| みやぎけん 宮城県 |
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|---|---|
宮城県旗(中央は県章)
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| 国 | |
| 地方 | 東北地方 |
| 団体コード | 04000-2 |
| ISO 3166-2:JP | JP-04 |
| 面積 | 7,285.77km² (境界未定部分あり) |
| 総人口 | 2,324,211人 (推計人口、2012年1月1日) |
| 人口密度 | 319人/km² |
| 隣接都道府県 | 山形県、福島県、岩手県、秋田県 |
| 県の木 | ケヤキ |
| 県の花 | ミヤギノハギ |
| 県の鳥 | ガン |
| 県民の歌 | 輝く郷土 |
| 宮城県庁 | |
| 知事 | 村井嘉浩 |
| 所在地 | 〒980-8570 宮城県仙台市青葉区本町3丁目8番1号 |
| 外部リンク | http://www.pref.miyagi.lg.jp/ 宮城県庁 |
| ウィキポータル | 日本の都道府県/宮城県 |
| ウィキプロジェクト | |
宮城県(みやぎけん)は、日本の県の1つで、東北地方に属する。東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。県庁所在地は仙台市。
目次 |
県の太平洋沿岸部から奥羽山脈のふもとにかけて広大な平野部を持ち、ササニシキ、ひとめぼれなどの稲作中心の農業が行われており、米所として有名である。また、世界三大漁場の三陸沖漁場に近いため、県内には気仙沼漁港、石巻漁港、塩釜漁港の3つの特定第3種漁港を初めとする142の漁港があり、全国屈指の水揚げ量を誇る。1県に複数の特定第3種漁港を持つ県は、日本国内において宮城県が唯一である。カツオ、サンマ、マグロのほか、カキ、ふかひれ、ホヤなどの特産の水産物を持つ。その他、高級和牛牛肉の仙台牛、イチゴやナシなどの果物、伝統野菜に山菜など、豊富な食材を多く産出している点から、県は「食材王国みやぎ」を宣伝句に掲げている。
歴史的には、現在の宮城県の領域は古墳時代からヤマト王権の影響下にあり、雷神山古墳や陸奥国府と推定される官衙(郡山遺跡)が名取郡に置かれ、後に宮城郡に多賀城(陸奥国府・鎮守府)や陸奥国分寺、陸奥国分尼寺が置かれた。室町時代になると、奥州管領となった大崎地方の大崎氏を中心に東北地方の支配体制が構築された。17世紀に伊達政宗が大崎地方の岩出山城から宮城郡に移り、仙台城を築いて城下町を開いた。戊辰戦争の敗戦で、明治政府直轄領となった石巻県が国の東北地方を統轄する拠点とされたが、間も無く廃藩置県で仙台藩が仙台県となると、仙台に東北地方を統轄する国の出先機関などが置かれるようになった。仙台県は、約半年後に城下町が所在する宮城郡の名をとって宮城県と改称された。
気候は、夏は酷暑が少なく冬の降雪量は東北の中では少ないので比較的過ごしやすい。特に仙台などの沿岸部は緯度の割には温暖である。気候区分は北部が太平洋側気候三陸型気候、南部が同関東型気候に属する。気候の特徴は東部が海洋性気候、西部が内陸性気候の特徴をしめす。ただし、西部の豪雪地帯(大崎市旧鳴子町は特別豪雪地帯)は日本海側気候に属する。
| 平年値 (月単位) |
三陸海岸 | 仙北 | 仙南 | ||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 気仙沼 | 南三陸町 志津川 |
女川町 江ノ島 |
石巻 | 登米市 米山 |
大崎市 古川 |
大崎市 鹿島台 |
大崎市 川渡 |
大衡 | 栗原市 築館 |
栗原市 駒の湯 |
仙台市 宮城野区 |
仙台市 青葉区新川 |
塩竈 | 名取 | 亘理 | 丸森 | 白石 | 蔵王 | 川崎 | ||
| 平均 気温 (℃) |
最暖月 | 22.7 (8月) |
22.7 (8月) |
22.3 (8月) |
23.5 (8月) |
23.5 (8月) |
23.8 (8月) |
23.2 (8月) |
22.5 (8月) |
23.2 (8月) |
23.3 (8月) |
20.6 (8月) |
