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| 2011年NHK杯の浅田 | |||||||||||||||||||||||||
| 基本情報 | |||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 代表国: | |||||||||||||||||||||||||
| 生年月日: | 1990年9月25日(21歳) | ||||||||||||||||||||||||
| 出生地: | 愛知県名古屋市 | ||||||||||||||||||||||||
| 身長: | 163 cm[1] | ||||||||||||||||||||||||
| 体重: | 48.5 kg[1] | ||||||||||||||||||||||||
| コーチ: | 佐藤信夫 (2010- ) | ||||||||||||||||||||||||
| 元コーチ: | タチアナ・タラソワ (2008-2010) ラファエル・アルトゥニアン (2006-2008) 山田満知子 (2000-2006) 樋口美穂子 伊藤朋子[2] 門奈裕子[3] |
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| 振付師: | ローリー・ニコル タチアナ・タラソワ シャネッタ・フォレ |
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| 元振付師: | リー=アン・ミラー 樋口美穂子 |
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| 所属クラブ: | 中京大学 | ||||||||||||||||||||||||
| ISU パーソナルベストスコア | |||||||||||||||||||||||||
| トータルスコア: | 205.50 | 2010 バンクーバー五輪 | |||||||||||||||||||||||
| ショートプログラム: | 75.84 | 2009 国別対抗戦 | |||||||||||||||||||||||
| フリースケーティング: | 133.13 | 2007 世界選手権 | |||||||||||||||||||||||
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浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字:Mao Asada、1990年9月25日[4] - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト[5]。2008年、2010年世界選手権優勝。2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた[6]。姉は同じくフィギュアスケート選手の浅田舞。
目次 |
愛知県名古屋市生まれ。中京大学附属中京高等学校卒業。現在は中京大学体育学部に在籍[7]。名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する[8]。浅田の2005年のGPファイナル優勝と荒川静香のトリノオリンピック優勝の相乗効果で、日本はフィギュアスケートブームになった。
尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり。伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた[9]。長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーにも憧れの言葉を寄せており[10]、彼女の演技を見て自分もオリンピックに出たいと思うようになったという[11]。趣味はジグソーパズルとレゴ制作[1]。
愛犬はトイ・プードルの「エアロ」「ティアラ」「小町」。エアロは2005年世界ジュニア選手権で優勝した際に買ってもらった。名前はネスレの菓子ブランド名AERO(エアロ)に由来し、同製品のイメージキャラにも選ばれた[12]ほか、2007年のジャパンスーパーチャレンジでは氷上で浅田と共演している[13]。ティアラと小町はエアロの子で、2007年生まれ[14]。
オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の女性部門で2007年[15]、2009年[16]、2010年[17]、2011年で1位となった[18]。バンダイが行ったアンケート「バンダイこどもアンケートレポート」によると、子供が好きなスポーツ選手として、2009年7月(集計は5月に実施)では総合2位女の子部門1位[19]、2011年9月(集計は7月に実施)では総合1位[20]に挙げられている。集計を行ったバンダイは、女の子は浅田のことを「憧れのかわいいお姉さん」という見方をしているようだと分析している[20]。
アクセルを含む6種類全ての3回転ジャンプを跳ぶことができる。
小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め[21]、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションに成功[22]。
2006年世界ジュニア選手権でショートプログラム (SP) に3回転アクセルを取り入れ[23]、2008年GPファイナルのフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功[24]。2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてSPで3回転アクセルを成功させ、SP、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させた。オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは、伊藤みどりと浅田の2人だけである。他の国際大会を含めてもトーニャ・ハーディング、リュドミラ・ネリディナ、中野友加里の3人を加えた5人しかいない。また、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている[25]。
