死(し)は、命がなくなること[1]・なくなった状態、生命活動が止まること・止まった状態、あるいは滅ぶこと・滅んだ状態のこと。人間の死の定義は文化圏、時代、分野などにより様々である。
近年では「不可逆的」という概念が加えられることもある(→「死亡の判定・定義」節を参照)。一時的に命が無い状態になったが再び生の状態に戻った場合、途中の死の状態を「仮死」や「仮死状態」という。
伝統的には宗教、哲学、神学が死を扱ってきた。近年では、死生学、法学、法医学、生物学等々も死に関係している。
死の後ろに様々な言葉をつなげ、様々なニュアンスを表現している。例えば「死亡」「死去」「死没」などがある。組織の滅亡や、そのものがもつ本来の機能が失われることも「死」と表現することもある(→「比喩としての死」節を参照)。
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人間が死に至る死因の種類は、外傷・疾患・老衰、事故死・自殺・他殺などさまざまである。
人については、呼吸と鼓動の停止をもって死んだものとする見方が一般的である。しかし死にはさまざまな定義がある。
以前はいずれか1つのみの機能停止であっても速やかに他2者の機能停止に至るため、「死亡」は心停止を基準とする心臓死が同じ意味だった。
しかし、現在では人工心肺をはじめとした救命技術の進歩によって、心肺停止状態でも恒常的に脳を生かして意識を保って置ける、あるいはそれを回復する可能性を残すようになったため、心肺停止と心臓死は同じ意味では説明が難しくなり、心肺停止による心肺脳全ての停止を「心臓死」と呼ぶようになった。一方、脳機能のみが廃絶しても心肺機能を保って置ける様になり、この状態を脳死と言うようになった。脳死を人の死と認めるべきか議論は決着しておらず、死の定義はより困難になってきている。
現在の定義のひとつに、「生命活動が不可逆的に止まる事」[2]というものもある。「不可逆的」の意味を理解するには人間の例で考えるとわかりやすい。人間の髪の毛や爪は心臓・肺・脳が全て停止していても、数日間は伸び続ける。この間は毛根細胞は生きているが、心肺脳が全て停止している場合、やがては毛根の活動も停止してゆくことは免れない。この考え方では、このように個体の状態の不可逆的な活動停止への変化を死と言う。この考え方では、逆に事故などで心肺停止状態に陥っても心肺蘇生によって息を吹き返した時には、この間の心肺停止は可逆的なので、死とは言わない[2]。
法医学では、人間の死は、心臓・肺・脳、それら全ての不可逆的な機能停止によって規定される[要出典]という。
法律上、何をもって人の死とするかという問題については、「人の終期」の項も参照。
死の正確な瞬間を判定する試みは、歴史的に問題を含んできた。
死はかつて鼓動と呼吸の停止と定義された[要出典]。しかし心肺蘇生術と迅速な細動除去の発達によって、以前の定義は不十分なものとなった。この以前の定義は現在「臨床死」と呼ばれている。臨床死が起こった後でも、場合によっては鼓動と呼吸を再開することがある。かつては死の原因となった出来事も、医療技術の発達によって直接は死に結びつかなくなった。心肺機能に代わる生命維持装置やペースメーカー、さらには臓器移植によっても死を避けることができる。
今日では死の瞬間の定義が求められたとき、医師は通常「脳死」または「生物学的死」という概念を用いる。脳の電気的活性の停止が意識の終わりを示すと考えられるため、脳の電気的活性が止んだとき、人間は死んだことになる。しかし、意識の停止は睡眠中や昏睡中にも起こりえるため、停止は一時的なものではなく、永続的で回復不能なものでなくてはならない。意識の停止がたんなる睡眠であった場合、脳波計で簡単に確認できる。臓器移植を行う際には、死後早急に臓器を摘出し、移植手術を行わなければならないため、正確な脳死判定が重要となる。