24.1 (8月) |
22.1 (8月) |
23.1 (8月) |
23.8 (8月) |
23.6 (8月) |
23.5 (8月) |
22.7 (8月) |
||
| 最寒月 | 0.0 (1月) |
0.4 (1月) |
2.7 (1月) |
0.5 (2月) |
-0.7 (1月) |
0.0 (1月) |
0.0 (1月) |
-1.0 (1月) |
-0.2 (1月) |
-0.5 (1月) |
-3.1 (1月) |
1.5 (1月) |
-1.0 (1月) |
0.5 (1月) |
1.6 (1月) |
1.0 (1月) |
1.0 (1月) |
-0.3 (1月) |
|||
| 降水量 (mm) |
最多月 | 208.4 (9月) |
209.0 (9月) |
189.1 (9月) |
163.1 (9月) |
170.5 (8月) |
176.4 (9月) |
193.2 (9月) |
237.8 (8月) |
202.2 (9月) |
180.8 (9月) |
316.0 (8月) |
218.4 (9月) |
231.1 (9月) |
193.5 (9月) |
212.7 (9月) |
216.9 (9月) |
202.7 (8月) |
228.0 (9月) |
||
| 最少月 | 29.6 (12月) |
30.3 (12月) |
31.4 (12月) |
24.8 (12月) |
22.1 (12月) |
34.4 (12月) |
24.3 (2月) |
86.9 (1月) |
36.6 (12月) |
29.6 (1月) |
96.0 (2月) |
26.4 (12月) |
56.8 (1月) |
23.7 (12月) |
22.2 (12月) |
24.7 (12月) |
32.1 (12月) |
35.4 (12月) |
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都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷
| 1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 |
|---|---|---|---|---|
| 仙台 都市圏 124万 8616人 |
仙台 都市圏 139万 5486人 |
仙台 都市圏 149万 2610人 |
仙台 都市圏 155万 5691人 |
仙台 都市圏 157万 0190人 |
| 石巻 都市圏 19万 4680人 |
石巻 都市圏 21万 1991人 |
石巻 都市圏 21万 1124人 |
石巻 都市圏 20万 7558人 |
石巻 都市圏 22万 1282人 |
| 気仙沼 都市圏 10万 5626人 |
古川 都市圏 15万 2834人 |
古川 都市圏 16万 9858人 |
古川 都市圏 16万 9910人 |
古川 都市圏 16万 4200人 |
| 古川 都市圏 6万 5525人 |
気仙沼 都市圏 9万 4773人 |
気仙沼 都市圏 9万 1400人 |
気仙沼 都市圏 8万 8685人 |
気仙沼 都市圏 7万 8011人 |
| 白石 都市圏 4万 1275人 |
白石 都市圏 4万 2017人 |
白石 都市圏 4万 4026人 |
白石 都市圏 5万 4338人 |
白石 都市圏 5万 2810人 |
| 地域圏 | 宮城県庁の地方事務所 | 市町村による広域行政機構 | ||
|---|---|---|---|---|
| 気仙沼・本吉圏 | 気仙沼地方振興事務所 | 地図 | 気仙沼・本吉地域広域行政事務組合 | 地図 |
| 石巻圏 | 東部地方振興事務所 | 地図 | 石巻地区広域行政事務組合 | 地図 |
| 登米圏 | 東部地方振興事務所登米地域事務所 | 地図 | (登米市) | 地図 |
| 栗原圏 | 北部地方振興事務所栗原地域事務所 | 地図 | (栗原市) | 地図 |
| 大崎圏 | 北部地方振興事務所 | 地図 | 大崎地域広域行政事務組合 | 地図 |
| 仙台都市圏 | 仙台地方振興事務所 | 地図 | 仙台都市圏広域行政推進協議会 | 地図 |
| 仙南圏 | 大河原地方振興事務所 | 地図 | 仙南地域広域行政事務組合 | 地図 |
