| 宮城球場 (クリネックススタジアム宮城) Kleenex Stadium Miyagi |
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| 施設データ | |
| 所在地 | 宮城県仙台市宮城野区宮城野二丁目 11番6号 |
| 開場 | 1950年5月5日 (球場完成前に開場。完成日は 同年5月27日) |
| 所有者 | 宮城県 |
| 管理・運用者 | 楽天野球団(都市公園法に基づく管理許可制度による) |
| グラウンド | 内外野 - ロングパイル人工芝 |
| ダグアウト | ホーム - 三塁側 ビジター - 一塁側 |
| 設計者 | 鹿島建設(2004年12月からの改修) |
| 建設者 | 鹿島建設(2004年12月からの改修) |
| 旧称 | 県営宮城球場(開場 - 1990年代) 宮城球場(1990年代 - 2005年3月19日) フルキャストスタジアム宮城(2005年3月20日 - 2007年10月4日) 宮城球場(2007年10月5日 - 同年12月31日) 日本製紙クリネックススタジアム宮城(2008年1月1日 - 同年2月14日) |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| ロッテオリオンズ(1973年 - 1977年)、 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年 - 現在) |
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| 収容能力 | |
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22,098人(2009年度)
(2007年度まで23,000人)(2004年度まで28,000人) |
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | グラウンド面積 - 12,800m² 両翼 - 101.5 m(約333.0 ft) 中堅 - 122 m(約400.3 ft) 左右中間 - 117m(約383.9ft) バックストップ - 60 ft(約18.3 m) |
| フェンス | 2.8 m (約9.2 ft)~4.1 m (約13.5 ft) |
宮城球場(みやぎきゅうじょう)は、宮城県仙台市宮城野区にある野球場で、宮城野原公園総合運動場内にある。プロ野球パシフィック・リーグの東北楽天ゴールデンイーグルスの専用球場。
日本製紙が命名権(ネーミングライツ)を所有しており、2008年2月15日から呼称をクリネックススタジアム宮城としている。略称はKスタ宮城。なお、命名権に関する詳細は後述する。
目次 |
宮城県立都市公園条例で定められた正式名称は宮城野原公園宮城球場(みやぎのはらこうえん みやぎきゅうじょう)だが、一般的には公園名を省いて単に「宮城球場」と呼ばれている。施設は宮城県が所有し、東北楽天の運営法人・楽天野球団が都市公園法に基づく管理許可制度により運営管理を行っている。
なお、一部報道など[1][2]で「県営宮城球場」と表記されることがあるが、これは旧称に基づくものである[3]。1990年代に施設管理権が宮城県教育委員会から県教委の外郭団体である宮城県スポーツ振興財団へ移管した際、県の直接管理ではなくなったことから前述の「宮城球場」に改称しており、「県営」は冠さない。また2004年までは報道などにおいて、球場名に都市名を冠した仙台宮城球場という通称が使用されていた。
大日本帝国陸軍練兵場跡地に1950年5月開業。同月27日の竣工を前にこけら落としとして同月5日、パシフィック・リーグ公式戦・毎日オリオンズ対南海ホークス、毎日オリオンズ対大映スターズの変則ダブルヘッダーが組まれた。前売券約3万枚が前日までに売り切れ、混乱が予想されていたが、当日は未明から観衆が続々と詰め掛け、朝には球場外に約2万人が集まった。このため主催者は開場予定を繰り上げ、午前8時から子供を優先的に入場させ始めた。ところが8時20分頃、入場の列を離れた子供がフェンスをよじ登ってスタンドに入ったのを見て、大人たちも殺到。一斉に約500人が殺到してよじ登ろうとしたため、フェンスが約50mに亘って倒壊。群衆は折り重なるように将棋倒しとなり、3名が死亡、26名が重軽傷を負う大惨事となった。