ルッツやサルコウを苦手としている[6]。ルッツはアウトサイドエッジで踏み切らなければならないとされているところ、インサイドエッジから踏み切る癖があり、2007年のルール改定でエッジ判定が厳格になってからは減点対象となっていた。同シーズン終了後にはルッツの矯正に取り組み[26][27]、2008年NHK杯では正確なエッジからの踏み切りと判定された。しかし、苦手意識はぬぐえておらず、その後も3回転ルッツが2回転になるなどの失敗が重なったため[28]、2009-2010シーズンにはプログラムから外した。6種類全てのジャンプの矯正に取り組み始めた2010-2011シーズンは再びプログラムに取り入れているが、再びエッジエラー判定を受けるようになった。
サルコウについては、2008-2009シーズンまで長い間プログラムに取り入れていなかった[29]。2008年NHK杯では、久々に3回転サルコウに成功したが、その後の試合でも不安定なことが多く、3回転サルコウに挑まないケースが多かった。2010-2011シーズンでは全ての試合で3回転サルコウを取り入れたものの、完璧な成功は1回だけにとどまった。
3回転-3回転のコンビネーションジャンプも跳ぶことができる。2007年GPファイナルのフリーでは3回転フリップ-3回転ループ、3回転フリップ-3回転トウループの2種類で成功させた。しかし、2008-2009シーズン以降は成功率が下がっており、2009-2010シーズンからはプログラムから外している。
現行採点では評価のウエイトが大きい柔軟性を生かしたスピン[要出典]やステップ、スパイラルを行うことができ、高いGOEを獲得することができる[6][30]。片手ビールマンスピンを行うこともできるがレベル認定の規定の二回転を行う前に体制が崩れてしまい、レベルを取りこぼすことも多く2007年世界選手権以来しばらくプログラムに取り入れていなかったが、2009年エリック・ボンパール杯からフリーで用いている。ステップシークエンスのレベル4を獲得した数少ない女子選手の1人でもある[31]。2011年ロステレコム杯のフリープログラムでは全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得している[32]。
5歳の時、姉の舞と共にスケートリンクに遊びに行き、スケートに出会う。舞と共に門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会。当時、同クラブには安藤美姫も所属していた。3歳から12歳までは越智久美子によるバレエのレッスンを受けていた[33][34]。
2000-2001シーズンからグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子・樋口美穂子両コーチに師事[3][35][36]。小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3回転フリップ-3回転ループ-3回転トウループ)を跳び[37][3][38]、「天才少女」と呼ばれた。全日本ノービス選手権では、2000-2001シーズンから2001-2002シーズンまでBクラスで、2002-2003シーズンから2003-2004シーズンまでAクラスで、それぞれ2連覇を達成した。
2004-2005シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)で出場した3戦すべてで優勝し、ジュニアデビューを飾る。JGPファイナルでは女子ジュニア史上初の3回転アクセルに成功。国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアクラスの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となった[39]。世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たしてシーズンを締めくくった。
2005-2006シーズン、初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では初優勝を果たし、自身のデビューを飾った。GPファイナルでは世界女王のイリーナ・スルツカヤを破り、日本代表選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした。全日本選手権では女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルに成功(ISU非公認)したが、他のジャンプにミスがあり2位となった。GPシリーズの実績からトリノオリンピック出場を期待する声もあったが[40]、ISUの定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった[41]。連覇が期待された世界ジュニア選手権でもジャンプのミスが響き2位に終わった。
2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レイクアローヘッドに拠点を移す[42][43]。2006-2007シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点のISU歴代最高得点を叩き出して優勝。GPファイナルは、フリーのジャンプで2度転倒して2位に終わった。地元名古屋開催の全日本選手権では右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権はSPで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得した。
2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワのもとでバレエなどに取り組んで表現力や芸術性の強化をはかった。2007-2008シーズンのGPシリーズは2戦とも優勝し、3季連続出場のGPファイナルではSP6位から巻き返して2位となった。全日本選手権のSPで、同シーズンにミスが続いていた3回転フリップ-3回転ループを成功させる。フリーでは冒頭の3回転アクセルが1回転半になったが、2連覇を達成した。同年12月、慣れない海外生活での心労[44]や、5月に中京大学のフィギュア専用リンクが完成し、国内で練習に専念できる環境が整ったことを理由に、練習拠点を米国から愛知に戻す。アルトゥニアンは定期的に来日することになっていたが、四大陸選手権の直前に電話で「責任を持てない」と伝えられたため、師弟関係を解消した[44]。
2008年四大陸選手権で初出場初優勝。だが、この大会後に左足首を傷めてしまう[45]。コーチ不在のうえ足首の怪我が完治していない状況下で臨んだ[46]2008年世界選手権では、フリー冒頭の3回転アクセルに入ろうとした所で大きく転倒したものの、その後は落ち着いて演技をまとめ[47]て逆転優勝。日本人選手5人目の世界女王となった。