宮城県内には、1つの大都市周辺地域広域行政圏(仙台)と、6つの広域市町村圏(気仙沼・本吉、石巻、登米、栗原、大崎、仙南)が設定され[3]、地域圏の名称として使用されてきた。
宮城県庁は、これら7つの地域圏に各々地方事務所を設置してきた。平成の大合併期になると、栗原圏と登米圏では各々栗原市および登米市へと圏内1市に集約された。すると2008年(平成20年)4月から、石巻圏を管轄する石巻地方振興事務所を東部地方振興事務所に、登米圏を管轄する登米地方振興事務所を同事務所の登米地域事務所にして、県の管轄事務の再編を実施した[4]。同様に大崎圏では大崎地方振興事務所を北部地方振興事務所に、栗原圏では栗原地方振興事務所を北部地方振興事務所栗原地域事務所に改組した[4]。
一方、地域圏ごとに市町村による広域行政機構が設置されてきたが、平成の大合併により圏内1市に集約された栗原圏および登米圏では、各圏域の広域行政機構である「栗原地域広域行政事務組合」および「登米地域広域行政事務組合」を2005年(平成17年)3月に解散し、各々栗原市役所および登米市役所に承継した。
仙台都市圏は、「大都市周辺地域振興整備措置要綱」(昭和52年8月10日自治振第66号。各都道府県知事あて自治事務次官通知)に基づいて設定された「仙台大都市周辺地域広域行政圏」に相当しており、1977年(昭和52年)9月29日に構成市町村により仙台都市圏広域行政推進協議会が設置された[5]。同協議会は圏内の広域的な都市問題の協議機関として活動しているが、実際の広域行政では圏内の旧郡単位などで一部事務組合が設置されている[6][7][8][9]。
| 地域圏 | 推計人口 2012年1月1日 |
2010年 (平成22年) |
1985年 (昭和60年) |
1955年 (昭和30年) |
1920年 (大正9年) |
|||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 宮城県合計 | 2,324,211 | 2,348,165 | 2,176,295 | 1,727,065 | 961,768 | |||||
| 気仙沼・本吉圏 | 84,016 | 3.6 | 90,918 | 3.9 | 113,438 | 5.2 | 106,720 | 6.2 | 60,878 | 6.3 |
| 石巻圏 | 198,738 | 8.6 | 213,780 | 9.1 | 241,113 | 11.1 | 232,403 | 13.5 | 129,585 | 13.5 |
| 登米圏 | 83,666 | 3.6 | 83,969 | 3.6 | 99,182 | 4.6 | 128,753 | 7.5 | 77,807 | 8.1 |
| 栗原圏 | 73,780 | 3.2 | 74,932 | 3.2 | 95,042 | 4.4 | 136,195 | 7.9 | 83,707 | 8.7 |
| 大崎圏 | 210,107 | 9 | 210,789 | 9.0 | 223,306 | 10.3 | 250,980 | 14.5 | 154,262 | 16.0 |
| 仙台都市圏 | 1,491,678 | 64.2 | 1,490,098 | 63.5 | 1,209,050 | 55.6 | 669,422 | 38.8 | 320,770 | 33.4 |
| 仙南圏 | 182,226 | 7.8 | 183,679 | 7.8 | 195,164 | 9.0 | 202,592 | 11.7 | 134,759 | 14.0 |
県全体に対する各圏域の人口比率は、仙台都市圏以外では1920年(大正9年)国勢調査の際が最も高く、その後は仙台都市圏が比率を高める一方で他の各圏域の比率は下がっていった。気仙沼・本吉圏、石巻圏、および、仙台都市圏の沿岸3圏以外では1955年(昭和30年)国勢調査の人口がピークであり、太平洋ベルトにおいて高度経済成長が始まるのと同期して人口減少も始まった。1970年代から各国で排他的経済水域を設定する動きが始まり、それまで自由に外国の沿岸近くまで行って操業していた日本漁船は締め出しされるようになった[12]。すると、遠洋漁業の基地としても機能していた特定第3種漁港の気仙沼漁港および石巻漁港の景気は下向き始め、同期して気仙沼・本吉圏では1980年(昭和55年)、石巻圏では1985年(昭和60年)をピークとして人口が減少し始めた。