1973年5月22日、河北新報社を中心とする宮城県内の有力企業・団体が参画して発足した東北野球企業の資金援助により、プロ野球公式戦のナイター開催に対応する照度を確保可能な鉄塔6基の照明設備と一部電光式のスコアボードが完成[4]。これは東北地方では初の設備だった[4]。折りしもロッテオリオンズが本拠地として使用していた東京スタジアムが1972年シーズン終了を以って閉鎖されたため、ロッテは1977年まで宮城球場を暫定的に本拠地として使用した(1973年のみ準本拠地)。詳細はジプシー・ロッテを参照。その期間中の1974年には日本シリーズこそ開催できなかったが、プレーオフの阪急戦第3試合を開催。その試合で3連勝を達成して地元でリーグ優勝の胴上げを果たした(1974年のパシフィック・リーグプレーオフ参照)。
1973年10月10日、ロッテ対太平洋クラブライオンズ戦のダブルヘッダーの第一試合で、ロッテの八木沢荘六投手が完全試合を達成している。また1978年8月31日、ロッテ対阪急戦で、阪急の今井雄太郎投手が完全試合を達成している。
1978年、大洋ホエールズが本拠地を新設の横浜スタジアムに移転したのに伴い、ロッテはそれまで大洋が本拠地として使用していた川崎球場に本拠地を移転した。だがロッテはその後も年間10試合前後の主催公式戦を宮城球場で開催してきた。ロッテが千葉マリンスタジアムに移転した1992年以降は仙台での開催は年1~2回・2~5試合と減少したものの、ロッテ主催の公式戦は2004年まで継続して開催された。この他横浜ベイスターズが毎年1試合を開催したり、読売ジャイアンツが隔年開催の東北シリーズで使用するなど、セ・パ公式戦が数多く開催されてきた。また1992年には地方球場として初めてオールスターの第3戦が開催された[5]。しかし、選手名が手書きのままの電光掲示板、座席の劣化など施設の老朽化が著しかったため、その後のプロ野球公式戦の開催数は大幅に減少した。また、雨の多い時期に公式戦が開催されるうえ、グラウンドに水が溜まりやすいこともあって、雨天中止が多かった。夏の高校野球大会の予選でも雨天中止が続出したため、予定が大幅にずれ込むこともあった。このような状況を打開すべく、宮城県内では改修や移転新築などがたびたび議論に上がり、1999年には、約12万人分の署名と全面改修の嘆願書が県に提出された。しかし、県の財政難や都市公園法など法律上の問題がネックとなり、具体的な改善策を打ち出すに至らなかった。
転機となったのは2004年である。オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に伴い、日本野球機構が選手会側の要望により1チームの新規参入を認めることになり、ライブドアと楽天がNPBに加盟を申請、双方とも宮城県を保護地域とし、宮城球場を改修した上で本拠地として使用する旨を発表した。審査の結果、11月に東北楽天ゴールデンイーグルスの新規加入が決定。こうして、老朽化が進んでいた宮城球場はプロ本拠地として設備を拡充すべく、大規模な改修工事を受けることになった。12月に第1期改修工事開始。大雪の影響もあり、工事の遅れも懸念されたが、当初の予定通り翌2005年3月に工事終了。2005年シーズンが終了した10月からは第2期改修工事が行われ、大幅な遅れもなく2006年3月に完工した。改修に関する詳細は後述。また仙石線の地下化や、仙台駅東口側の都市整備が進んだことで鉄道、自動車等でのアクセスも向上した。
2005年4月1日、楽天初の試合となる対西武ライオンズ戦が行われ、これに勝利する。またこの年は15年ぶりとなる巨人主催試合が行われ(対横浜)、仙台出身の横浜投手・佐々木主浩が現役最後の登板を行っている(高校時代からのライバルでもあり親友でもある清原和博との対戦。結果は三球三振)。9月17日には萩本欽一率いる茨城ゴールデンゴールズとさとう宗幸が総監督を務める地元の社会人球団NTTグループ東北マークスとの練習試合がナイターで行われ観客13,600人を集めた。試合は16-10でNTTマークスが勝利した。
