、「自分の不注意から怪我をして、全力のショーをお見せできず、申し訳ありません」と涙を見せ、その涙に自分でも戸惑っていた。後に光一は、「怪我をしてしまった日に、東宝さんから“足を怪我していても他に魅せ方はいくらでもあると思いますよ。”と言われて救われたし、力になった。」と語っていた。毎年、スケジュール面でも体力面でもギリギリの過酷な公演回数のため、体調などによっては限界を超えてステージに立つこともあり、「そこで初めて自分の限界を知ることができる。限界を知らなければ、自分の足りないところもわからない。」と言い、「年齢を重ねると、言い訳出来ないことも多くなってくる。自分を追い込んで初めて持てる自信というものは、大きな力に変わると思う。」と話している。
観劇する立場としては、先輩や後輩、交流のある俳優女優の舞台を度々観劇に訪れている。また、ラスベガスとニューヨークでもショーを見る機会があった。(2002年には、『O(オー)』を見て刺激を受けたと語っている。)
番組の企画で受けたソフトボール審判資格実技テストの時、雨に濡れないようにと帽子やタオルをスタッフに渡されたが、「皆濡れてるのは同じ。」と頑として特別扱いを受けるのを断った。また、台風直撃のため途中で中止になったライブ公演[22]の際、「(規制退場の間)皆濡れて待ってるのに、自分達だけ中で暖まってる訳にはいかない。」とステージに戻り、ステージから最後のファンが退場するまで見送った。
光一が主演を務めた『スシ王子!』の監督堤幸彦は、「(光一は)稀代のエンターティナー。」「狙い通り。(光一の)独特な憂いのある雰囲気が僕は好きで、その陰みたいな部分があるからこそシュールな役どころを上手く演じることが出来る。多面的な要求に見事に応え切る素晴らしい才能の持ち主。」「米寿司を演じるのは大変だったと思う。寿司を握る練習、99%代役なしで挑んだ過酷なアクションシーンなど、非常にストイックで真面目。身体能力という点では、日本の俳優の中でトップクラス。体がよく動き、なおかつ綺麗で凄い。」と言い、共演の山下真司は、「『スシ王子!』は自分の芸能生活28年の中でいちばん大変な撮影だった。スケジュールが厳しく、毎日ほぼ24時間働き続けているような状態だったが、光一だけが寡黙に集中力を途切らせることなく頑張っていた。格好良くてよく働く。養子になって欲しいくらい。サメのように泳ぎ続ける堤幸彦監督と光一くんがタッグを組む作品には覚悟して臨まないと殺されます。」と冗談交じりに話した。
大怪我を負ってしまった舞台[23]が幕を閉じた後、共演していた風間俊介に、「(光一は)嘘つき。絶対痛いはずなのに“痛くない”ってずっと言っていた。」「でもかっこよかった。」と暴露されていた[24]。
少年隊の植草克秀は、「(光一は)自分は頑張ってるんだってことを自ら言葉にしないところも男らしい。でも、とても繊細な人でもある。光一が自分で言わないなら俺が代弁してあげるのもいい」と語っている[25]。
KAT-TUNの亀梨和也は、「光一くんのバックダンスを担当していた当時は、色んな意味で光一くんの足を引っ張っていた。人の前に立ってはじめて気づく大事な事を気付かせてくれた光一くんは偉大。」と答えている[26]。同じくKAT-TUNで、スシ王子!でドラマ・映画でも共演した中丸雄一は「凄く尊敬出来る人。お手本。(光一が)現場に台本を持ってこない事にびっくりした。共演出来た2007年は素晴らしかった。」という[27]。
ブラザートム曰く、「光一は働くことに対してすごく真面目。真正面を見て、誰が来ても引かない。堂々としていて、かわしもしない。とにかく頭がいい。ボケもうまいし、何もかもデキる。だけど、何にも気にせずにやってるのがいい。」「光一は全く誰にも似てないから、突き抜けていっちゃうよ。オリジナルで。」
『LOVELOVEあいしてる』・『堂本兄弟』・『新堂本兄弟』プロデューサーのきくち伸は光一を、「早くから完成されていた天才仕事人。だが、いつまでも少年の心を持ち続けている。」「プロフェッショナル」と評した。
山下達郎は、「堂本光一という人は小柄なんだけど、彼が一人きりで横浜アリーナのステージに立って見得を切ると、もうほれぼれするくらい大きく見える。華がある人は最初からある。」と彼のソロコンサートを見た後に語っている。
堂島孝平は、「(光一は)トラディショナルの大切さをすごくわかっている。ジャニーズとしてのあり方や自分の育ってきたバックグラウンドに対する敬意をものすごく感じる。」と語っている。