それぞれの地域圏ごとに市町村を以下に列挙する。現在、県内には35市町村(13市10郡21町1村)がある。町の読み方は、利府町、大和町、大郷町、亘理町、山元町、女川町、色麻町、涌谷町、本吉町、南三陸町の10町が「ちょう」で、残る12町は「まち」である。
詳細は「日本の郷土料理一覧#宮城県」を参照
現在の宮城県の地には、古墳時代からヤマト王権の影響力が及んでおり、“東北地方最大級(第3位)”の遠見塚古墳仙台市、“東北地方最大”の雷神山古墳(名取市)などの前方後円墳が造られていた。古墳時代後期には、厚葬禁止の令に従い、横穴式古墳も多く造られた。
大化元年8月、改新政府は「東国国司」8組を、今後の政治改革遂行のために人口と田地面積の調査、武器の収公などの任務を与え、現在の中部・関東から東北地方南部に臨時的に派遣した。孝徳朝(645年 - 654年)の後半に第2次使者が派遣されて国造制が評制へ転換され、評の上に国が設けられ、国司の前身である国宰が派遣された。この時期に道奥国(みちのおくくに)が設けられた。その領域は、国造制が施行されていた宮城県南端と福島県で、最初に置かれた評は曰理(わたり)・伊具(いぐ)・宇多(うだ)・行方(なめかた)・標葉(しめは)・信夫(しのぶ)・安積(あさか)・岩背(盤瀨;いわせ)・白河・会津の10評。菊多(きくた)・安達(あだち)・耶麻(やま)郡は後に分置された郡で、石城(磐城)評ははじめ常陸国の管轄であった。この10評のうち行方・会津評を除く8評が国造のクニであって、行方評は分割・新置された評。曰理・伊具評が宮城県南端、宇多評以下が福島県域である。道奥国の表記は、後に陸奥国(みちのおくくに)と改められた。その意味は、朝廷の支配地域の最末端の国ということであろう。こうして道奥国の設置によって、それより以北の宮城県の大部分は蝦夷の居住地と認識された。朝廷は国評制を施行した後、7世紀半ばから後半にかけて蝦夷の地へ支配拡大の政策を展開していった。[13]
最初の陸奥国府と推定される官衙(郡山遺跡)は、現在の仙台市太白区郡山(旧名取郡)に設置された。724年には、多賀城(旧宮城郡)が設置され、現在の宮城県中南部は奥六郡(日高見国)と対峙する軍事・政治の拠点化が進んだ。又、陸奥国分寺・国分尼寺が、現在の仙台市若林区木下周辺(旧宮城郡)に設置された。後に多賀城は、現在の仙台市宮城野区岩切(旧宮城郡)に移転したと考えられている(遺構は発見されていない)。
奈良時代末期から平安時代初期、仙台平野北部・三陸沿岸の蝦夷がたびたび大和朝廷の拠点を襲撃し、三十八年戦争が勃発した。伊治(コレハル、栗原?)を拠点とするアザマロは当初大和朝廷側に帰属し多賀城に出仕していたが、蝦夷への差別に怒って反乱を起こし多賀城を滅ぼした。これをきっかけに胆沢のアテルイ・モレによる抵抗戦争がおこった。11世紀半ば北上平野の俘囚の奥州安倍氏が仙台平野に影響力を拡大し、多賀城の国司と対立した。安倍氏討伐の命をうけた源頼義が下向しても仙台平野の郡司らは中立を守り、苦戦した朝廷軍は仙北の俘囚主清原氏の参戦でようやく安倍氏を滅ぼすことができた。その後12世紀、奥州藤原氏の時代になると、奥州の軍事警察権が平泉にうつり、仙台平野は中央勢力の荘園と在地勢力の自治が混在するようになった。奥州藤原氏の行政権の程度については諸説がある。
鎌倉時代には、奥州藤原氏追討の恩賞により、葛西氏などの関東地方の有力氏族や武士たちが守護・地頭として現在の宮城県域に多く入植した。それら有力氏族のなかで、源頼朝の側近・伊澤家景が多賀城の“留守所長官”として陸奥留守職に任ぜられ、東北地方の統治を任された。
伊澤景家は現在の宮城県利府町に居城を築き、生涯を利府で過ごした。伊澤家景の子の代から伊澤氏は留守氏と呼ばれるようになり、家景の子孫たちも代々、陸奥留守職に任ぜられた。
室町時代に入ると、南北朝の争いが起こったが、足利一族の斯波氏が奥州探題を称して多賀城に入ると、争いは次第に沈静化していった。