2006年7月31日、夏の高校野球宮城大会決勝・仙台育英対東北戦が行われ、仙台育英・佐藤由規、東北・高山一輝両投手による投手戦が展開される。お互いに譲らず、試合は延長15回・0-0の引き分けに終わり、翌日に再試合。その再試合では仙台育英が勝利し、5年ぶりの宮城代表に輝いた。
2007年7月21日には、ガリバーオールスターゲームが開催された。宮城球場でのオールスター開催は先述の1992年以来、15年ぶり2度目。前述のロッテ本拠地時代にはオールスターの開催実績がないため、プロ野球球団の本拠地としてのオールスター開催は東北地方では初めてとなった。なお試合は8回表、セ・リーグの攻撃中に雨脚が強くなり、雨天コールドゲーム。試合は11-5でセ・リーグの勝利。オールスターの雨天コールドは日本プロ野球史上初の出来事である。
同年シーズン終了後、フルキャストとの命名権契約を解消し名称が一時的に元の「宮城球場」に戻ったが、その後日本製紙に命名権を売却。2008年2月に「クリネックススタジアム宮城」に改称(詳細は後述)。
2008年6月14日、楽天対巨人戦が行われる予定であったが、この日発生した平成20年岩手・宮城内陸地震に伴う交通機関の混乱や被害状況拡大などを考慮して、晴天であるにも関わらず試合を中止した。尚、地震による試合中止は日本プロ野球史上初であった。翌日の15日には試合が行われたが、試合前にはこの地震の被害者に対して黙祷が捧げられた。
2009年、楽天主催のオープン戦が初めて行われた(3月23日は対オリックス戦、翌24日は対西武戦を開催)。これまで当球場では改修工事ならびに気候の問題でオープン戦を開催していなかった。
また、この年、楽天はレギュラーシーズン2位となったため、パ・リーグクライマックスシリーズ第1ステージを初めて開催(3位ソフトバンクと対戦)した。
2004年6月、東北地方へのプロ野球チーム誘致を目指す複数の市民団体が、プロ野球・ヤクルトスワローズを仙台市に誘致する活動を開始した。ヤクルトの本拠地・明治神宮野球場の使用契約の更新は1年毎となっているなど不安定で、移転を検討している可能性がある、との情報から、活動を活発化した。非公式ながら署名など誘致活動を行い、団体では「5年後を目途に誘致したい」という意向を見せていた。しかし、宮城球場の老朽化、新球場計画に具体案がないことなどから実現性に関しては不透明な状況だった。更にはその後起こった球界再編問題も絡み、宮城球場を本拠地とする新球団参入計画に引き継がれる形でその話は事実上消滅した。
2004年9月16日、インターネットポータルサイトを運営するライブドアが、宮城球場を本拠地とするプロ野球チームの運営子会社「ライブドアベースボール」を設立し、日本プロ野球組織に加盟申請を行った。また、同月22日には同じくインターネット関連企業の楽天が、同じく宮城球場を本拠地の第一候補としてプロ野球に加盟申請を提出する旨を表明。24日午後に加盟申請の手続きを行い、こうしてこの2社による、仙台を本拠とする新規球団を巡る攻防が繰り広げられた。
10月6日の両社に対する第1回公開ヒアリング(審査会)では、両社が同球場の改修計画について述べた。楽天側は「段階的に増改築を施し、2005年開幕時には23,000人収容で暫定オープン。将来的には3万人規模にスタンドを拡張する」とし、対するライブドア側は「2005年シーズン途中を目途に改修工事を完了させ、3万人収容でオープンさせる」という提案をそれぞれ行った。改修工事費用についてはそれぞれ親会社が負担し、楽天は32億円程度、ライブドアも20~30億円程度の予算を提示した。
2004年11月2日に行われたプロ野球実行委員会とオーナー会議の席上で、新規参入球団を「東北楽天ゴールデンイーグルス」とする決定がなされた。これにより、ロッテ時代以来28年ぶりにプロ野球チームの本拠地に返り咲く形となったが、創設当初から東北地方を本拠地とする球団が誕生するのは史上初。
