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福岡市(ふくおかし)は、九州の北部、福岡県の西部に位置する市である。福岡県の県庁所在地であり、政令指定都市となっている。また、九州の最大都市でもある。
目次 |
九州地方の経済・行政・交通・文化の中心であり、また西南日本における主要都市のひとつである。市域を中心に都市雇用圏人口で全国第5位の規模を持つ福岡都市圏と、県下二位の人口規模を有する北九州市とともに全国第4位の規模を持つ北九州・福岡大都市圏が形成されている。多くの官公庁の行政機関や全国企業の支社などが置かれ、商業・業務等の高度な都市機能や広域交通機能の集積を背景に九州地方の中枢管理都市として発展してきた。人口(夜間人口)は全国の市で札幌市、神戸市に次いで第7位の約145万人で、昼間人口は第6位の約160万人である。副都心の香椎や西新は高校や大学など教育機関が集積する学生の街としても知られ、人口に占める学生の割合は大都市では京都市に次いで2番目。
現代の福岡市の玄関口たる博多(はかた)及び博多湾は古代から中国大陸方面との貿易・交流や軍事の拠点として利用され、元寇に於ける主戦場となり、その後豊臣秀吉の手で町人の自治都市として復興された。江戸時代には博多の那珂川対岸に黒田氏が福岡城とその城下町を整備し(福岡)、城下町、福岡と商いの街、博多とで機能分担する双子都市が成立した。また黒田藩は博多の町人自治を広く認めたため、博多では豊かな町人文化が育まれた。明治維新の際に福岡と博多は再編され一つの地域区分となり、行政上の名称は福岡市となった。現在では福岡は天神(てんじん)と呼ばれ、百貨店やファッションビルが高度に集積する九州地方の商業の中心となっており、また博多は新幹線や空港が近いためオフィス街として発展している。江戸期に那珂川の中州に形成された歓楽街は中洲(なかす)として全国的に有名である。
福岡市内の試験会場名や支店名に博多とつけることがある。この理由として、中世より現在の博多区西北部にあった街が「博多」という名前で認識されていたことや、山陽新幹線の終着駅が博多駅であることがあげられる。現在でも、ビジネスでも福岡へ出張する際、「博多に行く」とも言われるほど、博多という名前は浸透している。また、福岡と博多をあわせて福博(ふくはく)と呼ばれることもある。
九州の北部、日本海(博多湾・今津湾・玄界灘)に面した半月型の福岡平野の大半の部分を市域とする。北は博多湾の北辺に位置する砂州である海の中道・陸繋島である志賀島、西は糸島半島の東部まで市域となっている。南・南西は脊振山地に含まれる山間部まで市域が伸びており、佐賀県に接している。ほかに有人島嶼として、博多湾上の能古島や市の西部で博多湾口付近の玄界灘上に浮かぶ玄界島、そのさらに西北部にある小呂島を市域に含んでいる。
福岡市から壱岐・対馬を挟んで向かい側に朝鮮半島がある。日本の主要都市としては朝鮮半島や中国などの東アジア諸国・地域に最も近い都市で、直線距離では東京特別区から約1100km、大阪市から約550km、韓国の釜山広域市から約200km、同国の首都・ソウル特別市から約550km、中国の上海市から約900km、台湾の台北市から約1300kmの位置である。
市域の多くは福岡平野に含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。市街地の海岸部は大半が埋立地であり、港湾・住宅などが建設されている。また、博多湾東部には人工島も建設されている(アイランドシティ)。一方、西区の大部分や東区海の中道と島嶼部などには自然海岸も残っている。また、玄界島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。黒瀬は、新生代第四期に活動した福岡県唯一の火山島に分類され、玄武岩で構成されている。
市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる那珂川・御笠川や市域東部を流れる多々良川、市域西部を流れる室見川などがあるが、一級河川はない。従って自主水源に乏しくたびたび大規模な渇水(例:昭和53-54年福岡市渇水)に見舞われている。
長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、集中豪雨があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市治水上の課題となっている。