斯波氏の傍流である大崎氏(宮城県古川市)が奥州管領職に着くと、大崎氏が東北地方(奥羽両国)の盟主となった。1392年に奥羽両国が鎌倉府直轄支配下に置かれ、大崎氏の奥州管領権は大きく制約を受けた。1400年に大崎氏が奥州探題となると、再び大崎氏は東北地方の盟主の座に上り、以後、戦国時代に到るまで、東北地方は室町幕府→奥州探題・大崎氏を中心とした支配体制となる。
戦国時代になると、南東北の奥羽山脈西側に連なる盆地群に拠点を置く武将たちの勢力が強くなり、大崎氏の権勢は衰退し、最終的に福島盆地(伊達郡・信夫郡)と米沢盆地(置賜郡)を本拠地とする伊達氏の軍門に下った。
安土桃山時代に戦国大名・伊達政宗は常陸国の戦国大名・佐竹義重や会津地方の戦国大名・蘆名氏らに勝利し、東北地方(奥羽)の南半分を征服して奥羽の覇者となった。しかし、政宗は豊臣秀吉に服属し、秀吉の奥州仕置によって、征服した会津地方や先祖ゆかりの伊達郡などを奪い取られた。この処分に不満を抱いた政宗は、秀吉の奥州仕置によって取り潰された葛西氏・大崎氏の旧臣を扇動して、「葛西大崎一揆」を起こさせるが、この一揆扇動は蒲生氏郷に露見し、政宗は秀吉から一揆の鎮圧を命じられる。政宗は佐沼城から秀吉の家臣・木村吉清を救出し、「葛西大崎一揆」を鎮圧した。戦後、秀吉は政宗の領地を、それまでの山形県南部・福島県・宮城県南部から宮城県・岩手県南部へと北へ追いやった。政宗は旧・岩出山(現・大崎市)に居城の岩出山城を築き、新しい領地の統治に当たった。この頃から政宗は徳川家康に接近し、秀吉が死ぬと徳川家康の政権奪取に協力する。1600年の関ヶ原の戦いでは、政宗は東軍の重鎮として家康の勝利に貢献した。
伊達政宗は、豊臣氏や徳川氏との緊張関係を考慮して、天然の地形が防御に適した青葉山に居城として仙台城を構えた。1600年に城の縄張りを始め、「千代(せんだい)」を「仙臺(仙台)」に改めて、城下町の建設も開始した。冬季の乾燥や季節風対策として、防火林や防風林、防雪林の植樹を城下町に奨励した。又、四ツ谷用水の開削もあって、仙台は多くの居住者を涵養できるようになり、62万石の仙台藩の藩経済を背景に、仙台城下は奥州一の都会となった。江戸中期には実石高は100万石を超え、港町である石巻は江戸(東京都区部)との交易で栄えた。家老の片倉氏は代々白石城(現宮城県白石市)を居城とし、家臣や一族を一国一城令にもかかわらず「要害」と言う特有の制度化で藩内を治めさせた。要害としては涌谷城、岩出山城、金山城、岩沼城、角田城、丸森城、寺池城、佐沼城、宮沢城、高清水城、不動堂城、川崎城、平沢城、船岡城、亘理城、坂本城、岩ケ崎城、滝野館、石森城、米谷城、武田館、宮崎館、宮崎城、千石城、大窪城、吉岡城、宮床館、村田城などがあった。
伊達氏は源頼朝の奥州合戦で功を立てて伊達郡に封じられた関東武士の末裔で、鎌倉時代から陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市と福島県伊達郡、福島市の一部)を中心に勢力を拡大した。戦国時代 - 安土桃山時代に本拠地を伊達郡から置賜郡(米沢)、岩出山、仙台と家臣団や寺社、職人集団を引き連れて移動したため、現在仙台に残る寺社や旧家、職人の家系には、伊達郡をルーツとする系図あるいは伝承の残る家柄が少なくない。
伊達氏は代々「陸奥守」を称し、初代仙台藩祖・伊達政宗以来、東北の雄藩であった。
伊達政宗はスペイン帝国との太平洋貿易を企図し、仙台領内で洋式大型帆船・サン・ファン・バウティスタ号を建造。1613年、家臣・支倉常長を使節とする慶長遣欧使節団をスペイン王国およびローマ法王庁(バチカン)へ派遣した。使節派遣の目的は、スペイン王国との通商にとどまらず、倒幕のためのスペインとの軍事同盟であったともいわれている。支倉常長はスペイン国王およびローマ法王に謁見した。しかし、徳川幕府が日本国内でキリスト教徒を大弾圧したため、目的は達成されなかった。
仙台藩は幕末に、幕府の命令で北海道の警護を担当した。このとき会津藩や庄内藩などの東北諸藩も北海道の警護を担当した。、仙台藩の警衛地と領地は北海道の約1/3を占めた。