北大路欣也は舞台を観劇し、「(光一の)集中力とスタミナとパワーはここに原点、根があるんだと思いきり納得した。」と語った。北大路は、共演した光一と中丸雄一の印象を聞かれ「礼儀正しくてチャーミング。」「(光一の)アクションは、焦らず騒がず手を抜かず、静かだけどすごい“熱”を感じる。」と答えた。
ジャッキー・チェンは、2000年の『MILLENIUM SHOCK』と2005年の『Endless SHOCK』を観劇したことがあり、2005年のSHOCK観劇後に仕事で会ったTOKIOの松岡昌宏に、「光一は素晴らしい。SHOCKは素晴らしい。」と絶賛して話したとのこと[28]。
本人は「僕を天然ボケだと思っている人は僕の手のひらの上で転がされているんですよ。」と笑うが、共演者達からそれを証明する様々なエピソードが語られている。
その風貌によりメディアやファンから「王子」と呼ばれている。オヤジギャグを得意とし、小中学生のような下ネタを番組内で連発するなど、言動はその呼称とはかけ離れているものの様々なエピソードがある。
及川光博から「王子を譲る」「日本の王子は君だけ」と言われた。関ジャニ∞の大倉忠義からは「24時間王子である」と言われ、光一が主演を務めた『スシ王子!』 の監督である堤幸彦は、「王子といえば光一だろう」と思い光一に出演を依頼したと語っていた。また、幼少の頃の写真に白馬に乗った写真がある。 TOKIOのメンバーに光一の部屋には噴水とかメリーゴーランドがありそうと言われ、TOKIOの国分太一は「光一の笑顔はジャニーズの王道」と表現しており、TOKIOの山口達也は、「光一のタンクトップ姿は世界で一番セクシー」と表現していた。また、合宿時代を共にした岡田准一曰く、きれい好きの光一の部屋だけは、常に整理整頓されていた。また光一があまり部屋から出てこなかったため「噴水があるんじゃない?」と噂していたことがあった。
『DEATH NOTE』の夜神月(キラ)に似ているとよく言われる。実際に『新堂本兄弟』で高見沢俊彦に言われたことがある。高見沢は国宝・阿修羅像に似ている人物として光一の名を挙げている。
どのような男性を「白馬の王子様」として憧れるか、match.comが調査したところ、2位に光一の名前があがった。ORICON STYLEがチョコを渡したい有名人(アーティスト部門)を調査したところ、4位に名前があがり、また同会社が行った抱きしめてほしい男性有名人の3位に名前があがった。
滞在先のホテルの鏡に男性の姿を二度見た後、部屋の照明がすべて落ちたり、睡眠中に金縛りにあって老婆に乗られたり、違う場所で眠っていた母親と同じ日の同時刻に『明らかに自分の手ではない揺らめく手』を同時に見るなど、不思議な体験をしたと話すが、「理科、大好きなんで。」と前置きをし、不思議な力を否定するわけではないが本人は「気のせい」と気にしないようにしているらしい[36]。
本人は自分の声があまり好きではないと言っていたが、福山雅治のラジオ番組で視聴者から声がセクシーな男性タレントの第3位に選ばれている。
以前は、家から40mの距離のコンビニにすら車で行っていた。本人曰く歩くのが面倒臭かったらしい。しかし2009年現在は不況であり、ガソリンの値段も考慮して歩いて行くと発言していた[37]。
小学生の頃所属してしいたリトルリーグチーム「チャレンジャーズ」の帰り道、遠征で巨人軍常宿の「ホテル竹園芦屋」に来ていた王選手に偶然道で出会い「大きくなったら巨人へおいで」と声をかけてもらったことがある。同じ頃、家族が居ない間に密かにマットレスでバック転をマスターし、いきなり飛んで見せて家族を驚嘆させたことがある。
ショックだったことを聞かれた時、「KinKi Kidsというグループ名をもらったこと。今でこそ聞きなれたからいいものの最初は終わったな…、と思いました。」「『YOU達、KANZAI BOYAからグループ名を変えるから。』ってジャニーさんに言われた時やっとこの時がきた、と思った。なのに、関西出身だから『KinKi Kids』だよ、って。変わっとらんやないかい!と思った。」と冗談交じりに答えた。その話を聞いた中居正広に「何でだろうな。始まりなのにのっけからクライマックスって。」と言われた。[38]