一部の人は、人間の意識に必要なのは脳の新皮質だけである、と主張している人々は、新皮質の電気的活性だけを基準に死の判定をすべきである、と論じている。"大脳皮質の死によってもたらされる認識機能の永続的で回復不能な消失が、死を判定する基準となる[2]"と述べる人もいる。"人の思考と人格を回復する望みはないから"と考えるのである。
しかし現時点では、より保守的な、大脳全体の電気的活性の停止をもって人の死とする論が大勢を占めている[要出典]。
2005年の植物状態におちいったテリー・スキアボの尊厳死を巡る事例は、アメリカの政治を脳死と人為的な生命維持の問題に直面させた。 一般的に、そのように死の判定を巡って争われた事例での、脳の死因は無酸素状態によって起こる。 大脳皮質はおよそ7分間の酸欠で死に至る。
酸欠によって大脳皮質の機能が失われた場合でも、死の判定は難しい。 脳の電気的活性が脳波計が感知するにはあまりに低かった場合、何も存在しなくても、脳波計はノイズ(見かけの電気信号)を感知することがあるためである。 このため、病院では、脳波計を使って死を判定をするときは、病院内で広く空間を隔てるなどの精巧な実施要綱がある[要出典]という。
原則として医師と歯科医師以外の者が患者の死亡を宣言する権限はない。消防機関の救急業務規程の中では、「明らかに死亡している場合」や「医師が死亡していると診断した場合」には、救急隊は患者を搬送しないと定められている。すなわち、それ以外の場合では、患者が生存している可能性があるものとして取り扱うことが求められている。「明らかに死亡」とは、断頭、体幹部の離断、死体硬直、死斑、腐敗、炭化、ミイラ化その他の明らかに生存状態とは矛盾する身体への損害(いわゆる社会死状態)をいう。社会死要件を満たさない場合、救急隊員は救命措置を開始し、医師の診断を受けるまでそれをやめてはならない。病院到着時の診察で死亡が確認されることを、DOA(Dead on arrival = 病院到着時すでに死亡)という。
医師に死亡を宣告された後、生き返った人々の逸話が多くある[3]。
イギリスのビクトリア時代のそのような逸話では、あるものは防腐処理を始めた時に、あるものは死の数日後に棺の中で意識を回復するなどして動き回ったりする。当時のイギリスでは、このような早すぎた埋葬を、強迫観念的に恐れるようになる人がいた。同時代以前には、ペストなどの伝染病流行時に、感染を恐れて検死がずさんだったりするケースもしばしばあったとされ、これが死者復活(→吸血鬼やゾンビ・グールなど)の伝承となったと考える者もいる。
これらは、その当時の検死技術が完全ではなく、ショック状態における体温の急激な低下や、呼吸量の著しい減少、あるいは血圧低下による脈の微弱な状態を死亡と誤って判定したケースや、一時的な心肺停止後に偶発的に心臓の鼓動が正常に戻るなどして「生き返った」とみなされたのだろう。このため近代的な検死では、最初のチェックから一定時間後に生命の兆候がないかを再チェックするようになっている。
検死技術の発達以前における土葬では、このように生きているにもかかわらず埋葬され、生き埋めとなる可能性は誰にでもあり、またそれらの可能性は大変な恐怖を伴った。そのため発明家たちは被埋葬者の状態を棺外に伝える方法を発明した。地表にはベルと旗があり、それが棺内にひもでつながっていた。棺の蓋には金槌や滑車装置で壊せるガラスの仕切りがあった。しかしこれは気休めでしかなく、この滑車装置が棺にかけられた土のため機能し得ず、棺を破壊したところで割れたガラスと土が被埋葬者の顔を覆う事になる。
詳細は「臨死体験」を参照
仮死状態から医学処置などで蘇生した人の4~18%が臨死体験と呼ばれる夢もしくは幻覚を報告する。臨死体験が起きるメカニズムには諸説あるが、心停止により脳が酸素欠乏、意識の喪失へと陥る危機的状況の中で脳が普段と異なる振る舞いを見せる。このうち体外離脱感覚と呼ばれる幻覚は側頭頭頂結節点を電気刺激することで誘発できることが知られている[4]。
