| なませ かつひさ 生瀬 勝久 |
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| 本名 | 同じ |
|---|---|
| 別名 | 槍魔栗三助 |
| 生年月日 | 1960年10月13日(49歳) |
| 出生地 | 兵庫県西宮市 |
| 血液型 | O |
| 職業 | 俳優 |
| 活動期間 | 1979年 - |
| 配偶者 | 堀本陽子(妻) |
| 家族 | 生瀬悦子(元兵庫県西宮市議会副議長) |
| 公式サイト | 生瀬勝久プロフィール |
| 主な作品 | |
| 『トリック』、『ごくせん』、『功名が辻』、映画『ヤッターマン』 | |
生瀬 勝久(なませ かつひさ、1960年10月13日 - )は、日本の俳優。兵庫県西宮市塩瀬町生まれ。兵庫県立宝塚高等学校、同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻卒業。所属事務所はキューブ。血液型はO型。身長178cm。体重70kg。趣味は釣り。妻はモデルの堀本陽子。母は日本社会党の元西宮市議会議員生瀬悦子。
目次 |
個性的な演技で、映画、テレビ、ラジオ、舞台で幅広く活動。脇役が多い。また、独特のキャラクターを生かしてバラエティ番組にも活躍の幅を広げる。フリートークも積極的である。また、『トリック』、『ごくせん』、『功名が辻』など、仲間由紀恵との共演が多い(いずれも仲間が主演で、生瀬がそれに絡むレギュラーキャラを演じている)[1]。
TPOに応じ、共通語と関西弁を臨機応変に使い分けている。バラエティでは、共演者や番組の内容によって、標準語で話すときと関西弁で話すときが違ってくる。ドラマでは、関西を舞台にしている作品に出演したり、関西出身の人物を演じることがよくあり、その際は関西弁で演じている。
学生時代は、槍魔栗 三助(やりまくり さんすけ)の名で「喜劇研究会」「第三劇場」そして京大系の劇団「そとばこまち」で辰巳琢郎・川下大洋らとともに活動、「第三劇場」ではマキノノゾミと交流があり、「そとばこまち」では座長もつとめた。当時、ゼミの指導教授であった石田光男(現在、同志社大学社会学部長)から「君は俳優に向いていないよ」と言われるが、後に石田は「先見の明」がなかったことを反省したという。
1988年から1年間にわたって放送された、讀賣テレビ放送の深夜のコント番組『週刊テレビ広辞苑』で漫画家のひさうちみちおらとともにレギュラー出演して人気を呼ぶ。また、1988年3月5日の『探偵ナイトスクープ!』第1回放送(「カーネル・サンダースを救出せよ!」)では、探偵役を務めた。以後も1989年の『現代用語の基礎体力』、1990年の『ムイミダス』、『未確認飛行ぶっとい』、など同じく読売テレビの深夜番組に続けて出演し、「劇団☆新感線」の古田新太や羽野晶紀、「賣名行為」の立原啓裕、升毅、牧野エミらとともに関西学生演劇ブームを起こす一端となる。2008年3月8日・15日の2週に渡って20年前の製作スタッフ、キャストが再集結し『現代用語のムイミダス ぶっとい広辞苑』が讀賣テレビ放送にて放映された。
1988年、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』への出演を機に現在の名前へと変更する。詳しくは後述。
2010年4月期の連続ドラマ「警部補 矢部謙三」でテレビドラマ初主演を果たす予定である。
1988年度下半期(1988年10月 - 1989年3月)放送のNHK連ドラ『純ちゃんの応援歌』に出演することになったが、槍魔栗三助の芸名ではNHKの放送にふさわしいとはいえないという理由があり、芸名を本名に変更したという経緯がある。その後も槍魔栗三助として活動していたが、本格的なテレビ活動・全国進出を意識し1990年10月に本名の生瀬勝久に完全改名、現在に至る。
なお、本人が『三宅裕司のワークパラダイス』で芸名を変えたことにつっ込まれたところ「NHKからの仕事がほしかったのじゃー」と切り返したことがある。また、テレビ朝日『ロンドンハーツ』の「田村タクシー」コーナー内(2006年7月25日放映回)で語ったところでは、母親の政治活動へ悪影響を与えかねない芸名だから改名してほしいという要望があったためともいう。
ただし、『ナイトスクープ』で共演した桂小枝ら、当時の芸名を知るごく一部の者からは、現在でも「槍ちゃん」という旧芸名をもじったあだ名で呼ばれている。
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