読もうとしていたハガキを見失う事がよくある。また、オープニング後のCMをはさんだ後、本来ならコーナー名を言うべき時に自分の自己紹介してしまったりとうっかりミスが多い。ラジオなどでは自分の名前を早口で言うため、「堂本光一」が「とうもろこし」や「道路工事」に聞こえると、リスナーから指摘されていた。
本人曰く、芸能界に入ってから告白されたことは一度もない[39]。後に雑誌で「1回くらいあるかな?」と語った。また、10代の早い年齢から芸能活動をしていたため、今まで屋外を女性と手をつないで歩いたことがない。 本人が言うには、女性から全くモテない。もし、結婚となった場合には、「女性が働きたいのなら働いたらいい。だけど、働かなくても養える自分でありたい」との事[40]。30歳の現時点では結婚については何も考えていないというが、自身の父親が今の本人の年齢時には既に父親になっていた事を思うと不思議な感覚だといい、それを聞いた高見沢俊彦に、「お前はきっとそのまま(独身)いくよ。君はそんな気がする。」「自分の家庭が幸せだったから新たな家庭を作る気しないんだよ。」と言われていた。本人は「30代後半に幸せな家庭を築きたい。」と言っており、また「女の子が産まれたら門限は6時にするような厳しい父親になる。」と話していた。
自分の家の中にいることが好きで、プライベートでは殆ど家の外に出ない。自宅に居る時は、大抵バスローブで、寝る時はほぼ全裸という[41]。『SHOCK』の稽古が佳境に入ると、楽屋に泊る事もあるらしく、その時も裸で眠るため、帝劇のスタッフにその姿を見られてしまったことがある。また、清潔であると確信が持てる布団やベッドなら気にならず裸で寝られるので、そんなに潔癖症ではないとの事。家の中はそれなりに整頓されているのが好きな方ではあるが、中にはダンボールが積み重なっている部屋もあり、そんなに完璧にキレイではないと発言していた。犬を飼い始めてからは、おもちゃが散らかっていても気にならなくなり、おもちゃ箱も飼い犬がいつでも遊べる場所に置いておくようにしている。
どんなに熱があっても風呂に入らないとベッドに入れない[42]。風呂では一切座らず、体も立ったまま洗う。座る椅子はカビが生えたりするのが苦手なため、風呂場には設置しない。歯を磨く時は両手で磨く。普段、鏡は全く見ない。香水をつけていないにも関わらず、柑橘系の甘い匂いがする。本人曰くシャンプーの香りらしい。
スペースシャワーTVの番組「MUSIC UPDATE」で「イブに一人で過ごしてそうなミュージシャン」で6位に選ばれた。
光一は同じKinKi Kidsのメンバーである堂本剛との関係を、「こんな言葉を使うのは好きじゃないけど、ある意味二人は運命的なんです。」「彼(剛)がいなければ今の僕はいなかった。」「二人にしかわからない価値観があるのかも知れない。」「何年経っても、目の前にいるその時の剛を俺は支持すると思う。なんかそんな気がする。」と話す。
長瀬とは自他共に認める親友である。長瀬曰く、光一は仕事をしていくうちに、自分の中にたまった埃をぽんぽんと払ってくれる存在。
一緒に野球をすることがある。国分の日記によると、国分が亡くなってしまう夢を見てしまった光一から「太一さん?」「…よかったぁ」と起き抜けの声で電話が掛かってきたことがあるとのこと。
信頼しており、自身のライヴや舞台での共演が多い。MAとはプライベートでも誕生日プレゼントの交換をしたり、食事をしたりする仲である。MAのメンバー屋良朝幸、町田慎吾、米花剛史それぞれが、自身のweb日記やインタビューで光一に対する尊敬と敬意をこめた発言よくしている。
「秋山なら大丈夫」と絶大な信頼を寄せていた後輩で、「俺にとっての癒し系」と明言していた。フランス人とのクオーターだった彼を「顔が濃い」といじるトークがお約束だったが、要所では「大事な存在」「好きだよ」とフォローを入れていた。
信頼関係があり、「良いバトルをしながら良いものを作っていく」関係。光一は「ジャニーさんの目指すところ、考えていること、俺、すごくわかるの」と言っていた。本人によるとジャニー喜多川には滅多に誉められなることはなく、「You、最悪だよ」とまで言われるとのこと[43]。
10代前半によく共演している。尊敬していて大人になってからも中居の誕生日には毎年電話を入れている模様。
一緒に野球をすることがある。二宮は、肩を痛めた光一が久しぶりにピッチャーとして試合に出た際、「何年ぶりかに座長がピッチャーをした!」と喜んでいた。