宗教の世界、スピリチュアルな世界では死後の世界へとつながる感覚として重要視されている。 つまり、医師などによって死亡したと判定されたのに、時間を経て再び生き返る人がいる。別の言い方をするなら、仮死状態から生き返る人である。ゆえに「臨死体験」と呼ばれている。
有史以来、「臨死体験」をした人々が多くいたようであり、西洋でも東洋でも類似の内容が様々な文献に記録されているという。ハーバードで宗教学の講義を担当するキャロル・ザレスキーは、中世の文献は臨死体験の記述であふれていると指摘した。また、日本でも『今昔物語』『宇治拾遺物語』『扶桑物語』『日本往生極楽記』などに臨死体験そっくりの記述があるという[5]。
近年では医学技術により、停止した心臓の拍動や呼吸をふたたび開始させることも可能になったため、死の淵から生還する人の数は過去に比べて増えている[6]。
臨死体験の研究というのは、欧米では地質学者のアルベルト・ハイムが登山時の事故で自身 臨死体験したことをきっかけに行い1892年に発表し先鞭をつけ、その後 1910年代~1920年代に数名により研究が発表されたが一旦途絶え、1975年にキューブラー=ロスとレイモンド・ムーディという医師があいついで著書を出版したことで再び注目されるようになった[5]。1982年には、やはり医師のマイクル・セイボムも調査結果[7]を出版した。[5]
人は死に臨んで、まばゆいばかりの光、美しい景色などを見たり、この世を去って久しい身内などが現れたりするという。自分が宙に浮き上がり、その後に肉体の中に戻ってきたことを思い出すこともあるという[6]。臨死体験は様々に解釈されている。スピリチュアルな解釈と唯物論的解釈があり、医師や科学者の間でも解釈は分かれている[8][9]。 (臨死体験にて詳説)。
宗教では、いわゆる「死」とは、あくまで現世における肉体の滅びにすぎず、魂(霊魂)は永遠に生き続ける、としていることが多い。多くの文化で、死に関して様々な表現を用いている。「死」は、信仰や世界観が異なると表現も大きく異なる。
古代エジプトでは、人は死によって魂が一旦肉体を離れるものの、再び同一の肉体に戻ってくるとされていた。再び戻ってくるための肉体を残しておくためにミイラを作成した。
キリスト教においては、「死」とは天国に行くこと、としていることが一般的である。人は死んで「永遠の生命」を得る、とされることがある。多くのキリスト教では「帰天」「昇天」「召天」と表現し、正教会では「永眠」と表現する。ただし、非キリスト教徒(洗礼を受けていないことを基準とする)の場合は地獄や煉獄へ行くとされる。洗礼を受ける前に死んだ幼児の扱いは歴史的に議題となってきた。キリスト教徒の悪人の行方は宗派や神学者ごとに異なる。
古代インドのヴェーダ聖典においては、人間の肉体は死とともに滅するが、その霊魂は不滅だと信じられていた。ウパニシャッドでは、肉体の死の後、魂の前には2つの道があり、一方はブラフマンに至る道であり、他方は地上において再び1つの肉体を得て再生する道である、とされた(輪廻転生)。
ブッダが説いた教え、仏教では死は人間の4つの苦しみ(生・老・病・死)の1つであるとされている。
神道では黄泉の国・彼岸へ行くと考えられたりもした。日本では、神道的な世界観に基づいた表現である、「冥土へ旅立つ」「黄泉に赴く」「帰幽」(幽界へ帰る)などの表現を用いる人も多い。また日本では、古代に言霊の思想などもあり、「死」という語を声に出したり書にしたためたりするのは不吉であるとし、これを禁忌(タブー)として扱ってきた。
日本の仏教では、宗派により考え方は異なっており、(ヴェーダ同様に)輪廻転生をしていて、悟りを得た者は輪廻から解放される(解脱する)としている宗派もあるが、輪廻転生はしていないとする宗派もある[10]、そのようなことがらについては、どちらだとも説明しない宗派もある[11]。 ただ、信者の死は輪廻転生思想に準じた「あの世へ行く」「他界」「往生」「成仏」などと言うことが多い[12]。高僧の死は「入滅」「入寂」「遷化」などともいった。