仙台藩は1868年の戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟(同盟政府)の盟主となった。仙台藩は孝明天皇の弟(明治天皇の叔父)・輪王寺宮(のちの北白川宮)を擁立し、輪王寺宮を「東武皇帝」として即位させ、仙台藩主・伊達慶邦は征夷大将軍に就任する予定であったといわれる。しかし同盟政府は薩長軍を主力とする明治新政府軍に敗れ、仙台藩は石高を28万石にまで減らされた。このとき、秩禄が減って困窮した家臣団を救うために、仙台藩は蝦夷地(北海道)への入植を行った。仙台藩は明治新政府と共同で札幌市を開拓したほか、単独で伊達市などを開拓した。こうして仙台藩は北海道開拓の歴史上に功績を残した。
明治政府が誕生すると、日本は中央集権体制の下に組み込まれたが、東北地方支配の政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まった。
仙台藩を前身とする仙台県は廃藩置県後も存続し、旧領である登米県、角田県の編入、宮城県への改称、磐前県(現福島県)、磐井県(現岩手県)との管轄区域の変更を経て、現在の県域が確定した。
仙台には、富国強兵政策によって陸軍第二師団が置かれ、また第二帝国大学(東北帝国大学)を初めとした高等教育機関が設立された。仙台市に第二師団・第二帝国大学が存在したことは、当時の仙台市の地位の高さを示している。
一方で、仙台湾の大半が砂浜で臨海工業の適地がなかったため、殖産興業時代から高度経済成長に至るまで、宮城県では第二次産業が発展しなかった。ただし、石巻湾に石巻工業港、仙台湾に仙台港(いずれも掘り込み式)が造られ、工業集積はある程度進んだ。
高度経済成長期頃から、第二次産業から第三次産業への転換が進むと、東北自動車道や仙台バイパスの建設、および広大な流通団地の建設によって、仙台は東北地方の卸売り商業の中心地、そして支店経済都市として人口が激増し、その他の県内拠点都市も発展した。その後、東北新幹線の開業やモータリゼーション、仙台市の政令指定都市化、バブル景気の影響から、仙台市とその周辺が特に発展して「仙台都市圏」の一極集中が進んだ。
3・11の東日本大震災の影響で延期されていた宮城県議選が2011年11月13日に投開票された。定数59で、与党の自民党は30議席から28議席に後退し過半数割れになり、同じく与党の民主党も2議席減らす7議席に後退した。県議選と同時に被災地の女川・亘理・山元町議選も同時に実施された。
1920年(大正9年)には福島県や山形県に次いで東北地方第3位の人口であったが、1925年(大正14年)には山形県を抜いて第2位となり、1980年(昭和55年)からは東北で最も人口の多い県となっている。ただし、国勢調査が始まって以来、一貫して伸び続けてきた人口が2005年(平成17年)に初めて減少に転じた。
県庁所在地である仙台市の人口は県全体の約45%を占め、一極集中傾向がある(プライメイトシティ)。この人口集中率は京都府に次ぎ全国第2番目の高さである。
依然として仙台都市圏の人口は伸びているが、郡部の人口減少が著しい状況となっている。
全国平均と比べ、高校卒業から大学・大学院にかけての年代の人口比率が高い傾向がある。
| 宮城県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宮城県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 宮城県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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宮城県(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
詳細は「宮城県知事一覧」を参照
宮城県は1987年(昭和62年)6月1日に中華人民共和国吉林省と、1997年(平成9年)9月10日にアメリカ合衆国デラウェア州と、2001年(平成13年)10月8日にイタリア共和国ローマ県と友好提携を締結し、交流を行っている。また、ドイツ連邦共和国ザールラント州との交流も行われている。この他に1990年(平成2年)5月に塩竈市、石巻市、気仙沼市と共同で、アメリカ合衆国シアトル港湾局と友好港提携書に調印している。
| 年度 | 経常収支比率 | 実質公債費比率 | 財政力指数 |
|---|---|---|---|