| 福岡市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 気候表 (説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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地形や海流が複雑に影響しあい、温暖で夏期において多雨な太平洋側気候の一面を見せつつ、冬場においては日本海側気候の一面も見せる二面的な気候が特徴である。年平均気温は概ね17℃前後、年間降水量は概ね1500~2000mm程度で推移している。
夏期は最高でも36℃に達することは少なく、九州の他地域と比べると極端な猛暑とはなりにくい。ただし、南風が九州山地や、筑紫山地を越える際に、空気中の水分が凝結し、雨を降らせ、高温で乾いた熱風となるフェーン現象により周辺部より気温が高い場合がある。福岡市は南北に河川が流れているため、内陸部などと比べて、極端に暑くなるヒートアイランド現象は起こりにくい。冬期は北側の玄界灘を流れる暖流である対馬海流の影響を受けるので、平野部においては最低気温が零下となることは少ないが、北西季節風の影響を受けるため曇天の日が多い日本海側気候の特徴を見せる。気象庁の統計では年間降雪日数が17日で、年によってばらつきも大きいが積雪することもある(佐賀市や鹿児島市と並び九州の県庁所在地の中では積雪量が多い。以上1971~2000年の平均値より)。
年間日照時間は概ね1800~1900時間程度にとどまっており、九州の他地域に比べてやや短い。
以下の7つの区で構成される。
市の中央部にある天神地区(中央区)が市の中心部で、ここには数多くのデパートやビルが建ち並んでいる。天神から那珂川を挟んだ東隣には那珂川の本流と支流(博多川)に挟まれた中州地形部分があるが、そこが九州最大の歓楽街である中洲である。そのさらに東隣は「博多」の市街地である。その博多市街地の南東に博多駅が位置している。中洲から博多駅の間の一帯はオフィスビルやビジネスホテルなどが建ち並ぶビジネス街である。天神地区の西および西南に位置する大名、今泉、警固では、1990年代後半ごろから主に若者をターゲットとした店舗が増え、若者の町として急速に発展している。
大名から西へ行くと福岡城跡がある。さらに西方、天神から約4kmの位置には、福岡市の副都心を成す繁華街の西新(早良区)がある。西新の北側は1980年代に埋立により開発された土地で、シーサイドももちと呼ばれ、新しい市街地が形成されている。
市域東部の博多湾沖にはアイランドシティ(東区)と呼ばれる人工島が建設されている。現在は港湾地区の一部と住宅地の一部が竣工している。将来は宅地開発による発展が期待されている。
このほか、香椎駅・西鉄香椎駅周辺の香椎地区(東区)や、福岡市地下鉄姪浜駅周辺の姪浜地区(西区)、西鉄大橋駅周辺の大橋地区(南区)にも商業地が発達している。
また、街路は、主要幹線道路において無電柱化が促進されており[1]、街路樹の充実と相まって景観の美しい街並みを実現している。
さらに都市景観上の大きな特徴として、中心部に超高層ビルが存在しないことが挙げられる。これは、中心部の至近距離に福岡空港がありビル建築において高さ規制を受けているためである。
都市名は「福岡」であるが、「福岡」を称する市の中心駅名は、西鉄の西鉄福岡(天神)駅(旧名称は「西鉄福岡」)のみで、JRは「博多」を用いている。[2]
福岡は福岡藩黒田氏の武家町、博多は古来から国際貿易港としての商人町として栄えた歴史があり、那珂川を境として元々は別々の都市であった。市制施行の際に一悶着があったが、都市名を福岡、中央駅名を博多にすることで合意(詳しくは歴史で後述)。新幹線開通時は博多が玄関口となり、博多の知名度が大きく上回ったが、今日では城下町のはずれに位置した天神地区の台頭もあり、かつての「福岡」が商業の街、「博多」がビジネス街となった。こうしたことから「博多」より「福岡」という名称で呼ばれることが多くなり、博多は都市内の一地区名でしか用いられないことが多くなった。 ただし、現在の中心部の天神地区の繁華街としての発展は、戦後旧博多部から現在の新天町に移った「博多商人」の力なくしてはあり得ない。ことに明治時代、時の博多豪商「渡辺与八郎」の尽力により、他の都市に遅れを取っていた市内電車の導入を果たし、当時多くを所有していた天神町付近(現在の天神)の土地を福岡市に寄付し、福岡市の発展に力を注いだ。そしてその功績を称え、福岡市の中心部を南北に貫く目抜き通りは「渡辺通り」と称している。市名は福岡ではあるが、その発展の基礎の多くは博多が作り出したと言っても過言ではない。
