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はしもと とおる
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| 生年月日 | 1969年6月29日(40歳) |
| 出生地 | 東京都渋谷区幡ヶ谷 |
| 出身校 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 公式サイト | 橋下徹オフィシャルウェブサイト |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2008年2月6日 - |
橋下 徹(はしもと とおる、1969年6月29日 - )は、日本の政治家、弁護士、タレント。大阪府知事(第52代)。橋下綜合法律事務所代表。
目次 |
東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ。小学校5年生の時に大阪市東淀川区に転居、中学3年生の時に母親が再婚[1]。大阪市立中島中学校を経て大阪府立北野高等学校卒業。高校時代の同級生には自民党前衆議院議員の川条志嘉、NHKアナウンサーの藤井彩子がいる[2]。中学・高校時代はラグビー部に所属[3]。北野高校3年時には、第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪予選を勝ち抜き全国大会に出場。3回戦で伏見工と対戦し敗退[4]。後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。
高校での成績は進級が危ぶまれるほどだった。現役時代は早稲田大学の2学部を受験するも失敗。1年間の浪人生活を経て、再び早稲田大学5学部を受験。5学部全てに合格した中で、政治経済学部経済学科に入学。大学時代には家庭教師の派遣業を行っていた他、革ジャンの卸売業[5]に携わっていた。その仕事上の契約で200万円の不渡り手形をつかまされ、それまでの貯金を失う。この時、手形法などを勉強し、訴訟を起こしたことがきっかけとなり、弁護士を志す[1]。 静岡県知事川勝平太の早稲田大学時代の教え子。
大学を卒業した1994年に司法試験に合格。2年間の司法修習で法曹資格を得、1997年に大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内にある樺島法律事務所に1年間勤務。1998年、弁護士2年目という異例の早さで[6]大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立する。示談交渉による解決を看板にする。弁護士としては珍しい飛び込み営業なども行い顧客を集め[7][6]、年間400~500もの案件を手がける。開業から1年足らずで大手保険会社と顧問弁護士契約を結ぶ。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテイメント法、スポーツビジネスなど。尚、2008年2月6日に大阪府知事に就任と同時に弁護士業を休業した為、法律事務所の運営は事務所を法人化した上で所属の別の弁護士が行っている。
芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託していた。また、同社の顧問弁護士も務めていた。
2007年12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選。同年2月6日に大阪府知事に就任。
詳細は「#大阪府知事選出馬」を参照
2009年に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。
思想的には、市場原理主義に基づく競争促進と、小さな政府をめざす経済的自由主義者であると考えられる。たとえば、2008年10月23日の私立助成減額をめぐった高校生との懇談の場では、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と強調している[8]。橋下知事によって行われた学力テスト(全国学力・学習状況調査)の市町村別平均点の開示も、競争原理をなんらかの形で導入したいという意向のあらわれであると解釈できる。