2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した[48]。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。そして、金妍兒の地元韓国という「完全アウェー」[49]で開催されたGPファイナルで、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。世界選手権では、SPで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転になり出遅れた。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、転倒や小さなミスが重なって総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はSPで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦(2度目が回転不足判定)し、自身初めて200点を越える総合得点を出して女子シングル1位となった。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した[49]。GPファイナルの優勝後に、視聴者に「浅田選手よりもキム選手のほうが実力が上」と感じさせる報道をした日本のマスコミ(フジテレビ系番組「情報プレゼンター とくダネ!」、後に不適切な表現であったと謝罪)の評価[50]がある事を聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。世界選手権連覇の重圧に苦しむなど、メンタルコントロールの難しさも課題となった[49]。
2009-2010シーズンはルッツ、サルコウ、3回転-3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れず、SP・フリーで計3度の3回転アクセルを決めることに集中する構成を組んだ[51]が、GPシリーズでは、3回転アクセルが6回中1回しか成功せず、エリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位に終わった。シニア移行後初めてGPファイナル進出を逃すほどの不調に、国内外のスケート関係者からは「フリープログラムの『鐘』が合っていない。もっと浅田に合った滑りやすいプログラムに変えるべきではないか」との意見も聞かれた[52]。原因は肉体の変化だった。身長は163cmと公表されているが、加藤トレーナーは「166cmの私とほぼ同じ」と明かす。不振のロシア杯は自己最重量の49.5kgで出場していた。その後の1ヶ月間で1日5時間以上の猛練習を課し、ジャンプを跳び続けた。10%ほどだった体脂肪を約7%に、体重も48kgに絞り込んだ。全日本選手権では復調を見せ、4連覇を達成してオリンピック代表に決定。韓国で開催された四大陸選手権ではフリーで2度の3回転アクセルを成功させ優勝[53]。この優勝により、日本人選手として初めて国際大会10回優勝を果たした(ジュニアの大会を除く)。なお、この大会で浅田は競技前に妨害予告を受けたり[54][55]盗撮被害にあったと報じられている[56]。
バンクーバーオリンピックでは、SPで1度、フリーで 2度の3回転アクセルに成功。演技構成点でも高い評価を受け、銀メダルを獲得した[57]。オリンピックフィギュアスケートの女子シングルで日本人選手がメダルを獲得するのは2大会連続。オリンピック後、タチアナ・タラソワコーチを総コーチとして、日本人を軸とした新たなコーチを選任する旨の報道がなされる。世界選手権では、オリンピック金メダリストの金妍兒を破って2年ぶりに金メダルを獲得。世界選手権2度の優勝は日本人初。この年は男子でも日本の髙橋大輔が優勝し、ジュニアでも男女ともに日本人が優勝している。
2010-2011シーズン、6月から9月頃まで長久保裕をジャンプ専門のコーチにつけ6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。9月から佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプの矯正も続けた。GPシリーズNHK杯、エリック・ボンバール杯では新しく変えたジャンプに苦しみ、2大会とも表彰台に登れずGPファイナル進出を逃した。だが、1カ月後の全日本選手権では復調し、総合2位(SP1位、フリー2位)で世界選手権と四大陸選手権の代表に選出された。
四大陸選手権ではSPで冒頭の3回転アクセルが着氷に乱れたもののフリーでは成功させ、シーズンベストを大幅に更新し、安藤に次いで2位となった。2連覇のかかった世界選手権は東日本大震災の影響により1か月先に延期、その間に被災地の惨状を目の当たりにし、「こんな時に大会に行ってもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなった[58]。みかねた佐藤コーチから1週間の休養を与えられたが、重要な時期に食が細くなり、いつもより体重が4・5kg減少した[58]。大会本番では佐藤コーチから3回転アクセル回避を提言されたが、浅田は自分の信念を貫き通した[58]。結果はショート7位、フリー6位の総合6位に終わった[59]。
2011-2012シーズン、GPシリーズ初戦のNHK杯で2位、ロステレコム杯では日本選手最多となるGPシリーズ8度目の優勝を果たし、3季ぶりにGPファイナル進出を決めた。だが、カナダでのGPファイナル開幕直前、以前から体調不良だった母親の健康状態が悪化したとの日本からの連絡を受けて帰国、ファイナルを欠場した。その後母は肝硬変のため死去、48歳没。浅田はその死の際に間に合わなかった[60]。母親の葬儀翌日の13日から練習を再開し短期間の調整で臨んだ全日本選手権では、2年ぶり5度目の優勝を果たした[61]。この結果により、世界選手権と四大陸選手権の出場権を獲得した。
| 大会/年 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 | 2011-12 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| オリンピック | 2 | |||||||||
| 世界選手権 | 2 | 1 | 4 | 1 | 6 | |||||
| 四大陸選手権 | 1 | 3 | 1 | 2 | 2 | |||||
| 世界国別対抗戦 | 1 | |||||||||
| 全日本選手権 | 7 | 8 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 |
| GPファイナル | 1 | 2 | 2 | 1 | DNS | |||||
| GPNHK杯 | 1 | 1 | 8 | 2 | ||||||