近年の福岡・博多地区は武家町・商人町を区別する色合いは薄くなり、双方を包含して九州全体の経済・文化等の中心的機能を担う役割が一層高まっている。
以下の各市町に隣接している。括弧内は、その市町が隣接している福岡市の行政区。
隣接市町のうち、福岡県に属している市町は、いずれも福岡市のベッドタウンとして発達している。しかし、佐賀県に属している市町は福岡市とは脊振山地によって隔てられており、ベッドタウンとして発展するには至っていない。
2005年10月1日に佐賀県内の佐賀市と佐賀郡諸富町・大和町・富士町・神埼郡三瀬村が合併し、新市制による佐賀市が誕生したことで、県境を挟んで県庁所在地同士が接することになった。但し、福岡市と佐賀市の中心部は直線距離で50kmほど離れている。
海を挟んだ長崎県壱岐市・対馬市とも隣接扱いされる事もある。電話料金は離島特例として隣接扱いである。
| 福岡市と全国の年齢別人口分布 | 福岡市の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 福岡市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
九州大学をはじめ教育機関が集中しているため、20代の人口が多いのが特徴。また、断続的な人口流入に伴い市民の平均年齢も比較的若い状態が続いている。
諸岡遺跡(博多区)や吉武遺跡(西区)から旧石器が出土しており、旧石器時代には既に人々が住み着いていたと考えられる。
縄文時代の遺跡としては、糸島半島東部の大原D遺跡(西区)で縄文時代早期の竪穴住居が見つかっているほか、柏原遺跡(南区)からは草創期から後期の土器や集石炉が見つかっている。中期の遺跡として、野多目拈渡遺跡(南区)や有田遺跡(早良区)からイチイガシなどのドングリ類の貯蔵穴がまとまって見つかっている。後期の遺跡では、元岡瓜尾貝塚、桑原飛櫛貝塚(いずれも西区)などの貝塚があり、四箇遺跡(早良区)からは多数の縄文土器や石器が出土している。
紀元前4世紀には朝鮮から玄界灘を渡った人々によって日本最初期の稲作が始められたと考えられている。そのころの遺跡として市内の板付遺跡(博多区)がある。また志賀島(東区)で発見された金印「倭奴国王印」は、1世紀頃の大陸文化との交流を示す貴重な資料である。後漢書東夷伝にある「建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」の記事にある印綬は、この金印のことだと考えられている。
ちなみにこの「中国に朝貢していた」という記録が金印の発見時にひとつの騒動を起こす。天明4年(1784年)に百姓甚兵衛により金印が発見されたとき、主として国学系の学者たちが「中国に朝貢していたとはけしからん。このようなものは鋳つぶしてしまうべきである」と強硬に主張し、一時、福岡藩の藩論もそちらに傾くのである。それを、藩校・甘棠館の学長をしていた儒学者亀井南冥が身体を張って阻止したという。
市内各地に古墳が残っており、平野部には那珂八幡古墳、東光寺剣塚古墳、梅林古墳、今宿大塚古墳などの前方後円墳が点在し、油山などの丘陵部には油山古墳群、金武古墳群、今宿古墳群などの円墳の分布地帯がある。
527年の筑紫の君磐井の乱の後、朝廷が那津官家を造らせたと日本書紀にある。(「那津の口(博多大津)に建てよ」とある)
607年、小野妹子が第2回遣隋使として那の津より渡る。630年には遣唐使が渡っている。
663年、百済再興を目論んで派遣した倭国軍が、白村江の戦いにて唐、新羅軍に大敗北を喫する。唐、新羅連合軍の報復に備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸に防人を配し、水城、大野城などの城砦を築く。これより後、全国から徴発された若者が防人として北部九州に配備され、故郷を遠く離れて軍務に就く辛さと哀しみを詠い、万葉集に残されている。
757年、櫛田神社が開かれる。
史実であるかどうかは定かではないが、神功皇后の三韓征伐伝説がこの地には多く残る。東区香椎の香椎宮は、神功皇后が夫である仲哀天皇の神霊を祀ったところである。