アダムスミス流の経済自由主義は、人々の道徳感を前提とするのに対して、合法の範囲内であれば道徳にしばられず競争すべきだとする所に橋下知事の特徴がある。 たとえば、著書の中では「ルールをかいくぐるアイディアを絞り出すことこそ、いまの日本にとって一番必要なんじゃないか!」[9]「明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやっても構わない」[10]「ルールのすきを突いた者が賞賛されるような日本にならないと、これからの国際社会は乗り切れない」[11]などと述べている。 一方で、権威主義的な傾向もみられる。中高生向けの著書で、「力関係をにらみながら、まずは強い者につくというのは、人間関係の鉄則です[12]。」と述べ、ジャイアンのような強い人についていく、スネ夫的生き方を繰り返し進めている[13]。国の役人や国の体制にたいする批判をする一方、麻生議員が総理大臣の時には、麻生総理大臣を支持をする発言を繰り返していたが、実践例の一つであると考えられる。
3男4女の父親であり、子だくさんとしても有名である。本人と夫人曰く「ライバルは笑点の山田隆夫と堀ちえみ」(子沢山で知られる山田隆夫は4人、堀ちえみは5人で、合わせて9人である)。しかし、以下のような発言などから、子煩悩なタイプではないと推測される。
まず、合法的に脅し、その脅した内容を回避する事から得られる偽りの利益(「仮装の利益」)を与える事で相手を納得させる手法である[17]。
法律事務所を設立した2年目の1999年から2004年まで、消費者金融大手「アイフル」の子会社であり、「利息制限法の引き直それを前提とした特定調停や個人民事再生に応じない」「みなし弁済の主張に固執し、多重債務救済手続の支障となる」「連帯保証人を徴求し、連帯保証人から債権回収を図る」など多重債務問題に取り組む弁護士・司法書士・被害者の会からは、対応に極めて問題のある企業として著名な[26] 商工ローン企業「シティズ」の顧問弁護士であった[27]。橋下はこの時代を含め、「(担当した裁判は)8年間負け知らずだった」と語っている[28]。
大阪で弁護士活動をしている中、高校時代の先輩からラジオの代理出演を依頼され、出演。偶然その時の放送を聞いていた朝日放送のプロデューサーから出演依頼を受け、朝日放送『ワイドABCDE~す』にジャーナリストの大谷昭宏と共に出演するようになる。大谷とはその後も『スーパーモーニング』や『ムーブ!』でも共演している。同番組の火曜日に出演していたデーブ・スペクターが橋下の存在を知り、橋下が出演した放送のテープを東京に送ったことから在京キー局各社に名前が知られるようになった。
2003年4月に日本テレビ系全国ネットの『行列のできる法律相談所』に久保田紀昭に代わりレギュラーとなる。同年7月には関西ローカルの『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)でもレギュラーとなり、これらの番組におけるユニークな言動で全国的に知名度が上がっていった。大阪に事務所があり、出演前後に公判を入れることがあるため、出演は関西ローカルの番組が多かった。
しばしばタレント・文化人批判や下ネタ発言をする一方、ワイドショーなどでは事故・事件・時事問題について強く言及する行動も見られた。また、司法問題や法曹界全般、弁護士・裁判官の資質に至るまで幅広く批判していた。このため自身の強気な発言で物議を醸すことも多かった。
詳細は「#話題になった言動」を参照
「2008年大阪府知事選挙」も参照
2007年12月に2008年大阪府知事選挙への立候補が報道されたが[29][30]、当初は「2万%でも。何パーセントでもあり得ない」として不出馬を表明したが、実際は自民党の古賀誠・選挙対策委員長と堺屋太一と東京で会い、立候補を了承していたこと、報道された場合は会談がなかったことにすることで合意していたことを後の出馬会見で明らかにした。2007年12月11日に再び、大阪府知事選挙への立候補の意思があると報じられ、マスメディアの報道が出馬と否定に割れたが、本人は12月11日午後に再度否定した 12月12日の大阪府庁で行われた記者会見において、正式に出馬表明[31]。