| GPロシア杯 | 5 | 1 | ||||||||
| GPエリック杯 | 1 | 1 | 2 | 2 | 5 | |||||
| GPスケートカナダ | 1 | |||||||||
| GPスケートアメリカ | 3 | |||||||||
| GP中国杯 | 2 | |||||||||
| 世界Jr.選手権 | 1 | 2 | ||||||||
| 全日本Jr.選手権 | 4 | 4 | 1 | |||||||
| JGPファイナル | 1 | |||||||||
| JGPウクライナ記念 | 1 | |||||||||
| JGPスケートロングビーチ | 1 |
| 2011-2012 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2012年2月7日-12日 | 2012年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) | 1 64.25 |
2 124.37 |
2 188.62 |
| 2011年12月23日-26日 | 第80回全日本フィギュアスケート選手権(門真市) | 2 65.40 |
2 118.67 |
1 184.07 |
| 2011年11月25日-27日 | ISUグランプリシリーズロステレコム杯(モスクワ) | 1 64.29 |
1 118.96 |
1 183.25 |
| 2011年11月10日-13日 | ISUグランプリシリーズNHK杯(札幌) | 3 58.42 |
1 125.77 |
2 184.19 |
| 2010-2011 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2011年4月25日-5月1日 | 2011年世界フィギュアスケート選手権 (モスクワ) | 7 58.66 |
6 114.13 |
6 172.79 |
| 2011年2月15日-20日 | 2011年四大陸フィギュアスケート選手権(台北市) | 2 63.41 |
2 132.89 |
2 196.30 |
| 2010年12月24日-27日 | 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 1 66.22 |
2 127.47 |
2 193.69 |
| 2010年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 7 50.10 |
5 97.92 |
5 148.02 |
| 2010年10月22日-24日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 8 47.95 |
8 85.45 |
8 133.40 |
| 2009-2010 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2010年3月22日-28日 | 2010年世界フィギュアスケート選手権 (トリノ) | 2 68.08 |
2 129.50 |
1 197.58 |
| 2010年2月14日-27日 | バンクーバー五輪(バンクーバー) | 2 73.78 |
2 131.72 |
2 205.50 |
| 2010年1月27日-30日 | 2010年四大陸フィギュアスケート選手権(全州) | 3 57.22 |
1 126.74 |
1 183.96 |
| 2009年12月25日-27日 | 第78回全日本フィギュアスケート選手権(門真市) | 1 69.12 |
1 135.50 |
1 204.62 |
| 2009年10月22日-25日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 6 51.94 |
5 98.34 |
5 150.28 |
| 2009年10月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 58.96 |
2 115.03 |
2 173.99 |
| 2008-2009 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2009年4月16日-18日 | 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 1 75.84 |
1 126.03 |
1 201.87 |
| 2009年3月23日-29日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | 3 66.06 |
4 122.03 |
4 188.09 |
| 2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 6 57.86 |
1 118.66 |
3 176.52 |
| 2008年12月25日-27日 | 第77回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 2 65.30 |
2 117.15 |
1 182.45 |
| 2008年12月10日-14日 | 2008/2009 ISUグランプリファイナル(高陽) | 2 65.38 |
1 123.17 |
1 188.55 |
| 2008年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(東京) | 1 64.64 |
1 126.49 |
1 191.13 |
| 2008年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 2 58.12 |
2 109.47 |
2 167.59 |
| 2007-2008 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 2 64.10 |
2 121.46 |
1 185.56 |
| 2008年2月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | 1 60.94 |
1 132.31 |
1 193.25 |
| 2007年12月26日-28日 | 第76回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 72.92 |
2 132.41 |
1 205.33 |
| 2007年12月13日-16日 | 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) | 6 59.04 |
1 132.55 |
2 191.59 |
