| えもと あきら 柄本 明 |
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| 生年月日 | 1948年11月3日(61歳) | ||||||||||||||
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| 出生地 | |||||||||||||||
| 民族 | 日本人 | ||||||||||||||
| 血液型 | B型 | ||||||||||||||
| 職業 | 俳優、コメディアン | ||||||||||||||
| ジャンル | 映画、テレビ番組 | ||||||||||||||
| 活動内容 | 1974年:自由劇場へ参加 1976年:自由劇場退団、劇団東京乾電池を結成 1992年:『空がこんなに青いわけがない』で映画監督デビュー |
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| 配偶者 | 角替和枝 | ||||||||||||||
| 家族 | 長男:柄本佑 二男:柄本時生 |
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| 主な作品 | |||||||||||||||
| 映画 『カンゾー先生』 『座頭市』 『油断大敵』 『タカダワタル的ゼロ』 『ニワトリはハダシだ』 |
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柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、東京都中央区出身の俳優、コメディアン。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。身長175cm、血液型はB型。愛称は「えもっちゃん」。
目次 |
東京・銀座の箱屋(芸妓斡旋業)の息子に生まれる。妻である角替和枝は柄本明が聖路加国際病院で生まれていると発言している[1]。父親は、殿山泰司の小学生時代の親友であった。映画や演劇好きの両親・家族に囲まれて幼少を過ごし、俳優を志すきっかけとなる。
高校卒業後、商社に就職。だが、俳優にあこがれ、金子信雄が主宰する劇団「マールイ」の演劇教室の生徒となり、同じ教室にいた松田優作と知り合う。
NHKの大道具のバイトをしているうちに、1974年に自由劇場へ参加。俳優として起用されるようになるが、串田和美の作風に肌があわず、1976年退団。同年に自由劇場時代に知り合った、ベンガル・綾田俊樹らと共に劇団東京乾電池を結成する。その後、やはり自由劇場時代に知り合った、高田純次、岩松了らが入団。1976年4月~1978年3月頃までベンガル・綾田と『ひらけ!ポンキッキ』のお兄さんを務めたことがある。
特異な容貌と、独特の存在感で、テレビ、映画等にも出演するようになる。
1998年、『カンゾー先生』で第23回報知映画賞最優秀主演男優賞や日本アカデミー賞最優秀主演男優賞などを受賞。2004年『座頭市』などで第58回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。
1992年、映画『空がこんなに青いわけがない』では監督を務めている。これ以降、監督作は無く産経新聞の「わたしの失敗」で「もう二度とやりません」と語っている。
2006年、NHK大河ドラマ『功名が辻』で親子共演を果たした。『スタジオパークからこんにちは』でゲストとして呼ばれたときには、収録の最中だったのか受け狙いだったのかは定かではないが、豊臣秀吉役の格好のままで登場。その姿で東京乾電池30年の歴史などを語った。
シリアスな演技だけでなく、『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』などにおける志村けんとのコントは息がピッタリで印象深いが、本人は「コントは志村さんとしかやらない」と明言している。コントでは、柄本が強烈な個性を持つボケ役を演じ(婚期を逃した四十路女性、挙動不審なサラリーマン、年増の芸者など)、志村がツッコミに徹する形で笑いを誘発するパターンが一貫して取られている。
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