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川田亜子 | 百科事典
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川田 亜子(かわだ あこ、1979年(昭和54年)1月17日 - 2008年(平成20年)5月25日)は、日本のアナウンサー。石川県出身。身長163cm。
TBSアナウンサー時代まで
生誕から大学卒業まで
2002年
2003年
2004年
- 1月8日 「青木さやか・美人の素」、放送開始。アシスタントとして出演。
- 4月2日 「ウォッチ!」の毎週金曜のレギュラーとなる。芸能コーナーとCM前のお知らせなどを担当した。
- 4月4日 「儲かりマンデー!!」、放送開始。眼鏡に黒のスーツ姿で、自称「経済予報士見習い」という肩書きのリポーターで出演。
- 10月7日 「Goro's Bar」、放送開始。フロアレディあこちゃんとして出演。独自のキャラクターを遺憾なく発揮することが多く、稲垣吾郎に「本当にアナウンサーなの?」と尋ねられたり、青木さやかに「他の芸人から『川田さんってどこの事務所の芸人?』と聞かれた」と言われたりしていた。また、もともと太れない体質で、油断するとすぐに痩せてしまうのが悩みであることを、同番組で告白していた。
2005年
2006年
2007年
- 1月2日 「新春SP!押切もえ&えびちゃん最初で最後 恋と友情二人旅!」で、トップモデル2人とハワイロケを敢行。モデル顔負けのスレンダーな体型で、主役の2人に引けをとらない姿で闊歩していた。
- 2月10日 「人間!これでいいのだ」の番組終了時に、前週放送の内容による問題について謝罪した。
- 2月24日 「人間!これでいいのだ」、放送終了。
- 3月22日 「Goro's Bar」の「川田亜子卒業スペシャル」をもって同番組を卒業し、最も親しかった後輩の青木裕子アナに自分の役を譲った。
- 3月29日 「E娘!」、放送終了。TBSテレビでのアナウンサーとして最後の出演番組となった。
- 4月1日 「もえたび」、放送終了。
その他の出演番組他
テレビ
ラジオ
フリーアナウンサー転身後
2007年
2008年1月~4月
その他の出演番組他
TBS・毎日放送系列
テレビ朝日・朝日放送系列
フジテレビ・関西テレビ系列
ラジオ
その他のエピソード
2008年5月以後
- 5月7日~ オフィシャルブログで悩みを書き続けるようになり、閲覧していたファンや関係者の間から心配する声があがった。5月12日には「私は悪魔になった」といった内容が書かれたが、この日の日記は数日後に削除された。日記の内容の問題は、週刊誌などの誌面でも度々取り上げられた。
- 5月18日 「がっちりマンデー!!」ではいつもどおりリポートしていたが、フリーアナ転身後は不定期出演となっていた。この日のリポートが同番組での最後の出演となった。
- 5月24日 「サタデースクランブル」とその後にMCを務めたトークショーでは、元気がなかったものの問題なく進行した。これが最後の公の姿となった。同日放送の「医療の現場」と日本テレビ系列「世界一受けたい授業」にも出演していたが、川田の氏名が正式な番組出演者として放送されたのは、この日が最後となった。
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ウィキニュースに関連記事があります。
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- 5月25日 翌5月26日午前6時15分頃、東京都港区海岸の路上に駐車してあった車内で、倒れていたところを発見された。警視庁三田警察署により死亡が確認され、練炭による自殺と見られている[3]。没年齢29歳4ヶ月。
- 5月28日 川田亜子オフィシャルブログ「Ako's Style」(Pure Style)に、所属事務所がファンと関係者に向けた謝罪文を掲載し、当日付での同ブログ閉鎖を発表した。
- 5月31日 「サタデースクランブル」の冒頭で、追悼コーナーが設けられた。一緒にMCを務めてきた松井康真アナウンサーによる訃報の報告とともに、生前の川田の笑顔の写真がスタジオに置かれ、出演者一同が故人の冥福を祈った。写真は番組のエンディングにも置かれていた。
「医療の現場」の冒頭でも、一緒にMCを務めてきた鳥越俊太郎による訃報の報告が行われ、故人の冥福を祈った。
- 6月1日 「がっちりマンデー!!」の番組終了後に、生前の同番組出演時の静止画像とともに、追悼メッセージを放送した。
TBS時代に時々出演していた同局ラジオ「安住紳一郎の日曜天国」では、先輩の安住紳一郎アナウンサーが涙ながらに川田との思い出を語った。
川田と縁があった爆笑問題と青木裕子アナがレギュラー出演している同局テレビ「サンデージャポン」では、追悼を兼ねた訃報を番組最後に放送した。
そのあとに放送の「アッコにおまかせ!」では、生前の同番組アシスタント出演時の静止画像とともに、追悼を兼ねた訃報を放送した。
同局ラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」のニュースコーナー「ラジオサンデージャポン」では事件について太田光が語った。
- 番組での共演者や縁のあった有名人の何人かは、自身のブログで追悼コメントを綴った。TBSアナウンサー時代の先輩の海保知里[4]、「Goro's Bar」で共演の小原正子[5]、
「BODY」で共演の田中雅美[6]と広澤草[7]。何度か一緒に仕事をした有名人では、辺見えみり[8]、伊達みきお[9]。同業者としては東北放送アナウンサー時代からの通算で1年先輩となる根本美緒は、TBSアナウンサー時代からの川田と縁があったことなどから、訃報を知った後に自分なりの言葉で悲しみを綴った[10]。また直接関わりはなかったが、同業者としては後輩となる御影倫代[11]と立花麻理[12]も、訃報についてのコメントを自身のブログで綴った。
- 6月6日 川田亜子オフィシャルブログ「Ako's Style」(Pure Style)、閉鎖発表後の一定期間を経て削除された[13]。ライブドアブログ時代の方は残存。
- 6月12日 「秘密のケンミンSHOW」に石川県民として、同年4月10日のSP以来2度目の出演をしていたが、川田の出演シーンが大幅にカットされた上に、氏名や追悼のテロップは一切表示されなかった。
- 12月26日 TBS系列全国ネット「平成ニッポン20年史!」の中で、「爆笑問題のバク天!」のオープニングが放送されたが、川田の姿はぼかし処理されていた。これ以降テレビ放送において、川田の出演シーンが放送されたことはない。
- 2008年6月以降の川田に関する報道は、一部報道番組での故人追悼を除き一切行われていない。
- 2009年5月25日 一周忌のこの日TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」のオープニングで、TBS時代の先輩であるMCの小島慶子(放送当時はTBSアナウンサー)が、涙ながらに川田との思い出を語った[14]。
- 2010年9月20日深夜(関東地区など) TBSテレビ「G.I.ゴロー」の最終回において、6年間続いた「稲垣吾郎一座」シリーズとしても終了することとなり、シリーズ3番組の出演者・スタッフのエンドロールが流される。この中に、「Goro's Bar」の従業員の一人として川田の名が記されていた。
脚注
関連項目
外部リンク
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Last update: 2012年2月12日 6:50:09:JST