普段のラフなスタイルと打って変わって、髪は黒く、サングラスも掛けず、スーツにネクタイ姿で現れた。 二転三転した理由については、仕事の調整の手続き上であるとしている。番組で共演する評論家で友人の宮崎哲弥は「橋下がウソを付いた理由」もウソであるとし、『「番組調整が理由ではないと思います。自公推薦だけでなく、財界の支援取り付けの確認ができるまで待っていたため」であると述べている[32]。
また、以前から自民党大阪府議会議員から打診があり、12月3日に立候補の正式要請を受けたこと、島田紳助ややしきたかじん、辛坊治郎からの後押しが出馬を決意するきっかけとなったとしたが、たかじんはその後「(知事選出馬への)GOサインを出したかどうかは、微妙だと思う」と語った [33]。ただし、『たかじんのそこまで言って委員会』収録後に楽屋で出馬を説得した事実を選挙戦終了後に認めている。
なお、知事選への出馬したことにより、出演しているテレビ・ラジオなどのレギュラー番組を全て降板することとなり、収録済みの『ムハハnoたかじん』は別番組に差し替えられることとなった[34]。
橋下知事の最初の勤め先で親弁護士であった樺島弁護士は、「TVで懲戒請求呼びかけ」の欄で後述する事件が、橋下弁護士の知事出馬理由になったのではないかとする次の発言をしている。「懲戒処分請求を呼びかけてテレビの人気ものになったが、弁護士の世界では孤立無援になった。あの事件から逃げるために知事になったような気がしてならない」[35]。
この事件では、懲戒請求を受けた弁護団から橋下弁護士は平成19年9月3日 に提訴され、本人が一度も出廷をしないまま平成20年10月2日に有罪判決を受けている[36]。番組中の発言で、有罪判決を受ける事は、知事になっていなければ、タレント生命の危機となっていた可能性もあり、将来の有罪判決を予想して、知事選に出たとする解釈も一つの可能性として成立する。
公明党大阪府議団は、「核武装論など、今までの発言に支持者から反発があった」と過去の言動から「推薦」を見送り「支持」に留め、公明党本部もこれを尊重することを表明した。2008年1月7日、自民党、公明党共に党本部としての推薦・支持を見送ることを表明し、自民党は「府連推薦」、公明党は「府本部支持」とし、共に府連レベルでの支援を決定した。公明党は同年1月16日新春年賀会に橋下を招き、支持母体である創価学会を初めとする支持者らに橋下への支援を訴えた。
現在、公明党との関係は良好である。2009年1月14日の公明党府本部新春年賀会に出席した際には、「僕は強い人の力を借りて騒ぐのが得意。国に対して言いたい放題できるのは、公明党の先生方が後ろにいてくださるから」と挨拶した[37]。
また、維新政党・新風が「同和対策予算はゼロにします」という橋下の姿勢を評価し、勝手連として支援することを表明した[38]他、2008年1月7日には人材派遣会社株式会社「パソナ」グループ代表南部靖之や元経済企画庁長官堺屋太一や井手正敬・JR西日本元相談役らが橋下徹の政策に賛意を示し、勝手連を立ち上げた。
記者会見では、認証保育施設の増設、公立中学での米食給食の実施、大阪市中心部を石畳とガス灯で整備する、歩行者天国を設置するなどを主張。しかしながら、それらの政策は大阪市など大阪府以外の自治体が実施権限を持つ政策であるため、自民党府議団と会談した際に、公約となる政策を再度ちゃんと考えてくるよう資料を渡され出直しを命じられた。
府庁改革については告示前に「府庁解体」を行うとして「ちゃぶ台をひっくり返す」「汗をかかない方は去って下さってかまいません」と発言するなど府庁職員に対して敵対姿勢を見せていたが、その後一転して府庁職員の前で話す際には「皆さん(府庁職員)の盾、サンドバッグになります。一緒にスクラムを組んでください。 」と対応を180度変えた[39]。
推薦・支持している自民党と公明党は表立った支援をせず、選挙対策本部は所属事務所タイタンと高校時代のラグビー部OBを中心とし、政党色を薄めた選挙戦を展開。自民、公明の大阪選出国会議員、地方議員がいっさい応援演説をせず、著名人の応援は選挙戦終盤に参議院議員丸山和也と宮崎県知事東国原英夫程度であった。7人の子持ちであることを前面に押し出し、「子供が笑う」をキャッチフレーズに「4つのトライ」と17点の重点事業をマニフェストとして掲げた。
選挙戦中盤の1月20日には、橋下のテレビなどでの言動を問題視した300万枚もの選挙法定ビラ(対立候補の熊谷貞俊事務所と同所在地にある団体が作成)[要出典]が新聞折込広告として府内に配布された。