また「鬼籍に入る」という、中国的な世界観に基づいた表現、あるいはそれと混交した仏教での表現、も用いられることがある。また、高齢まで生きて死んだ時に用いる「天寿を全うする」「大往生する」といった表現も、話者はあまり意識していないが、上記の世界観から生まれている。
上記の各宗教における表現以外にも、様々な場面で、「死」という表現に代わる表現を用いる。親族の死には「不幸」などの表現が用いられることが多い。場面に応じて、「臨終」「物故」「亡くなる」などとも言う。また「逝去」「逝く」「世を去る」「不帰の客となる」「帰らぬ人となる」「土に帰る」など、さまざまな表現が用いられてきた。
日本では病院で入院患者が死亡すると、医師や看護師は死亡患者と同室だった他の入院患者に対して「〜さんはお帰りになりました」といった穏やかな表現をつかうことが多い[13]。
現代用語で「早世」と「夭折」は「若死にする」ことを意味する同義語として捉えらることが一般的だが、かつては人生半ばにして死ぬことを「早世する」といい、成人に満たないまま死ぬことを「夭折する」といった。「夭」は「若くみずみずしい」という意味の漢語である。
「不幸」はそれ自体が死を意味する語だが、不幸な境遇や異常な状況下で死ぬことにも当然のことながら多くの婉曲表現が用いられてきた。無念の死を「果てる」、むなしい死を「朽ちる」、 戦場での死を「散る」、旅先での死を「客死する」、さらにそれが辺鄙な地や思いがけない場所の場合は「行き倒れる」とも言った。内心では死んでしまえと思うような奴や、世間に害を成す悪人や罪人の死にさえ、日本人は「くたばる」という間接表現を使って「死」そのものを口にすること避けてきた。
チベットには『死者の書』があり、死後の世界でどう対処すればよいのか、それを読み学ぶ。チベットのある宗派では、人は病などで死期が近づくと家族からは離れて僧侶と二人きりで時を過ごすという。僧侶は枕元に座し、まさに死の時にどうすべきかを繰り返し説く。光が見えるので、迷わずその光の方向へ向かってまっすぐに進め、現世に残した家族に執着して立ち止まったりしてはいけない、と説くという。
現世での政治的な身分の上下にこだわる者たちは、死の表現まで身分ごとに異なった表現を用いた。中国の古典の『礼記』曲礼篇によると「天子の死を崩(ほう)と曰(い)ひ、諸侯は薨(こう)と曰ひ、大夫は卒(そつ)と曰ひ、士は不禄(ふろく)と曰ひ、庶人は死と曰ふ」とある。これにならい日本でも古くから、王や女王および四位や五位の位階をもつ者の死は「卒去(そつきょ)」と言い、皇族や三位以上の公卿の死は「薨去(こうきょ)」、天皇や皇帝の死は「崩御(ほうぎょ)」、「登遐(とうか)」などとも表現してきたという。また、貴人の死は「身罷(みまか)る」、「お隠れになる」とも表現されてきた。
三国志の著者陳寿は、当時の歴史観で正統とされる魏の皇帝に対し崩の字を用い、非正統とされた呉の皇帝は諸侯として薨の字を用いた。しかし自らが仕えた蜀の皇帝には、『尚書』において帝舜に用いられた殂の字を用いた。この字は崩に通じる。
古代ギリシアのプラトンは、哲学を「melete thanatou (死の練習)」と見なし、魂の永遠性を信じて平然と死ぬことができるように心の訓練をすることが哲学をすることであるとした(『パイドン』)。
哲学者の樫山欽四郎は、『哲学概説』において、人間の本質的な特性として「死を自覚する存在」であることを挙げ、「死を知ることがなければ、人間はこれほど楽なことはない」という趣旨の言葉を述べている[14]。人間が他の生物と異なる1つの特徴は、人間は全て(そして自分自身も)やがて死ぬということを「知っている」ことだともいう[15]。