フェアグラウンドの面積は、NPB球団が本拠地(専用球場)としている球場の中では最大級(公称値において他に上回る可能性があるのは阪神甲子園球場と福岡Yahoo! JAPANドームのみ)である。ただし他のパ・リーグの球場もほぼ同等の広さを持ち、外野フェンスがより高めのところが多いためにパークファクターの数値は毎年それほど低くない。
2004年までは通常規模のファウルグラウンドがあったが、2005年に設置されたフィールドシートのおかげで当時の他の本拠地球場では類を見ないほどの狭さとなり(2009年現在ではダッグアウト前がより狭いMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島や改修された西武ドームの方が狭くなっている)、ファウルフライアウトが非常に少なくなっている。
外野フェンスはスタンドが2004年以前のものをそのまま削りとったような構造となっているため、最前列の高さが変わる中堅と両翼の中間辺りから両翼にかけて徐々に高くなるようになっている。
2004年まではバックネット裏のスタンドやダッグアウト部分のみが鉄筋コンクリート製で、他の部分は土盛りであった。2005年からの改修では土盛り部分のスタンドの座席と床面を取り壊したが、土盛りの構造は照明塔とともに内外野ともそのまま残されている。バックネット裏の外周部(2階コンコース部分)や、内野スタンドと外野の両翼側にある上段部は継ぎ足すように鉄筋コンクリート製の建物が造られている。元々のコンコース面積が小さいために拡張後も売店の半数は球場外側にあり、チケットがなくても利用できるようになっている。
フィールドシート部分はグラウンド面より低く掘り下げられており、出入り口にはそれまで球場外から車椅子席(1998年に増設されたもので現在も一部がそのまま使用されている)やグラウンドへの通路であったものを流用している。(グラウンド面より低く掘り下げられていることから、別名・砂かぶり席と呼ばれている。)
スタンド全体の規模は、NPB球団が本拠地(専用球場)としている球場の中では最も小さく、収容人員も少ない。ただ客席と選手が近いことにより観客の声援や野次が聞こえやすく、2006年から2009年までイーグルスの指揮を執った野村克也監督は「そんなに(観客が)入る球場ではないけど、声がよく聞こえるから、敵にとっては甲子園並みにアウェー感があるんじゃないか」と語っている。
新規参入球団の仙台進出計画に呼応するように、宮城県は2004年10月に県立都市公園条例を改正し、宮城野原総合運動場内で球場に隣接する宮城陸上競技場(現仙台市陸上競技場)の補助グラウンド(宮城陸上補助競技場)を条例上の運動施設から削除する事務調整を行った。
都市公園法上の規定で、公園内の運動施設は総面積の50%未満と定められている。しかし総合運動場は同法が施行された1956年以前からこれを上回る約52%となっていた。これでは仮に球場を拡張した場合には規定を充足できなくなるので、県の条例を改正して敷地面積が18,000m²ある補助競技場を「運動施設」から削除し、総合運動場内の運動施設総面積を削減した。宮城陸上競技場はこれまで日本陸上競技連盟公認の第1種陸上競技場で、補助グラウンドの設置が必要となっていたが、2001年、市北郊の利府町に宮城スタジアムが完成したのに伴って補助グラウンドが不要な第3種に格下げしているので、規定上の問題がなくなった。これにより、最大14,000m²まで球場を拡張することが可能となり、ライブドア、楽天の両者が順次明らかにした宮城球場の改修計画に対応できることとなった。
そして楽天の参入決定に伴い宮城球場の改修工事が行われることとなり、同時に宮城球場の運営管理についても、県の外郭団体である宮城県スポーツ振興財団から楽天野球団に移管した。球場改修工事の工期は2004年秋から2005年春にかけてと、2005年秋から2006年春にかけての2期に分けて行われ、現在にいたる外観や設備が形成された。2007年以降はそれほど規模の大きい改修は行っておらず、2008年の工事で実勢収容人員は23000人から22187人に減少するなど、顧客満足度の向上やチケット興業のための小規模な改修にとどまっている。