最終的には対立候補に80万票以上の大差を付けて当選。当選当時の都道府県知事の中で最も若い知事となった。いわゆる「タレント知事」の誕生は大阪府では横山ノック(2期を務め、途中で辞職)以来13年ぶり。弁護士出身の現職知事は愛知県知事神田真秋に次いで2人目である。公選の大阪府知事としては初の東京都出身である。38歳の公選知事は歴代3番目の若さである[40]。
当選直後から各種メディアに出演。1月29日には内閣総理大臣福田康夫を表敬訪問。また、知事就任前に大阪府庁に登庁し事実上大阪府知事としての職務を始める。自民党大阪府議団の一室を借り、事実上の仮知事室として府職員と就任後の2008年当初予算の作成、政策協議を行う。
2008年2月6日に大阪府知事として大阪府庁に初登庁。就任の記者会見で財政非常事態宣言を出し、選挙戦で公約に掲げていた府債の発行を原則認めない方針を示した。同時に2008年度当初予算では前年度比で1000億円削減することを明言した。更に「あらゆる情報を公開する」と情報公開室の新設を表明。現行4176万円の知事退職金を半減させるとした。 現在判明している緊縮財政案としては
選挙戦で公約していた原則として府債を発行しない方針を当選後の2008年2月に撤回し、2008年度の暫定予算案において、発行しないと府民生活に影響がでるとの説明のもと、建設事業費として160億円の府債を発行する方針へと転換した。さらに、「ギリギリまで発行を抑えたが、後半にどんとついてくる」と発言しており、府債発行を増額させる可能性を示唆している。[41]
2008年2月10日、人件費の削減は予算案に計上しないことを明らかにした。[42]
学力別クラス編成導入について、選挙中に「塾でもやっていることが、なぜ公立の学校でもできないのか」として熱心に導入を呼びかけていたが、文部科学省の銭谷真美事務次官などの反発もあり、2008年2月13日にこれを撤回。「基本となるクラスまで学力によって分けるのは反対」と正反対の見解を述べた。また、約600億円(生徒児童一人あたり約37万円)に上る私立学校助成金の削減を検討していたが、これも撤回。来年度以降も当面、続けることを明らかにした。[43]
4月11日、総額1100億円の予算削減を行う財政再建プロジェクトチーム案を発表。この案を元に議論を進めるとし、「賽は投げられた」述べた。この案は、職員人件費の大幅削減、警察官の定数削減、私学助成金のカットや助成団体への補助金見直しを含む大胆な案で、賛否入り乱れた大きな反響があった。4月17日には、市町村への補助金カット反対を訴える市町村長との交流会で、感極まって涙を見せる一幕を見せた。
6月5日には、試案を若干見直した「大阪維新プログラム」と称した案を発表。人件費や私学助成金など固定費を375億円削減し、全体で1100億円の歳出削減を図る骨子は変わらなかった。6月20日には、職員労働組合との徹夜の団体交渉に挑んだが、組合員から時節罵声が飛ぶなど荒れた雰囲気の中、両者の主張は平行線をたどり結局決裂したまま予算提出となった。
7月1日からの臨時大阪府議会では、府側が提出した2008年度本予算が審議され、知事与党からも厳しい批判がなされたことから、予算の見直しを表明した。しかし、府議会各会派の足並みの乱れもあって結局私学助成金や人件費のカットについて18億円の小幅修正を行った案が、土壇場で賛成に回った野党民主を含む共産を除いた主要3会派で可決された。[44]
知事就任後、2008年9月5日の記者会見で、全国学力テストの成績が2年連続で低迷したことを受け、「府の現状について『教育非常事態宣言』を発する」と述べ、教育力向上への取り組みを徹底する考えを示した。橋下知事は「府教育委員会が前回の(学力)テスト後に『方策を取る』と言ったのに、全く改善されなかった」と理由を説明。「教員が逃げているだけ」として、正答率も含めた学力テストの市町村別結果を公表する必要性を強調した。 また9月末で2人が任期切れを迎える教育委員に絡んで「僕の考えに共鳴する人に多数を取ってもらいたい」と述べ、その後「百ます計算」で知られる陰山英男と「小河式プリント」の小河勝を任命した。
翌6日には枚方市で開かれた日本青年会議所大阪ブロック協議会主催のフォーラムで、PTAが機能していない故の現状であり形式主義に陥っているとして「PTAを解体する」、全国学力テストの市町村別結果を公表するよう府教育委員会が市町村委員会に要請する事について「指導助言が無視されるようなら府教育委員会も解散する、小中学校課の予算は付けない」と発言。