自己が死ぬことを知っているがゆえに、人間の哲学的営みは始まるのだともされる[誰によって?]。死を知ることは哲学への契機でもあり、また宗教への契機でもある。一般に人は、生の意味を問いかけるのと同様に、死の意味をどのように受け止めるか受け入れるか、一生をかけて問いかけ続けているともいえる[要出典]。また、哲学者三木清は「死は観念である。」として、生や病気と対比的に扱いながら思想を展開している。
哲学者ジャンケレヴィッチは、人称による死の分類を提唱した[16]。
人が死をどのように受容するかについては、近年になってようやく真摯に研究されるようになってきた。
かつては、例えば、ラ・ロシュフコー(1613年-1680年)は「箴言集」で「死を理解する者はまれだ。多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える。人は死なざるを得ないから死ぬわけだ。」などと述べていた。
突発的事故などで襲ってくる死の場合は、人は死について考える余裕さえない。しかし、回復の見込みのない病にかかり、医師などから余命が数ヶ月と宣告されるような場合、人は、自分が死なねばならない、じきに死ぬ、という事実に向き合うことになる。死の定めをどう受け入れるか、さまざまな試みを行う。
死を自覚した人は、一体どのように自己の死の事実と向き合い、どのようにその事実を拒否したり受け入れたりするのか? キューブラー=ロスは、実際に多数の「死に行く人」と言葉を交わし心理治療に従事した経験を総合し、多くの人が辿る「死の受容への過程」を、次のような段階的モデルで示してみせた(参考文献1)。
ただしこれは、キューブラ=ロスが多数の「死に行く人」の事例を観察して得たひとつの範型であって、人が全員、以上のような段階を経て、死の受容に至るわけではない。色々な自己の死との向かい合いがあることを、ロス自身も認めている。
いずれにせよ、人が死を受け入れて尊厳を持って死に臨めるようにするためには、周囲の理解と協力が必要不可欠である、ともされる。
医療の現場(病院、あるいは死を覚悟せざるを得ない人々が多くいるホスピスなどのターミナルケアの場)では、人は「病気であることの意味」「生かされていることの意味」「死ぬことの意味」などに関して様々な疑問を抱き苦痛を感じる。このような痛みは「スピリチュアルペイン」と呼ばれる。欧米の医療では伝統的に、このような痛みを和らげるサービス、すなわちスピリチュアルケアを提供するしくみが整っている。日本の医療の場では長らく対応が遅れていたが、1990年代に入ってから徐々に進展が見られるようになった。
「スピリチュアルケア」も参照
前述のごとく、死を悲しいものだとする文化・宗教がある一方で、死は喜ばしいものだ、とする文化・宗教もある。
死は悲しいものだとする文化圏・宗教では、自分の親しい人間の死が訪れたときなどは涙している。だが、死は新たなる世界への旅立ち、としている文化圏では、笑顔で送り出す。
エリザベス・キューブラー=ロスの書籍に以下のような表現があるという[17]。
死なんてものは、春になって重いオーヴァー・コートがもういらなくなったときに、それを脱ぎ捨てるようなもの......... 肉体は不滅の自己を閉じ込めている殻にすぎない。
ネイティブアメリカンの文化などでは「今日は死ぬのに良い日だ」[要出典]という言い回しもあるそうである。
文学作品の多くは、死とその風景をモチーフとし、あるいは利用してきた。
モチーフとしての用い方としては以下のようなタイプがある[要出典]という。
死の風景は時代と場所によってその描かれ方に類型が見られる。ギリシャ叙事詩においては、戦士達の誇り高き死が頻繁に現われる。近代フランス文学では、例えば、『ゴリオ爺さん』や『ボヴァリー夫人』に見られるようなベッドの上の死の情景と、陰で遺産の計算をする看病人逹の冷やかな様子が頻繁に描かれた。 日本の私小説作家達は、自殺や心中のモチーフを頻繁に用いた。