大規模な改修工事は2006年春に完工したが、その後も毎シーズンオフに球場施設の改修・新設などが行われている。
当球場の収容能力は2005年の改修以来、23,000人弱となっている。規定上30,000人以上の収容能力を求められるオールスターゲームや日本シリーズの開催時には問題が生じる可能性が高い事が予想されたが、様々な改修内容が高く評価され、2007年のオールスターゲームは当球場で開催された。なお当球場開催以前のオールスターゲーム開催球場の収容人員最少は、長崎県営野球場(長崎ビッグNスタジアム)の25,000人だった。またポストシーズンでは2009年のクライマックスシリーズ第1ステージ(対福岡ソフトバンク戦)が開催された。楽天が日本シリーズ進出の場合も使用することが決まっていたが、第2ステージ(対北海道日本ハム戦)で敗退したため実現には至らなかった。
しかしその一方で、NPB側は当球場の収容能力の少なさを問題視しており、前述のCS第2ステージの期間中には当球場で日本シリーズを開催した場合、札幌ドーム(約43,000人収容)との収益差が1試合あたり約1億円にも及ぶ事を指摘している。日本選手権シリーズ試合規定第15条では、入場料で得られた収益をNPBと進出2球団で折半する割合が定められているが、収容能力が30,000人に満たない当球場で日本シリーズを開催した場合、前述の通り他球場で開催した場合よりも収入額は大幅に少なくなる可能性がある。楽天側は先の指摘を受けた当時「1席あたりのチケットの価格を上げ、札幌ドームで見込める収益に追いつかせる」と回答しているが、当初2004年秋に球界へ参入する際、宮城球場の施設規模について「当面23,000人規模で運営し、2006年終了までに28,000~30,000人規模に改修する」とした公約は現在も実現に至っていない。
この当球場に関する問題は同年11月11日のプロ野球実行委員会で議題となり、NPBは楽天に対し、2009年現在22,098人収容の当球場の観客席を6,000席分増設し、28,000人収容とするよう要望した。席上では先の収益に関する問題が指摘され、各球団からも巨人・清武英利球団代表が「NPBの収益や球団・選手の分配金が減るのは問題」と話したのをはじめ、改善を求める意見が楽天側に寄せられた。だが楽天の井上智治オーナー代行は「仙台では22,000ぐらいがちょうどいい。都市毎に適切なキャパシティがある。席を増やさなくても、値段を上げる手もあるし、やり方はいろいろある。検討するが、絶対にやらなきゃいけないとは思っていない」と大規模な増席には否定的な見解を示した。11月18日のオーナー会議では、この増席問題は議題にこそならなかったものの、会議後に巨人の滝鼻卓雄オーナーは前述の改修計画を引き合いに出して「『(増席は)現金が300億円あるからすぐできる』と言っていた。約束したのだから実現してもらわないと」と苦言を呈し、また楽天側が示す入場料の値上げ案についても「ファンへ押し付けるのはひどい」と批判した。だが楽天の島田亨オーナーは「実現すると約束したのは23,000席で、28,000席はあくまでも努力目標。論拠はなく法的拘束力もない。1,000席分は対応するが、闇雲な増席は経営を圧迫する」と、NPBと各球団の増席要求に改めて反論した。
その後12月7日の実行委員会でも再びこの増席問題が議題となり、NPB側から改めて6,000席の増席要望が出された。席上、下田邦夫コミッショナー事務局長は参入審査時に楽天側が提出した資料を提示した上で「28,000席という約束があった」と早期実現を再度求めた。これに対し井上オーナー代行は「23,000席は約束したが、28,000席はあくまでも検討課題であり努力目標」と従来の主張を繰り返し、同年オフの改修で外野席1,000席分を増席する方針を示したが、今後の増席については「NPB主催試合(日本シリーズ、オールスターゲーム等)が前提ではないが、段階的に状況を見ながら前向きに検討したい」と回答するにとどめ、明確な着手時期は示さなかった。