前知事が府内の全公立小学校に導入した「35人学級」について、「負担に見合う効果があるか疑問」として見直しを検討する意向を示した。また、「画一的に少人数にすればいいというものでもない。基礎ができている子の場合は、200人くらいでも授業は成立する」との見解を示している。
2011年度から大阪府内の公立高校10校を「進学指導特色校」に指定し、これまで府立高校から約1000人だった難関国立大と難関私立大への合格者の6割増を目指すことを発表。また体育科を設置する高校と教育センター付属研究学校も同時に設置予定で、「学力に加え多様な進路希望に対応する」という主張に沿った内容となる予定[45]。
大阪府庁を大阪ワールドトレードセンタービルディングへ移転する提案を出したが、条例は2009年3月議会で否決(26日。入居を見込んでいたビル側はこれにより会社更生法適用が確実となる)。直後の記者会見で「やっぱり日本は北朝鮮じゃないってことですよ。何でも思い通りに物事を進めたら独裁者になってしまう」と発言。無関係な事を喩えに挙げた行為への抗議及び生徒保護を求める要望書を朝鮮学校保護者会「大阪府オモニ会」から手交された[46]。 これを受けて、北朝鮮によるミサイル発射の際、「大阪にも多くの北朝鮮籍の人が住んでいる。言論の自由が保障されている日本に住む北朝鮮籍の人は、北朝鮮の今の体制について厳しく批判しないといけない。国民に変える気概がなければ、国は変わらない」と述べた[47]。
関西国際空港活性化の要望をするために出向いた際、記者団に関西三空港についてのあり方について「伊丹空港の廃止も含めて検討し、きちんと方向を出さないといけない」と述べた。その後撤回し、関空利用促進のため伊丹~成田便の廃止を主張していた。しかし、2009年に再び伊丹空港の廃港を主張し、兵庫県の井戸敏三知事と対立する[48]。
府知事選出馬前に、雑誌「フライデー」に無断撮影されたことで光文社を肖像権侵害で訴えたが敗訴、控訴しない旨を明らかにし、判決が確定した。また、7月25日、橋下の肖像画を無断使用したお菓子を池田市の第3セクターが販売しようとしたのに対し、「法的措置も辞さない」とした。しかし翌日になって「盛り上がるなら使ってもらってもよいが、品質保証はできない」と述べ、肖像画使用を黙認。この騒動について、本人は池田市長との出来レースだったと述べている。
2009年7月30日、2008年度の普通会計の実質収支が11年ぶりに119億円の黒字になった事が明らかとなった[49]。主な要因としては、人件費抑制などが挙げられる[50]。 なお、減収補てん債および行政改革推進債の発行して得たお金は、「収入」として計上されている[51]。
橋下は同年10月28日の記者会見で、実際には基金からの借入金が1500億円あったとして黒字化を事実上撤回した[52]。橋下は借入金について「いつ返すのか決まっていない。これは借り入れじゃなくて使い込み」「基金から借り入れて、何とか数字を合わせている。真実の数字に基づいた会計制度にしないといけない」と批判した[52]。また、大阪府以外にも基金から借り入れている自治体が存在すると述べている[52]。
2010年2月8日、財政赤字を隠すために、5つの出資法人への貸付金を年度末の3月31日にいったん全額返済させて歳入とし、新年度の4月1日に改めて貸し付けていたことが府の包括外部監査で判明し「不当な操作」と指摘された。この一時返済がなければ853億円の赤字であった。
横浜市の中田宏市長や松山市の中村時広市長らとともに「首長連合」を結成する。「首長連合」は2009年の衆院選で、民主党への支持を表明したため、大阪府知事選で橋下を支援した自民公明両党から「裏切りだ」との声が上がった[53]。選挙後、落選した中山太郎自民党大阪府連会長は「考えもしなかった態度」「信用できない」と橋下を非難した[54]。
大阪府立大学を名指しし、「府立大の必要性を吟味したい」と“国公立大学不要論”を展開しており、「大学経営って、160億円も使ってやることか。私は大学は私立がやるものと思っている」との見解を示した。また、府立高校の入試制度について、学業成績以外にスポーツなどでの評価を重視する、多様な入試制度プランを提唱している。また、教育バウチャー制度への意欲を示している。また、府立高校の民間人校長の抜擢に、早稲田大学時代の友人を秘書が口利きしていた問題で、対応は「不適切」とした[55]。