文学的な人物の死とは何か、というテーマに関しては、文学理論家のミハイル・バフチン(1895-1975年)は「美の条件は空間的な境界と時間的な終りを持つことであり、死は文学作品の人物を美的形象とする契機となる[要出典]」という考え方を提示した。
西洋では20世紀の前半に、ハイデッガーやユンガー、ブランショらが、死すべき存在としての人間を肯定的に捉えようとした。
古井由吉(1937年-)は『仮往生伝試文』をはじめとする作品群の中で、死と自己とのかかわり合いを特異な文体で描き出した。死が、対立事項でもなく、恐怖の対象でもなく、ともかくも生が続く限り常にからめとられざるを得ないもの[要出典]として、描かれている。
かつて、死は死神や悪魔によってもたらされる、というイメージで理解されたり語られたりすることも多かった。 ロシアでは、死は一般的に老婆の姿でイメージされる。ロシア語においては「死」という単語(смерть)は女性名詞であるため。
色では、死は黒で表現されることが多い。トリアージでは、死亡及び救命不可能をあらわすカテゴリー0 は黒で表現される。喪服は一般に黒であり、訃報は俗に黒枠(black letter)とも呼ばれる。しかし、これは欧米において死者が白い服を着ているというイメージから、白が死を連想させる色として忌み嫌われたため[要出典]である。死神の像は、鎌を持った髑髏が、黒いマントを着た姿で表現される。しかし、これも花嫁の衣装が魔物から身を守るために幽霊の着るような白い色をしているというのを鑑みれば、むしろ死神は死者ではなく異界からの殺人者(生者)の象徴であるといえよう[要出典]。 また、血のイメージである赤系統の色が死の表現として用いられる場合もある。しかし、赤は血の色のイメージから活発、健康といった生のイメージをも指す場合が多い。 中国では白が喪服の色であるため、白い色が死を連想させやすい。また、日本でも西洋の文化が急速に入ってくるまでは喪服も死装束も白であった。
また死と数字については、日本など漢字文化圏の国では数字の四の読みが「死」を連想させることから、ホテル、旅館、モーテル、国民宿舎などの宿泊施設の客室番号などで「4」が避けられることがある。(階番号は除く(例:401号室))更に、日本では、数字の 42(四十二)の「し・に」の読みが「死に」に聞こえるとして凶運とされ、客室番号やナンバープレートでは「42」が避けられることが多い。(プロ野球等のスポーツの背番号においても「42」は外国人選手が付ける場合が多い)。一方キリスト教圏では13が避けられる。これはキリストが十字架に掛けられ処刑されたきっかけとなったユダに関連づけられていることがある[20]。
タロットカードにおける死のカードは、死そのもののほか、破滅、損失、失敗、災難、危険、愛の終わりなどを象徴する。マルセイユ版タロットカードでの死は「13番」と呼ばれ、明確な名前はない。それは「死」を口に出してはならないからである。
死は「新たな旅立ち」や「再生」を意味することもある。この中には大地への帰還(地より生まれて地に帰る)の思想のほか、再生に絡み胎内回帰的なイメージを持つ場合もある。沖縄の亀甲墓は女性の子宮を意味しており、胎内回帰と再生を祈ったシンボルであるという。
この他、死を「永遠の安らぎ」や「安息」と称することもある。
人々は元来、日常的に多くの人の死を自分の眼で見ていた。だが、今日の日本を含む先進国に限れば、病気や怪我による死は病院の中で扱われ、老衰による死は老人ホームの中で扱われるなど、死は人々の日常から切り離されており、人々は死について曖昧模糊としたイメージしか持たない傾向が見られる、という[要出典]。しかし死が常に日常と隣り合わせにあった時代には、より密接で現実的なイメージを持っていた。
「現代社会では、死は記号化され、曖昧なイメージしか持たない[21]」と述べる人もおり、「終わり」や「開放」[要出典]、更には死のイメージにカタルシスを求める者すら見られる、ともされる。