| 平成19年度 | 96.5% | 16.6% | 0.53 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中16位 |
| 平成18年度 | 93.6% | 16.2% | 0.51 - Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中15位 |
| 平成17年度 | 94.4% | 16.8% | 0.48 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中3位 |
| 平成16年度 | 93.8% | --- | 0.47 - IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中4位 |
現在、財政難に陥っており、向こう5年間の累積財源不足額は約1000億円と試算されている。自治体財政健全化法によると、宮城県は2007年度(平成19年度)決算で165億円の赤字発生であり、2008年度(平成20年度)決算でも同様の状態であれば国に財政健全化策の報告が義務付けられる早期健全化団体に移行。そのため、このままの進度が維持されると財政再生団体(民間会社でいう「倒産」)に指定される恐れがある。このため、急務な財政改革が求められている。
2008年度(平成20年度)の県内総生産は8兆1934億円である[14]。これは世界の65%以上の国の国内総生産 (GDP) よりも大きく、世界60位前後の「国」に相当する経済規模を有している。同年度の県民所得は5兆7884億円であり、一人当たり県民所得は247.3万円である。
以前は、仙台都市圏とその他の地方の所得格差があったため、仙台市が求職者を吸引して社会増を実現し、毎年1万人程度の人口増があった。同時に仙台市のベッドタウンとなっている周辺自治体の人口増もあった。しかし、1998年(平成10年)頃から仙台市の社会増の減少が顕著になってきている(周辺自治体は社会増がある)。これは、仙台の景気後退を受け、東京と仙台との間の所得格差が開いたために、仙台よりも東京に就職口を求める傾向が出てきたことによる。ただし、高卒の就職口としては仙台が未だ人気があるため、東北地方の他県からの求職者が仙台に集中して競争率が上がり、宮城県内の高校卒業者の就職内定率は東北地方内で最低水準が続いている。なお、仙台都市圏以外では、道路の改良によってロードサイドショップの商圏が栗原地区へ拡大した大崎市(旧古川市)が社会増となっているが、最寄品を販売している中心部商店街は苦境に立っている。
宮城県内の経済は、仙台市周辺から石巻市にかけての「仙台湾沿岸部中心」の時代から、内陸部の仙台都市圏を中心とした「国道4号沿い」に変化しており、これは関東での「東京湾沿岸の時代」から、北関東を含めた「首都圏の時代」への転換と同期している。
第一次産業は、デフレによる農産物の価格低迷、水産物の水揚げ高の変動や重油価格の高騰により不況感がある。第二次産業は、工場の統廃合や業界再編の時期が過ぎ、収益性が上がってきている。第三次産業は、ほかの七大都市圏を擁する都道府県と同様に、仙台都心部で仙台経済圏を対象とした広域ビジネスを展開する高級消費財を扱う業種、各地域の大型ロードサイドショップが好調なのに対し、商圏が半径数百m程度の最寄品を販売する小規模商店は苦境に立っている。
総生産額は1888億円、県内総生産に占める割合は2.2%(2001年)
その他、塩釜港の漁獲高も多い(近海マグロが多い)。松島湾や三陸海岸の入り江では、カキ・ホタテ・ホヤなどの養殖漁業も盛ん。仙台市の沖合い2km辺りでは海苔の養殖も行われている。県内の主要港は、遠洋漁業(マグロ、以前はクジラも)の基地としても機能しているため、自然と海外との交流をしており、外国人船員も多く立ち寄る。また、かつおを追って北上してくる高知県の船員や、さんまを追って南下してくる北海道の船員も多く立ち寄っており、仙台駅、仙台空港に並ぶ、宮城県の第3の玄関口となっている。
総生産額は1兆8753億円、県内総生産に占める割合は21.7%(2001年)
総生産額は6兆8098億円、県内総生産に占める割合は79.6%(2001年)