2010年1月12日、公明党の年賀会で「競争力のある大阪にするためには、一度大阪府を壊す必要があるし、大阪市も壊す必要 がある。来たるべき統一地方選挙において、大阪の形を1回全部解体して、あるべき大阪をつくりあげる」と述べ、府と市の枠組みを取り除き、広域行政によって「ひとつの大阪」を目指す考えを示した。その上で、きめ細かな住民サービスを行うため東京23区のような特別区の導入も検討しているという。知事は来年春に行われる大阪府議会および23の市町の選挙(統一地方選挙)に向けて大阪の形を変えていきたいと主張し、政治グループを立ち上げる決意を示した。[56]
2007年5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」、「何万何十万という形で、あの21人の弁護士の懲戒請求をたててもらいたいんですよ」と山口県の光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた[83]。これによりテレビやインターネットなどで、「懲戒請求書の記載の仕方」を見た人たちの懲戒請求書約7,558通(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍以上)が弁護士会に殺到することになった[84]。
これに反発した弁護団のうち4人が業務を妨害されたとして、2007年9月に橋下に1人当たり300万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴した。橋下は「発言に違法性はない」、「懲戒請求は市民の自発的意思」、「自身のテレビでの発言と一般市民の懲戒請求の間には因果関係はない」などと反論した。
後に橋下自身は懲戒請求していなかったことが明らかになり、そのことを批判されたが、橋下はその理由について「時間と労力を費やすのを避けた」[85]、「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので…」などと釈明した[86]。
この懲戒請求呼びかけについて、ジャーナリストの江川紹子は「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もあるという負担やリスクを説明せず、ただ”誰でも簡単に”できると、気楽なノリでしゃべっている」、「「世間」を煽っている感じさえする」などと批判[87]。
同年8月6日、橋下は弁護団が開いた緊急報告集会に出席していたが、その場では「安田弁護士が最高裁の弁論を欠席したこと、これは究極の弁護方針として、弁護戦術として、これはもうもっともだと思う」などと発言していたが、翌8月7日の自身のブログにおいては、自分たちだけが正義の実現者だと思い上っているとして、「この集会はカルト集団の自慰(オナニー)集会だね。」と酷評した。また、「チンカス弁護士」、「オタク法律家」、「法律オタクのお坊ちゃん弁護士」などと述べた[88]。
また、横浜弁護士会が懲戒請求者に対して住民票の提出を要求したことに対して、自身のブログで、「横浜弁護士会のインチキ野郎」「偽善に満ちた行為」と激しく非難[89]。
懲戒請求自体は弁護団を懲戒するだけの事由及び信憑性が無かったとして各弁護士会で次々と却下されており、懲戒処分された弁護士は1人もいなかった。これに対し橋下は、『たかじんのそこまで言って委員会』2007年12月9日放送分において、「7,000通も(懲戒)請求が出ているのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満を洩らしている。 同年12月17日、今度は反対に、市民約350人が「刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行だ」として、大阪弁護士会に橋下に対する懲戒処分を請求した[90]。橋下弁護士が懲戒請求をよびかけた弁護団の中に兄弁護士にあたる先輩がいた事から、橋下弁護士の最初の勤め先の親弁護士であった樺島弁護士も、この橋下弁護士に対する懲戒請求に名前を連ねている[91]。その後2009年4月14日、弁護士会綱紀委員会は懲戒相当である旨議決[92]。