死に至った場合、生物体は次第に崩壊に至る。これは主として二つの作用による。
原則として単細胞生物には寿命(老化)による死という概念が無い。 多細胞生物はテロメアによって細胞の分裂回数が制限されており、分裂回数の限界が老化をもたらすが、真核単細胞生物は例外なくテロメラーゼによってテロメラを修復し、無限に増えることができる。
単細胞生物に寿命なるものをさがそうとしても、ゾウリムシの分裂制限ぐらいしか挙げられない。 ゾウリムシを人為的に一個体づつに隔離する事を繰り返して、自家生殖もしくは接合を行わせないよう注意深く飼育したところ、350回程度の細胞分裂の後に死を迎える。これはゾウリムシは自家生殖もしくは接合による核の融合がテロメラーゼを働かせるスイッチになっているからである。故に、自然界で寿命を迎えることは、ほぼありえないと考えられる
通常の細胞機能は、不可欠な細胞代謝のために必要なエネルギーと、酵素と構造タンパク質の生産、細胞の化学的および浸透的恒常性の維持、などを含む。通常に機能している細胞は、酸素、リン酸塩、カルシウム、水素、炭素、窒素、硫黄、栄養的な基質、ATP、などを摂取する必要があり、また無傷の細胞膜と酸素を消費する不変の活動も必要とする。これらの要素のうちどれが遮られても、細胞死は起こりえる。
現在の日本の法医学では、一般に、死後人体におこる変化を死体現象と総称する。[要出典] まず、心拍が停止した時点を死亡時間とし、その後見られる現象は以下の通りである。 死亡後に見られる明らかな変化の多くは、血流の停止によってもたらされる。 まず、体表温度が速やかに室温に近づいていく。 死後、体芯温度は体表温度と異なり、緩やかに気温に近づく。多くの場合、気温は体温より低いため、低下する(死体冷)。体温の低下速度は、死亡時の体温や死体の大きさ、環境や着衣など、いくつかの要因によって変化する。 周囲の湿度が低い場合、指尖、鼻尖等の突出部位から速やかに乾燥し皮膚の収縮がみられ、ミイラ化が始まる。生理学的には、血流停止後、酸素の供給が途絶えた全身の細胞の内、神経細胞などの脆弱な細胞から、数分以内に不可逆的な変化が始まり、最後に筋繊維などの一番疎血に強い細胞が死滅する。末梢の、上皮など血液以外から酸素を得られる細胞では血流の停止による水分の不足(乾燥)、電解質の異常などを原因に細胞死が始まる。乾燥から免れ、周囲の空気から何とか酸素が供給されている場合、毛根などの細胞はしばらく生存する可能性もあるが、死体の髭や髪が伸びると言われる場合、多くは表皮の乾燥による収縮のため、毛髪がより露出して見えることによる錯覚であるとも言われている。また、まばたきが行われないため、角膜の乾燥、角膜の細胞死による蛋白の変性による白濁が速やかに進行する。 哺乳類では、死体が腐敗するより前に死後硬直が始まる。死体硬直の発現までの時間とその持続期間は、死亡時の筋肉の温度と気温に影響を受ける。死体硬直は通常、死の2-4時間後に始まり、筋肉はこの過程で、筋原線維内にあるATPの減少と乳酸アシドーシスのため、徐々にこわばっていく。死後9-12時間経過すると、筋原繊維の機能が失われるため死体硬直は解除される。死後硬直中に他動的に関節を屈伸させると死後硬直は解除される。また気温が十分に高ければ、死体硬直は起こらない。
もう一つの死後の反応に死斑がある。死後、溶解酵素が漿膜から放出され、フィブリノゲンの溶解性分解を引き起こす。血管内の血液の内、血漿はこの過程で死後30-60分以内は永久に非凝固性(血清に近い状態)になる。重力による血の貯留(沈下)により局所の皮膚色の特徴のある変化をもたらす。死斑は死体の体重を支えている位置には形成されず、その周囲からでき始める。死斑は死後2時間以内に発現し、最初は圧迫により消退するが、次第に固定され、強い圧迫によっても消退しないようになる。また、途中で姿勢(体位)を変えると、死斑の位置も移動する。その後、周囲の温度によるが、概ね8-12時間で固定し、以後体位による移動は見られない。