| 2007年11月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 56.90 |
1 122.90 |
1 179.80 |
| 2007年10月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | 3 58.08 |
1 119.58 |
1 177.66 |
| 2006-2007 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2007年3月19日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 5 61.32 |
1 133.13 |
2 194.45 |
| 2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | 1 71.14 |
1 140.62 |
1 211.76 |
| 2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 1 69.34 |
4 103.18 |
2 172.52 |
| 2006年11月30日-12月3日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 69.50 |
1 130.02 |
1 199.52 |
| 2006年10月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) | 1 68.84 |
4 102.39 |
3 171.23 |
| 2005-2006 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2006年3月6日-12日 | 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(リュブリャナ) | 1 113.58 |
2 56.10 |
2 97.25 |
2 153.35 |
| 2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | - | 3 66.64 |
3 121.46 |
2 188.10 |
| 2005年12月16日-18日 | 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) | - | 1 64.38 |
1 125.24 |
1 189.62 |
| 2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 1 63.96 |
1 118.46 |
1 182.42 |
| 2005年11月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | 2 62.92 |
3 113.68 |
2 176.60 |
| 2004-2005 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2005年2月26日-3月3日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 112.32 |
1 60.11 |
1 119.13 |
1 179.24 |
| 2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 4 60.46 |
2 106.36 |
2 166.82 |
| 2004年12月2日-5日 | 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナル(ヘルシンキ) | - | 1 57.91 |
1 114.92 |
1 172.83 |
| 2004年11月20日-21日 | 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | - | 1 54.56 |
1 117.57 |
1 172.13 |
| 2004年9月30日-10月3日 | ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念(キエフ) | - | 1 56.24 |
1 86.75 |
1 142.99 |
| 2004年9月9日-12日 | ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチ(ロングビーチ) | - | 1 50.14 |
1 87.88 |
1 138.02 |
| 2000-2004 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 6 | 8 | 8 |
| 2003年11月22日-23日 | 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | 4 | 4 | 4 |
| 2002年12月20日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 9 | 7 | 7 |
| 2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 3 | 4 | 4 |
| 2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | 8 | 6 | 6 |
| シーズン | SP | FS | EX |
|---|---|---|---|
| 2011-2012 [62] |
シェヘラザード 作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ 振付:タチアナ・タラソワ |
愛の夢 作曲:フランツ・リスト 振付:ローリー・ニコル |
誓い~ジュピター~ (I Vow to Thee My Country) 唄:リベラ 振付:ローリー・ニコル ワルツ第7番 嬰ハ短調作品64-2 作曲:フレデリック・ショパン 演奏:オイゲン・キケロ 振付:タチアナ・タラソワ |
| 2010-2011 [63] |
タンゴ 作曲:アルフレット・シュニトケ 振付:タチアナ・タラソワ |
愛の夢 作曲:フランツ・リスト 振付:ローリー・ニコル |
バラード第1番ト短調 作曲:フレデリック・ショパン 振付:タチアナ・タラソワ |
| 2009-2010 [64] |
仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ |
前奏曲「鐘」[65] 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:タチアナ・タラソワ |