7世紀から11世紀にかけては、国際交流が盛んになり、665年には筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後に大宰府の迎賓館となる鴻臚館(こうろかん)となった。外国からの使節の接待、遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能に加えて、貿易事務所、検疫所的な役割も果たしていたらしい。鴻臚館遺跡は1988年に当時の平和台野球場の外野席の土盛りの下から発見され、市民を驚かせたのだが、奈良時代は目の前が海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟で上陸した。
なお、遣唐使廃止の建白を行った菅原道真が901年に大宰府に左遷されたとき、博多に上陸し、四十川(よんじっかわ)の清流を水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。その地に建立されたのが水鏡天満宮(すいきょう・てんまんぐう)(水鏡天神)であり、福岡市の都心・天神の地名は、この事に由来する。
806年、東長寺が開かれる。
919年、箱崎放生会始まる。923年、筥崎八幡宮が開かれる。
1161年には平清盛により日本初の人工港「袖の湊」が建設された。これは埋め立てにより埠頭を築いたもので、それだけの投資に見合う実利があったと考えられる。天神・博多部はまだ海の底であり、整備された港湾の沿岸部には筥崎宮、住吉神社、櫛田神社などの大きな寺社が立地していた。中世の寺社は、貿易の重要な出資者であり、博多の冒険商人たちのスポンサーであった。
11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる中国人街が形成された。異国風の建物が建ち並び、多数の外国人商人が行き交う国際都市であった。この時代に博多で活躍した中国人商人に謝国明がいる。宋の時代(日本では平安後期~鎌倉時代)、中国大陸と博多を船団を組んで盛んに往来し、日中貿易で巨万の富を築いた中国人商人は、博多に居住して活発な商業活動を行い、博多の寺院とも結び、その力は中央にも及んで特に「博多綱首」と称されるに至った(「綱首」とは「船長」の意の尊称)。
国際都市・博多は先進文化の受け入れ窓口でもあった。1195年 栄西が博多に日本初の禅寺である聖福寺を開いたが、このときも博多綱首らが物心両面の援助をしている。栄西禅師は、中国からお茶を持ち帰り喫茶の習慣を日本中に広めたことでも知られるが、「饅頭(まんじゅう)」「饂飩(うどん)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。
また室町時代を通じて博多は年行司と呼ばれる12人の豪商の会議によって市政が運営され、日本史上において初めての自由都市であった。堺(堺は36人の会合衆によって市政が運営された)と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえに戦国時代には戦国大名の争奪の対象となり、豊臣秀吉と島津義久の戦いの際に島津軍によって焼き払われた。 九州平定後、1587年7月24日(天正15年6月19日)に筑前箱崎において豊臣秀吉はバテレン追放令を発令した。
1587年からは九州をすべて服属させた豊臣秀吉により博多の復興がなされた。これを太閤町割と呼ぶ。交易の自由や、町人による街の自治が行われ、新たな自治都市が確立された。なお当時の博多とは、博多湾南岸の東西に渡る地域を指したものだった。このときの秀吉の意図には、文禄・慶長の役で出兵を行うにあたり、貿易都市・博多を物流の補給基地として活用しようというものがあったと思われる。
関ヶ原の合戦の後の1600年に黒田如水、黒田長政親子が筑前国に入国し、その後市内中心部の那珂川から東を博多、西を福岡と呼び、そのまま定着した。黒田親子は、小早川秀秋の居城であった名島城(東区)に入城したが、名島城は博多湾に面した小高い丘の上にあるために城下町が作れなかった。そこで1601年から当時の警固村(現・中央区)福崎に新たな城・福岡城と城下町をつくった。
その際、出身地の備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に由来して、城下町を福岡と命名した。黒田藩は博多のまちの自治を広く認めたため、町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡が機能分担しつつ隣接するという、全国的にあまり類例のない「双子都市」が誕生した。