楽天は2009年シーズン終盤、熾烈なクライマックスシリーズ進出争いを繰り広げた事から観客数が大幅に増加し、チケット入手が困難になる事態を引き起こすなど、当球場の収容能力は既に限界に近付いているという意見がある。また楽天側がこのまま増席に応じず、試案として示している入場料の値上げを仮に実行すれば、日本シリーズ進出を果たした場合やオールスターゲーム開催の際には、ファン・観客に対し多額の出費を強いる事になる。さらにはかつて本拠地としていたロッテオリオンズが、当球場の収容能力等の問題から1974年の日本シリーズを開催できなかったという過去の事実もある。そうしたことから、楽天側の消極的な姿勢に対して疑問を抱く一部の球界関係者は「このまま座席を増やさなければ、仙台で日本シリーズが再び開催できない事態になりかねない」と危惧している[8]。ただ一方で、シーズン中には観客席の稼働率が低い試合もあることから、仮にNPB側の要望通り大幅な増席に踏み切った場合は球団財政を圧迫し、選手の補強などチーム編成にも影響が出る恐れがあるという見方もあり、楽天側の主張を「現実的な対応」と評価する声もある。
楽天イーグルスの新本拠地となったことにあたり、球団では当球場で開催するホームゲームで鳴り物入りの応援を大幅規制している。理由は、「ボールの音が聞こえる観戦環境の確保」などとされている。
具体的な制限事項は以下の通り。
なお、ジェット風船については特に規制されておらず、他球場に倣い応援の盛り上げに使われている。ボランティアによる使用後の風船の回収とリサイクルの実施が継続して行われ、全国的に注目されている。
球場では売店の売り上げを確保するため(球団のコメント)、及び、保安の強化とごみなどの問題を考慮し、食べ物はコンビニや弁当屋からの買出し、自宅からの持込を含めて禁止している。ただし球場敷地内でチェック済みで販売されている、専用のシール(通称:楽天シール)が貼ってある食べ物に限り、持込を許されている。入場時には警察など関係機関からの指導を受け手荷物検査も実施されており、飲料については、缶、瓶、ペットボトル、水筒、パック飲料の持ち込みは禁止で、ゲートにて自分自身で中身を指定の紙コップに移し替えが必要となる。
外周に飲食可能スペースが多くあるため、このスペースを利用し持ち込み飲食物の飲食を済ませることは可能である。球団は施設管理者であり営業権も付与されている為、法規上は特に問題が無く現状に至るものの、施設所有者でもない楽天球団の、手作りの弁当や飲み物の持ち込みさえ禁止にする対応には批判が多い。
宮城球場が東北楽天の本拠地となるにあたり、所有者である宮城県は命名権(ネーミングライツ)の販売を決定し、2005年1月からスポンサー企業の募集を開始した。名称には「宮城」の文字を残すことを求め、3年契約で年額1億5,000万円以上が条件だった[9]。これに対し、人材派遣業大手のフルキャスト(東京都渋谷区)1社が応募し、球団と宮城県などによる審査の後、年間2億円の契約で合意した。その結果、フルキャストスタジアム宮城が同年3月20日からの新名称に決まった。「フルスタ」「フルスタ宮城」「フルキャスト宮城」などといった略称・通称でも呼ばれ、報道などでも使用された。
だが、2007年8月3日に、フルキャストが警備や建設・港湾荷役など労働者派遣法で定められている禁止業務に労働者を派遣する違法行為を繰り返し行ったとして、1箇月ないし2箇月の業務停止処分を受けた。これについて村井嘉浩宮城県知事は「重大で許し難い行為。県民は快く思わないのではないか」と不快感を表明し、また東北楽天の池田敦司取締役も「出てきた事実に基づき県と相談する」と話した。
フルキャストは2005年に県・球団と命名権契約を交わした際、契約解除条項の一として「社会的信用が失墜したと認められる場合」を明記していた。また2008年3月18日までの契約期間終了に伴って、県は年内を目途に新たな契約企業を募集する方針を当時既に決定しており、引き続きフルキャストと更新することも選択肢の一つとしていたものの、前述の違法行為が発覚した際、ある県幹部は「その可能性はなくなった」と話した。