仙台経済圏の成立により、物販面では、高額商品やファッション性の高い買回品・専門品の販売地として一番町と仙台駅前が求心力を強め、その商圏が仙台経済圏の周辺都市圏にまで広がりを見せている。
娯楽・レジャー面では、仙台市都心部や仙台都市圏が供給する文化・スポーツイベントなどの求心力が、仙台経済圏に及んでいる。ただし、県内の小規模市町村のみならず仙台市内も含め、最寄品の販売を中心としてきた地元商店街は、郊外型大規模小売店・ロードサイドショップ・スーパーセンターに、価格競争や駐車場などのサービスで敗北して衰退している。
規模の大小があるが、周辺地域から集客する能力のある商業拠点に以下のようなものがある。宮城県内の各地域の商業事情だが、集客力は仙台都市圏が優勢でその他の都市の商業基盤は沈下傾向にある。
仙台都市圏
県北部(大崎圏・登米圏・栗原圏)
県北東部(気仙沼・本吉圏)
県東部(石巻圏)
県南部(仙南圏)
七十七銀行が指定金融機関になっている。ただし、公営企業のうち、病院事業の出納取扱金融機関は仙台銀行が担当する。
東北新幹線、東北本線が南北に縦貫しており、そこから各方面へ路線がのびる。
私鉄として1925年(大正14年)より宮城電気鉄道が存在したが、1944年(昭和19年)に国有化され国鉄仙石線となった。また、くりはら田園鉄道の前身である栗原電鉄は私鉄であったが、1995年(平成7年)に第三セクター鉄道となり、2007年(平成19年)に廃止された。現在は宮城県内に私鉄の路線はない。過去に宮城県内に存在した、その他の主な私鉄は以下の通り。
宮城交通が全県をカバーしてきたが、近年、郡部路線を子会社化し、かつ郡部主要拠点から仙台への高速(特急)バス化に力を入れている。仙台市内は仙台市交通局と宮城交通がエリアを分けて運行されている。一方、仙台を起終点とする昼行・夜行高速バスが充実してきており、県外への路線開設は主に宮城交通(宮城交通高速バス総合案内所・広瀬通り)とJRバス東北(仙台駅東口)が主導している。
「都道府県別1km当たり渋滞損失額」で全国9位[15]となっており、特に仙台都市圏での道路整備が遅れている[16]。
| "テレビ局舎外観" | ||||||||||
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テレビ東京の周波数と仙台放送の周波数が同一(アナログ12ch)であるため、ケーブルテレビによる区域外再送信ができない。また、テレビ北海道向けのNTT中継回線も光ファイバー回線に切り替わり受信不可能であるため、2011年(平成23年)以降系列局の開局などが無い限り、宮城県においてテレビ東京を視聴するのは不可能である(異常伝播などで中継局が受信できることはある)。なお、2011年(平成23年)の地上デジタル放送完全移行を目途にテレビ東京系の新局を開局する計画があがっており、今後の動向が注目される。実現すれば東北地方で初となる。
また、宮城県南部の一部地域では福島県の4大系列局を、宮城県北部の一部地域では岩手県の4大系列局を視聴できる地域がある。地上デジタル放送におけるリモコンキーIDが鹿児島県と同一であり、アナログ放送における親局のチャンネル番号もフジテレビ系列と日本テレビ系列を除き鹿児島県と似通っている。
フランスのタイヤメーカーであるミシュラン社により出版された日本を訪れる外国人観光客向けの「ミシュラン実用旅行ガイド」(国土交通省などが連携)において、県内では松島・瑞巌寺・松島四大観の計3ヶ所が最高評価の「三つ星」を獲得した。三つ星の数では京都府・東京都・奈良県に次いで広島県とともに国内4位。「二つ星」は12ヶ所、「一つ星」は10ヶ所であり、星総数は43となって、京都府・東京都・奈良県・神奈川県に次いで5位と、首都や幕府が置かれた歴史のない道県の中では最高位となった。
その他は
詳細は「宮城県の観光地」を参照
映画
ドラマ
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アニメゲーム
小説
漫画
音楽 |
「宮城県出身の人物一覧」を参照
| 先代: 仙台藩 角田県・登米県 |
行政区の変遷 1871年 - (仙台県→宮城県) |
次代: ----- |
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