なお、歓楽街として有名な中洲は、博多と福岡の境界である那珂川の中州に江戸期に発達した。どちらにも属しているようで、どちらにも属さないという曖昧性が「悪所」としての歓楽街の発展に有利であったと考えられる。
江戸期を通じて福岡にはあまり華やかな歴史は残っていない。これは、鎖国政策により貿易都市としての機能を天領であった長崎(対西欧・中国貿易)と対馬府中藩(対朝鮮貿易)にすべて奪われたことが大きい。
なお、前述のとおり、天明4年(1784年)に志賀島で金印が発見されている。まったくの偶然であるがこの同じ年、現福岡県立修猷館高等学校の前身である藩校修猷館(東学問稽古所)が開設されている。
その後、江戸時代から明治時代初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域区分とした。さらに1878年、郡区町村編制法の施行により福博が福岡区に改称され、「博多」を名乗る自治体は消滅した。
1889年に市町村制度の施行に伴い福岡区が市制を施行する際、市名を「博多市」にする、或いは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったという。第1回市議会は「名称問題」で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、最終的に福岡部出身の議長の裁決で「福岡」と決したものである。
明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。そのためちょうど同じ頃、当時の九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市から現在の久留米市までの鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。
なお「福岡駅」の名は、福岡市中央区天神に位置する西鉄の駅が名乗り、2001年には西鉄福岡(天神)駅と駅名が変更された。なお、1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され、ここにほぼ百年ぶりに「博多」の地名が復活することとなった。
町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡は、ビジネス街・博多と繁華街商業地・福岡(天神)と所を入れ替え、九州最大の都市としてまたアジアの玄関口として、発展を続けている。
市制施行以後の行政区域の変遷については、「行政区域の変遷」を参照のこと。
福岡市が発祥の地とされる事象には、極東アジア地域との文化交流や貿易によってもたらされたものが多い。
市町村制施行以後。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 初 | 山中立木 | 1889年5月27日 | 1892年11月26日 |
| 2 | 磯野七平 | 1893年1月11日 | 1894年12月7日 |
| 3 | 奥山亨 | 1895年5月21日 | 1899年7月3日 |
| 4 | 松下直美 | 1899年8月21日 | 1905年8月20日 |
| 5-6 | 佐藤平太郎 | 1905年9月23日 | 1914年7月6日 |
| 7 | 井手佐三郎 | 1914年11月28日 | 1918年11月27日 |
| 8-9 | 久世庸夫 | 1919年3月24日 | 1924年5月29日 |
| 10 | 立花小一郎 | 1924年8月23日 | 1925年8月17日 |
| 11 | 時実秋穂 | 1926年3月10日 | 1930年3月9日 |
| 12-13 | 久世庸夫 | 1930年6月17日 | 1938年1月21日 |
| 14 | 河内卯兵衛 | 1938年4月6日 | 1938年8月9日 |
| 15-16 | 畑山四男美 | 1939年1月7日 | 1946年5月18日 |
| 17 | 三好弥六 | 1946年8月14日 | 1947年3月28日 |
| 18(以後、公選) | 三好弥六 | 1947年4月5日 | 1951年4月4日 |
| 19-20 | 小西春雄 | 1951年4月23日 | 1956年7月31日 |