この一連の事態を受けて8月30日夕方、フルキャストの役員が県庁を訪れ、県に対し謝罪した上で「自社の業務停止処分の問題に関する県民・ファンへの影響などを考慮した」として命名権の契約解除を申し出た。これは翌31日に県教育委員会が開いた「広告審査委員会」の席上で明らかにされた。県は9月3日以降に改めてフルキャスト側の事情聴取を行った上で結論を出すことを決めた。なおフルキャスト側は契約解除の時期を「混乱を避けるため、できればシーズン終了後にしたい」と話したという。
そして9月7日、県は東北楽天主催公式戦のシーズン最終戦当日を以って、フルキャストとの命名権契約解消を決定した。プロ野球本拠地野球場の命名権契約が途中解消されるのは日本では初めてのケースとなった。これに伴い、県は新たな契約企業募集に向けた準備に入り、東北楽天主催公式戦のシーズン最終戦(対千葉ロッテ23回戦)が開催された10月4日を以って「フルキャストスタジアム宮城」の名称使用を終了し、翌5日から名称を命名権導入前の「宮城球場」に戻した。なお、フィールドやスコアボード、メインスタンド正面など球場施設内に掲出されていたフルキャストの社ロゴや看板、その他球場内外の標識・案内板などの撤去費用等については、その後、県、仙台市などの関係機関とフルキャスト両者が協議して負担割合を決定した。
フルキャストとの命名権契約解消に伴い、県は2007年10月29日から11月20日にかけて命名権契約企業の募集を実施した。前回と同様、球場名には「宮城」を入れることを条件とした。その結果、県内外3社から応募があったことを公表。その後、県内から応募した1社が辞退し、県外2社について審査を継続した結果、東京都千代田区有楽町に本社を置き、宮城県内にも岩沼市と石巻市に製造拠点を置く日本製紙に命名権を売却することが決定した。県・楽天野球団と同社が検討を進めた結果、同社グループの日本製紙クレシアが製造販売するティッシュペーパーの商品名「クリネックス」を施設名に冠することが決まり、新たな施設名称は日本製紙クリネックススタジアム宮城に決定した。契約期間は2008年1月1日から3年間で、契約料は年間2億5000万円。また、公式な略称を「Kスタ宮城」とすることも併せて決定した。
略称「Kスタ」の「K」は、クリネックスの英字表記「Kleenex」の頭文字をとったもの。先の「フルスタ」に倣って「クリスタ」と省略することも検討されたものの、「『クリスタ』はいくつかの商品で商標登録されている」「大阪市中央区にある地下街『クリスタ長堀』など類似した名称を使用している施設が既にある」「『クリスタ』では『クリスタル (Crystal)』を連想させ、『クリネックス』を略した事が認識しにくくなる」などの要因から、略称にはイニシャルを使用する運びとなった。
だが、両者が契約文書の細部調整作業を進めていた同年1月9日、日本製紙が製造する再生紙年賀はがきの古紙配合率が定められた基準値を下回っていることが発覚したのを発端に、製紙各社による古紙配合率偽装問題が勃発した。1月25日、日本製紙の本村秀常務らが仙台を訪れ、県に対して謝罪するとともに命名権の契約継続を要請。席上、同社側は「一定期間、呼称から『日本製紙』の社名を外したい」という考えを示した。村井知事は1月28日の定例記者会見でこの問題について「消費者を欺いた大きな社会問題だが、配合率の基準に無理があった事情も汲まなければならない」と一定の理解を示し、社名を呼称から外す提案について「会社のPRを狙って命名権を取得したのだから、問題を非常に重く受け止めている証しではないか」と同社の姿勢を評価。楽天の島田社長も「基本的に続けて頂きたい」と契約維持を求めていた。
