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甚目寺町 | 百科事典
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甚目寺町(じもくじちょう)は、愛知県の中西部に位置していた町。2010年3月22日に同郡美和町、七宝町と合併してあま市となり消滅した。
地理
隣接している自治体・行政区
人口
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| 甚目寺町と全国の年齢別人口分布 |
甚目寺町の年齢・男女別人口分布 |
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■紫色 ― 甚目寺町
■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
歴史
『海道記』に萱津とある。
渡りはつれば尾張の國に移りぬ。(中略)萱津の宿に泊りぬ。
沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、
- 甚目寺村・坂巻村・本郷村が合併し、甚目寺村。
- 上萱津村・中萱津村・下萱津村が合併し、萱津村。
- 石作村・方領村・小路村が合併し、春富村。
- 西今宿村・上条村・土田村・迫間村が合併し、白鷹村。
- 及び、森村、新居屋村、東今宿村の7村が誕生。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 甚目寺村、萱津村、森村、春富村、新居屋村、東今宿村、白鷹村が合併し、甚目寺村発足
- 1919年(大正8年)10月 - 廻間地区を清洲町に編入する。
- 1933年(昭和8年)8月1日 - 町制施行をし甚目寺町となる。
- 1943年(昭和18年)1月1日 - 土田・上条地区を清洲町に編入する。
- 2008年(平成20年)[1]
- 5月1日 - 美和町、七宝町、大治町との間に、東部四町合併研究会設置。
- 11月5日 - 大治町の離脱により研究会を解散、七宝・美和・甚目寺町合併研究会設置。
- 2009年(平成21年)
- 2月 - 住民に対して合併に関するアンケートを実施。甚目寺町では「賛成」が41.5%、「どちらかといえば賛成」が23.9%であった[2]。
- 4月 - アンケート結果を受け、七宝・美和・甚目寺町合併協議会を設置[3]。
- 7月24日 - 新設される市名として公募多数と委員会選出の計6つを候補とし、協議会での投票の結果「あま市」と決定された。同時に美和町役場を市役所の本庁舎とし、七宝と甚目寺の各町役場を分庁舎とすることが決定された[4]。
行政
周辺町村と病院組合を作り、甚目寺町はその中心となっている。1955年より甚目寺町、大治町、七宝町、美和町、新川町(現・清須市)の5町で公立尾陽病院を設立している。
経済
名古屋市中心部からの距離が近いが、その割に地価が低いとされる。
商業
教育
高等学校
中学校
小学校
- 甚目寺町立甚目寺小学校
- 甚目寺町立東小学校
- 甚目寺町立南小学校
- 甚目寺町立西小学校
交通
鉄道路線
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
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- 町内に当時の壕などが残る。1995年に甚目寺町教育委員会が「甚目寺飛行場」という冊子を作成した。
脚注
外部リンク
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Last update: 2010年3月22日 9:30:25:JST