| 21 | 奥村茂敏 | 1956年9月17日 | 1960年9月16日 |
| 22-24 | 阿部源蔵 | 1960年9月17日 | 1972年9月16日 |
| 25-28 | 進藤一馬 | 1972年9月16日 | 1986年11月8日 |
| 29-31 | 桑原敬一 | 1986年12月7日 | 1998年12月6日 |
| 32-33 | 山崎広太郎 | 1998年12月7日 | 2006年12月6日 |
| 34 | 吉田宏 | 2006年12月7日 | 現職 |
福岡市の博多湾地域は、古来から、大宰府の外港として日本の外交・貿易の窓口となり、時代が変わっても商人や有力者の本拠地となってきた。自然の良港であるため、悪天候時の船溜まりとしての機能もあったが、壱岐島・対馬伝いでの朝鮮半島南部との国際貿易ルートを結ぶ重要中継貿易港の一つであった。
第二次世界大戦後は全国総合開発計画によって九州全体を管轄する政府の出先機関が集中して、地方行政拠点都市としての道を歩んだ。行政機能が集中するに従って民間の事業所なども集まり、九州を代表する商業・業務都市となっている。
近年は中国や韓国の企業が日本進出の足がかりとして、福岡市へ進出する例も散見される。このような動きを評価して、米国の雑誌ニューズウィーク誌2006年7月号は「世界で最もホットな10都市」に福岡市を選出した。
外食産業のロイヤル、総合スーパーのユニード(ダイエーに吸収合併)、家電小売のベスト電器など、物販やサービスの分野で新しい産業を生み出す土地柄である。しかし一方で、大手企業の九州支社・九州営業所・九州支店に依存する「支店経済都市」としての側面も強い。福岡市内の民営事業所のうち市外に本社を持つ事業所は全体の35%(2001年)を占めて、高い水準にある。
2002年度市内総生産額は6兆5642億5200万円。 2007年度市内総生産額は7兆1973億6100万円。札幌市を抜いて日本で第5位になる。 (一人あたり市内総生産額では東京,大阪,名古屋について大都市中4位)
2002年度の第一次産業による総生産額は91億6600万円。
市内の農家戸数は3,000戸程度(2002年で3,261戸)と、他の大都市同様、農家戸数は極めて少ないが、農地面積は3,000haと、市域面積の1割弱を占める。全農地面積中、田の占める割合は約7割に及ぶ。農業形態は野菜と花卉を中心とする典型的な近郊農業の特徴を示しており、農業生産額に占める割合の半分程度を野菜が、4分の1程度を花卉が占めている。
市域南西部などにある山林で、わずかながらスギ、ヒノキ伐採を中心とした林業が行われている。
福岡市の産業のうち、第二次産業は市内総生産および事業所数において約10%、従業者数において約12%を占める。いずれも大都市としては低い水準にあり、市内総生産に占める第二次産業の割合は製造品出荷額は小さい(政令指定都市の中では下から2番目)。工業の中心は、都市型工業である食品加工業(食料品・飲料)や出版・印刷業などの情報関連産業が占めている[3]。
福岡市では重工業があまり発達していないため、福岡市内の小学校では5年生を対象に、北九州工業地帯にある工場など(日産自動車苅田工場など)を見学する「北九州見学」という行事が行われている。
福岡市における第三次産業は市内総生産額の約95%、事業者数の約90%、従業者数の約87%を占めている。いずれの割合も政令指定都市としては最も高い水準にあり、大都市の中でも第三次産業のシェアが極めて高い都市であることを示している。特に卸売・小売業とサービス業は、それぞれ市内総生産の約4分の1を占めている。このため商業・サービス業中心の大都市としての色合いが強く出ている。
2004年9月30日時点における福岡市の外国人登録総数は18,509人。
| 国籍別(上位) | 人数 |
|---|---|
| 中国 | 8,031 (43.4%) |
| 韓国・北朝鮮 | 6,387 (34.5%) |
| フィリピン | 863 (4.7%) |
| アメリカ合衆国 | 581 (3.1%) |
| イギリス | 218 (1.2%) |
| インドネシア | 202 (1.1%) |
| カナダ | 151 (0.8%) |
| その他 | 2,076 (11.2%) |
日本の他都市と同様、中国人と韓国・朝鮮人で外国人登録者総数の約8割を占める。しかし、近畿圏や広島市・北九州市など、西日本の大都市では韓国・朝鮮人登録者数が外国人登録者総数の半分あるいはそれ以上を占めているのに対して、福岡市では中国人登録者数が韓国・朝鮮人登録者数を上回る。