2月1日の広告審査委員会でこの件が審議され、日本製紙が社内に調査委員会を設け、原因究明と再発防止を進めていることや、社名外しを求めたことについても「信頼回復に努めている姿勢の表れ」と評価。また既に命名権による呼称が印刷物などで使用され始めており、特にパ・リーグ開幕が3月20日に迫っていることから、仮に契約を解除した場合、大きな混乱が生じる可能性も考慮され、契約を継続することが決まった。これを踏まえ、村井知事は2月4日の定例記者会見で契約継続を正式に発表。また併せて契約継続の条件として、契約満了までの3年間、呼称から社名を外すことも発表した。社名外しの期間については、日本製紙側は「1年間ないし2年間」を提示していたが、契約満了までとしたことについて、村井知事は「社会的影響を考えると、自粛して頂くのが妥当と判断した」と話した。これを受けて日本製紙側は「それだけ重大であると判断されたということ。真摯に受け止めたい」として、県、球団に改めて陳謝した。
こうした過程を経て、2月15日に県・楽天野球団と日本製紙は正式に契約を締結。これにより、同日以降の呼称はクリネックススタジアム宮城となった。なお、略称のKスタ宮城は引き続き使用している。
1950年から半世紀以上に渡って、宮城球場は県内のアマチュア野球界にとって聖地となってきた。高校野球の甲子園大会の予選のみならず、・中学野球・大学野球・社会人野球などの決勝戦等で使用され、様々なドラマを演出してきた。そのため、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地に決まった時、宮城球場でのアマチュアの試合回数が減るのではないかと危惧された。しかし、宮城県と楽天の協定の中で、
という条件で、フルスタ宮城(~Kスタ宮城)となってからもアマチュア野球の試合数は一定数確保されることとなり、アマチュア野球の聖地としての地位の一部は守られている。
例をあげると「杜の都の早慶戦」と称される「仙台一高二高硬式野球部定期戦」、は明治33年(1900年)に始まったもので、大正から戦中の中断を経て戦後の昭和21年(1946年)に復活後、現在まで続いている。宮城県における伝統ある試合として約半世紀に渡って試合会場となってきたが、プロ野球参入後は日程の問題や「仙台国際ハーフマラソン」との競合で、宮城球場での開催が危ぶまれた。しかし、宮城県・楽天双方の努力と関係者の奔走により、日程の確保がなされた。
この定期戦では、試合中に両校による伝統ある熱烈な応援合戦がなされてきたが、改修された球場では、応援団が乗る大舞台の設置が難しく楽天側から拒否されてしまった。宮城県、楽天双方で設置と現状復帰について何度か協議したが、物理的・時間的に法的基準を満たす設置と復旧が難しいことがクリア出来ず、最終的には、一高はビールケースで作った小さな舞台を内野スタンドに作って応援し、二高は舞台を設置せずに外野スタンドで応援する、という形式に変更することとなった。
また、宮城球場が2005年から東北楽天の本拠地(フルスタ宮城〜Kスタ宮城)となり、プロ野球の開催が優先されるようになったため、アマチュア野球の試合・練習場所を確保する必要が生じた。2007年には市が宮城野区内で整備計画を進めている野球場が完成する予定だったので、竣工までの向こう2シーズンの間、アマチュアが優先的に使用できる施設が必要となった。そこで市は2005年から、廃部されたJT硬式野球部が練習場として使用していた宮城野区の旧JT球場(東仙台球場。日本たばこ産業仙台工場跡地内、硬式・軟式いずれも使用可)を2年契約でJTから借り上げ、市の管理施設として供用した。また泉区・泉パークタウンの明通球場は主に軟式野球で使用された。このうち東仙台球場は2006年10月を最後に利用契約が終了したが、代わって2007年5月、宮城野区に仙台市民球場が竣工して供用を開始し、アマチュア野球公式戦の一部が行われている他、一般利用向けにも供用されている。
| 前本拠地: 東京スタジアム 1962 - 1972 |
ロッテオリオンズの本拠地 1973 - 1977 1973年のみ、公式には準本拠地 |
次本拠地: 川崎球場 1978 - 1991 |
| 前本拠地: 創設 - |
東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地 2005 - 現在 |
次本拠地: n/a - |
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