死斑の色は死因と環境で異なる。寒冷死の場合、死斑は鮮紅色を呈する。また、練炭による自殺などで見られる一酸化炭素中毒死の死斑も、特徴的な鮮紅色を呈する。死斑の広がりは、死体の表面にかかる圧力によって異なる。死斑は、皮下の血液によるため、大量出血、または、重症の貧血があった場合は、ほとんど見られないことがある。次に、周囲の温度によるが、概ね半日後に胆嚢から胆汁が腹腔内に漏出し、腹部に緑色斑が出現し、次第に拡大する。また、特に夏季など温暖な季節では、山林、またはハエが多い場所では、死亡後直ちにハエが体表に産卵し、産卵後わずか数時間で孵化し、ハエの幼虫による食害が始まる。[要出典]
死体の分解は、実際には周辺の環境しだいで多種多様な経過を辿るが、概念的には以下の段階を経て推移する。
日本では、近年では、冬に死亡する例が多く、それ以外の時期の死亡数は比較的少ない。しかしながら、冷房が普及していなかった明治時代には冬と夏に2つの死亡のピークが認められる。
自然言語というのはその成り立ちからして基本的に比喩やメタファーに満ちているものであるが、死という表現も、何かしら生命に擬せられる存在が、その比喩的な「命」を失うような場合にも使われる。「ローマ帝国の死」、「星の死」などである。
現在では、機械装置などが破損した場合に「死んだ」などと形容されることもある。とくにコンピュータに対しては、電源が切れた、クラッシュした、あるいはプロセスが停止したなどの状態を比喩的に「死んだ」と表現することがあり、その延長で「プロセスを殺す」(進行中の処理を停止させる)などといった比喩表現も使われる(一例を挙げれば、unix系オペレーティングシステムでは単なる比喩に止まらずプロセス停止コマンドとして'kill'コマンドが存在している)。ただし、生命の不可逆的な死とは異なり、これら機械の比喩的な死では破損した部品を交換するなり修理して、コンピュータの場合はクラッシュしたプログラムに関するメモリを破棄して記憶媒体から読み出しなおすなど復旧させる方法は幾らでもある。特に技術筋にもなると「異常や故障が手に負えなくなり、それを破棄して異常のないものに入れ替えする以外に対処方法がない」場合に「死んだ」と表現する。
相撲の「死に体」、野球の「死球」などの表現でも用いられている。また、政治家という職業に就いていた者が、様々な諸事情によって議員への再選が著しく困難になった場合などはたとえ生物学的には生きてはいてもマスメディアなどでは「政治生命が絶たれる」などと表現される。また、政治家に限らず芸能人やフリージャーナリストなど社会的に注目される職業に従事する者が、自身が運営しているブログのいわゆる「炎上」などによって事実無根の様々な風評被害を受けることにより、上記のような社会的活動を行えなくなったものなども職業人としては「死んでいる」もしくは「殺された」ようなものであるため「社会学的な死」とみなされる。
芸術作品が、人の目に触れぬようになったり(死蔵)、作者の意図した事柄が部分的にすら受け取られなくなった場合、その作品は意味をなくし" 死ぬ "とされる 。
古代ギリシャ、古代ローマにおいて人間は死すべきものと呼ばれ、神々、則ち不死なるものの永遠性との対比によって、時間的に限られたものとイメージされ、芸術家や詩人とは、この限界を乗り越え人間と神々を媒介するものと考えられた[要出典][24]。現在でも芸術作品は "不死性" と結び付けられて捉えられることが多い。
ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)はすでに"死んでしまった"芸術作品の「救済」が歴史家の使命であると考えた。
20世紀後半には、クンデラや大江健三郎らが、「小説の死」、「文学の死」といった言葉を用いた。
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