教育施設は下記「教育」を、文化施設については下記「文化」を参照。
福岡県警察本部の管轄下、以下に示す警察署がある。カッコ内は管轄区域。交番・駐在所については各区の記事を参照。
福岡市消防局の管轄下、各区に1か所ずつ消防署がある。出張所については各区の記事参照。
番号は各集配局に対応する郵便番号。カッコ内は大まかな管轄区域。なお、日本郵政公社の民営化による事業拠点集約に伴い、福岡都市圏の郵便物の集約・発送の中核拠点として、2007年5月、東区に「新福岡郵便局」(民営化後は郵便事業会社管轄)が開設されることになっている。その際、★印の郵便局は取集事務が廃止され配達のみを行う「配達センター」に、それ以外の郵便局は「統括センター」に、それぞれ移行することになる。
福岡空港と博多港を合わせた外国人入国者数は、成田国際空港・関西国際空港に次いで、外国人に対する日本の第三の玄関口となっている[4]。 また、博多港は外国航路の旅客数日本一を誇る港でもある。
利用者数・発着数増に対して設備拡張や運用の工夫を行った(第2ターミナルの建て替え、国際線地区を滑走路西側に移転し第3ターミナルを到着専用化、滑走路34へILSを設置、東方からの到着便に短距離の飛行ルートを設定など)が、滑走路が1本であるということは改善されていない。「アジアの玄関口」「九州一の都市の空港」として旅客数・発着回数とも2000年ごろまで増加を続け、以降2005年まではほぼ横ばいとなっている。九州地方の空港では、路線数・便数ともに抜きん出ている。一方で、市街地に近く東区箱崎の九州大学の真上を飛行する点から騒音問題や安全面で不安視されている。
福岡市地下鉄空港線福岡空港駅から博多駅・天神に地下鉄で1本、数分で着く。また、北部九州の他地域からの直通バスが多く運行されている。
将来の需要動向やそれへの対応策について、2005年からパブリックインボルブメントをおこなって将来像を検討している。2008年現在、将来需要は現在の空港の能力を超えるという試算のもとに、新空港建設案及び、現在地での拡張案の二案に絞って平成20年度中の一本化が図られる見通しである。
JR線の中心駅は博多駅、西鉄の中心駅は西鉄福岡(天神)駅である。
下記の一覧において、貨物専用路線は除く。
福岡市交通局は発足当初より地下鉄専業であり、元来福岡市に於いて市営バスは存在していない。市内の大部分は西鉄バスによる運行で、100種類を超える系統が存在している。乗降方式はどの事業者も後乗り前降りで、原則として整理券方式の区間運賃制である(ただし市の中心部などに100円均一区間が存在する)。
福岡市タクシー協会の下、第一交通産業グループ、西鉄タクシーグループ、西日本自動車、はかたタクシー、福岡昭和タクシー、ラッキータクシーなど、市内で約80社が営業している。営業は流しによる営業が主である。また福岡都市圏各市町村(宗像市・福津市を除く)のタクシー事業者は福岡市内での営業が認められており、これらを合わせると実質約100社、6,000台のタクシーが福岡市内で営業している。なお逆に、福岡市内のタクシーが上記の福岡都市圏各市町村で営業することもできる。個人タクシーは福岡都市圏の登録タクシー台数の約3割を占めており、登録台数に占める割合としては全国的に見ても高水準にある。
福岡市では、市内を流す一般のタクシーは基本的には小型車(乗客4人まで乗車可)のみで、中型車(乗客5人乗車可)は博多駅や福岡空港にある専用乗り場もしくは電話予約に限られる。
一部に運賃を低運賃としている事業者もある。
県道については各区の項を参照。
下記航路は旅客航路のみ掲載。
※この他、各区にも市民センター併設の小規模図書館・図書室がある。
※スポーツ大会は別記。
ボールド体(この字体)は故人。福岡市に合併された町村の出身者も含む。
野球・ソフトボール
バスケットボール
格闘技
室内競技
実際に福岡市で撮影が行われていないものを含み、福岡市で撮影を行っていても設定上、福岡市が舞台になっていないものは含めない。
福岡市では大規模災害が起きた場合、福岡市の避難場所が福岡ドームと定められている。またドームに倒壊の危機が迫った場合、福岡市の最終避難場所は、地行中央公園である。
公式
観光
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