カプリース[66] 作曲:ニコロ・パガニーニ 振付:タチアナ・タラソワ |
| 2008-2009 [67][68][69] |
月の光 作曲:クロード・ドビュッシー 振付:ローリー・ニコル |
仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ |
ポル・ウナ・カベサ 作曲:カルロス・ガルデル パジャドーラ 作曲:フリアン・プラサ 振付:タチアナ・タラソワ シング・シング・シング 作曲:ルイ・プリマ 振付:ローリー・ニコル |
| 2007-2008 [70] |
ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア 映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より 作曲:ナイジェル・ヘス 演奏:ジョシュア・ベル 振付:タチアナ・タラソワ |
幻想即興曲 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル |
ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト ボーカル:レスリー・ギャレット |
| 2006-2007 [70] |
ノクターン 第2番変ホ長調 作品9の2 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル |
チャルダッシュ 作曲:ヴィットーリオ・モンティ 振付:ローリー・ニコル |
ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー ボーカル:フィリッパ・ジョルダーノ 虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より ボーカル:エヴァ・キャシディ |
| 2005-2006 [8][4][70][71] |
歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 スノーダンス[72] 振付:リー=アン・ミラー |
くるみ割り人形 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ローリー・ニコル |
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より ボーカル:エヴァ・キャシディ 振付:ローリー・ニコル |
| 2004-2005 [8][70] |
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より 作曲:ジョン・ウィリアムス 振付:リー=アン・ミラー |
風変わりな店 作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ、オットリーノ・レスピーギ 振付:リー=アン・ミラー |
ピック・ユアセルフ・アップ 映画『スイング・タイム』より 作曲:ジェローム・カーン、ボーカル:ナタリー・コール 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
| 2003-2004 [73] |
オーケストラ組曲「マイ・ガール2」 作曲:クリフ・エイデルマン 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
ワルツ・スケルツォ ハ長調Op. 34 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
| 2002-2003 [73] |
セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
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| 2001-2002 [73] |
セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
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2010年のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得後のCMの出演料は1本7000万円と推定されており、女子アスリート選手の中では一番高い[74]。
2012年2月8日に発売予定であったエッセー「大丈夫、きっと明日はできる」(浅田真央著 佐藤雅美著)が浅田の意向により発売中止となった。予定されていたエッセーは209ページにわたり、2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得した以降の生活などを綴ったもので、書店からは10万部以上の予約が入っていたという。浅田は2011年11月に母を亡くした事を踏まえ、自身のウェブサイトで「本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められたところがあり、出版を中止させていただくことになりました」と報告している。発売を予定していたポプラ社の広報では、宣伝告知ポスターに浅田の写真と『ママ、ほんとうにありがとう』という母の死を強調する様なメッセージが添えられていた事が問題だったのでは無いかと言う見解を示した。また浅田のマネジメント会社では、浅田が出版社側の宣伝方法に不信感を抱き、年明けには出版中止の意向を固めたとの説明をしている。これについて出版社であるポプラ社のウェブサイトでは、「この本は約1年以上前から企画していたもの」と前置きした上で「一部宣伝方法に著者ご本人の意にそぐわない部分がございましたので、誠に勝手ながら発売を中止させていただきたいと思います。」と読者に向けて謝罪文を公表した。尚、ポプラ社の広報では、出版中止に伴う損害賠償については、その意向を否定し「今後も真央さんのご活躍を心から願っています」と表明している。[77][78][79][80][81]。またNEWSポストセブンでは、母を亡くした直後にポプラ社へ発売延期を申し入れたが断られた事、その3週間後に「真央ならできる!」と、本文から遺言の如く引用した広告を出した事に対し、「ママの死を売り物にするようなことは絶対にやめてほしい」と関係者に洩らしていた事、そして追い討ちの如く「ママ、ほんとうにありがとう。何度、ありがとうと言っても足りません」と、本の引用ではない宣伝用の言葉が用いられた事の3つの要因による決断であるとの、フィギュア関係者の見解を紹介した[82]。
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