食事やオンラインゲームで交流を深めていたが、仕事では一緒になることがあまり無く、2009年の舞台『Endless SHOCK』が本格的な初共演となった。
Musical Academy(MA)メンバー、滝沢秀明、Hey! Say! JUMPの薮宏太、山田涼介、高木雄也、NEWSの小山慶一郎、KAT-TUN中丸雄一、ジャニーズJr.の、橋本良亮、バッケス健人、稲葉光、中間淳太、新垣佑斗その他多数。
とても慕っていて、「拓郎さんは僕らを受け入れてくれた人。目線を合わせてくれて、否定せず、知らないうちに導いてくれていた。」という。吉田曰く、「光一は菩薩のようだ。」「光一くんは天才ですから。」との事。吉田は光一に電話をかけてきてなぜか「光一結婚しよう!」とプロポーズしたことが2度ある。『LOVE LOVEあいしてる』で共演していた頃、「年齢なんて関係なく俺はKinKi Kidsを尊敬してる。」と公言していた。光一は拓郎さんとの出会いが音楽を教えてくれたと話している[44]。「番組で拓郎さんに、いきなり『曲を作れ!』と言われて。初めて作った曲を持っていったときに『よく作ったね』って言ってくれたのは、今も忘れない。で、俺らが作った曲をバンド編成の曲として成立するものにしてくれた。曲が生まれる様子を見たときは衝撃的だった」「そうやって拓郎さんは俺たちに『あ、自分にも、曲が作れるんだ』って思わせてくれたんだよね。今、俺が曲を作っているのも、あの当時のことがキッカケ。たぶん、あの出会いがなかったら、今まで作った曲たちも生まれていなかったと思うよ」と話している[45]。共演番組が終了した後、光一と話したり、メールをする中で、吉田はお互いの大切さをより強く感じ、KinKi Kidsに向けて『ありがとう』という曲を作った[46]。
KinKi Kidsのデビュー曲をはじめ、曲の提供を受けている。光一のことを「1番は少年ぽい人で、ビジネスのアンテナを張って若者の感じが分かってる。」と話していた[47]。
ソロやKinKi Kidsで詞や曲を提供してもらった事もある。光一が司会をしていたポップジャムでの共演もあった。光一がポップジャムを卒業する回にもSOPHIAは出演していて、ラストには松岡が労いの花束を贈呈した。
『獣王星』での共演を通して仲良くなった。小栗が彼の2006年ソロコンサートや2007年の『Endless SHOCK』を観に来ている姿が目撃されている。
『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』で共演した。共演後、光一の舞台に足を運んでいる。北大路からはKinKi KidsのCDデビュー10周年のお祝いとして、プレゼントが贈られた。
長年にわたる信頼関係を築いており、彼らがKinKi Kidsや堂本光一のコンサートを見に訪れたり、プライベートでカートレースを楽しんだりしている。「長く一緒させて貰っていると(光一は)本当に可愛い人。」「舞台の成功は堂本光一の魅力に尽きる。」という。
自身が主演を努める舞台「SHOCK」には、黒木瞳や大地真央なども観劇に訪れ、その後に食事へ行くことも多いという。
プライベートでも仕事でも尊敬しており、舞台の公演期間には森から食事の差し入れがあるおかげで「体重も(減らずに)キープできている」と話していた。光一は「森さんとお会いすると本当にいつもすごくパワーを頂ける」と話し、森は光一を「若き同志」「ずっと夢を追い続けて皆さんを楽しませておあげになる天使」と言う。2009年の舞台観劇の際には森から「あなたは私の夢ですから」との言葉を贈られた。
F1中継に出演したことがきっかけで親しい。本人曰く、寿司を食べに行くときは決まって川井と一緒だという。
電話をしたり、家に遊びに行ったりする仲である。
佐藤とは、リポーターとドライバーとして現地で関わったり、雑誌で対談をしたりすることがある。プライベートで佐藤、加藤と共に食事をした際は、「大事件です」「(二人と食事をすることが)この上ない天国。夢のようなひと時でした。」と、ファンに報告した[48]。加藤は2007年に『Endless SHOCK』を観劇に訪れている。
※KinKi Kidsの項目もあわせて参照のこと。
堂本光一名義
米寿司名義
※KinKi Kidsの項目もあわせて参照のこと。
※堂本剛との共演CMは、KinKi Kidsの項目を参照。
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