なお、2008年3月18日、広島弁護士会に請求申し立てされた7弁護士への懲戒請求は、「弁護士らの活動は職責を果たすもので、適正な刑事弁護」であるとして認められない事が正式に議決された。また、2008年10月2日、広島地裁は弁護士たちの損害賠償請求を認め、橋下に対し原告1人当たり200万円(合計800万円)の賠償を命じる判決をした[93]。これを受け、発言について反省している旨を述べたが、「高裁の意見も聞いてみたい」として控訴した。
2006年5月23日、大阪国税局から本業である弁護士業務の経費計上等にかかわる約2500万円の申告漏れを指摘され、修正申告に応じたと『産経新聞』[94]に報道された。[95]これについて、橋下は自身のブログで、税務調査によって、過去3年間の実際に支出した経費の一部を税務上の経費からはずした結果、(名目上は)過去3年分の所得が(2500万円)増えたことになるが、実際には支出しているから、手元に残っていない。しかも、飲食ではなく、法律業務に使ったのであって、それを意図的な所得隠しや架空経費の計上で税金をごまかす「申告漏れ」と同一視したと反論した。「申告漏れ」という報道が、一般には脱税と受け取られやすいのに、情報の受け手のことを考えない(自己満足的な)情報を発信したという意味で『産経新聞』を「このオナニー新聞が!」と罵倒し、産経の記者の実名を挙げ批判した。また、記者が情報を得たと思われる税務当局の人物を特定したと書き、その税務署員と産経の記者が国家公務員法に違反すると断じた[96][97]。しかし、その記事の中では自身は産経新聞を熟読しており、雑誌の『正論も定期購読しており、「だいたい産経新聞に賛成だから、購読を続ける」としている。ブログでは、産経新聞に対して「法的手続きも検討している」と述べていたが、現在まで法的手続は取っていない。橋下の抗議により産経新聞は同年7月8日付け朝刊で、経費請求した名目や内容をそれぞれ「タレント活動に必要などとして」、「飲食代などの」としていた箇所を省くとした訂正記事を掲載した。 また、この件を報じた『週刊文春』(2006年6月15日号)がマスメディアでは公開していなかった橋下の家族のプライバシーを明かしたことについて、取材した記者の実名を挙げ、この問題は脱税事件などの違法性を帯びた社会的な事件ではないのに家族のプライバシーを侵害したとして、『週刊文春』を「三流以下の死に体週刊誌」、「魂の欠けたジャーナリズム」と厳しく非難した[98]。
府知事就任3日目にNHKで生放送(関西ローカル)されたテレビ番組『かんさい特集 「新知事・市長に問う 大阪の、これから」』に出演した際の状況から、同局に対する今後のスタジオ出演には出ない旨の発言をした。
2008年2月9日、同番組に出演した橋下は、元鳥取県知事片山善博、大阪市長平松邦夫、上山信一(慶應義塾大学教授)らが出演していた討論の途中でスタジオ入りした。事前に遅れることをNHK側も承知していたことであったが、登場した橋下に司会のNHKアナウンサー藤井彩子は「ちょっと遅刻ですけども、およそ30分で遅刻して到着されました」と紹介した。橋下はこれらの言動に対して激昂し、同日行われた記者会見で、東京での公務がある為に出演が遅れる事は依頼があった日から再三NHK側に伝えてあった事、NHK社員が公務中や移動中でも執拗に公務を切り上げて早く出演してくれと迫ってきた事、女性司会者の言動、現場のプロデューサーやディレクター及びスタッフの挨拶が無い事などを挙げ、今後、NHKのスタジオ出演はしないと発言した(それ以外の取材は受けるという)。
これに対してNHK大阪放送局広報部は、「発言は場を和ませようとしたもの、挨拶はしている」とコメント。藤井アナウンサーは高校時代の橋下の同級生である。
同日の関西テレビでは、やしきたかじんがホストを務めるバラエティー番組『ムハハnoたかじん』が、NHKの生番組(19時30分番組開始)とほぼ同時刻の19時29分番組開始で放映されていた。そちらは約30分の録画放送で19時57分まで放映されており、橋下は大阪市長平松邦夫とともに出演していた。また、橋下は同番組に大阪府知事に立候補する直前までレギュラー出演していた。
その他多数
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