自動車産業(じどうしゃさんぎょう)とは、自動車及び自動車部品の生産、販売、利用、整備に関連した産業をさす[1]。
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自動車産業は、基幹産業[2]として欧米や日本といった工業国の経済で重要な位置を占めてきた。自動車自体の付加価値率は高くないものの、鉄鋼、ガラス、ゴムやプラスチックなどの石油化学品、半導体などの原材料、鋳造等の加工技術、電子機器の制御を行うコンピュータソフト、宣伝広告を行うマスコミや販売を行う自動車販売店のほかガソリンスタンドや自動車整備工場など関連産業の裾野が広く経済波及効果が大きいためである。しかし、自動車産業の成長に伴って自動車産業依存も進み、政府の政策が自動車産業にばかり有利に傾くようになることでなかなか新産業が育たなくなる弊害が出るようになり、自動車に代わる基幹産業が求められているのが現状である。[3]。
自動車は、その黎明期においては、ガソリン、蒸気、電気など様々な動力が試みられていた。しかし、当初は蒸気自動車と争っていたガソリン車が技術の発達において抜きん出ただけでなく、油田発見(1901年、テキサス油田)によるガソリンの安価な供給も背景に優位性を確立していった[4]。1910年頃までは特権階級の乗り物であったが、大量生産を前提とするフォード・モデルTの登場により、自動車は大衆化し、モータリゼーション社会が登場した。こうして自動車産業は急速に拡大していくことになる[5]。
しかし、増加に伴い自動車全体からの排気ガスの排出や騒音が増え、都市における大気汚染や騒音に加え、排気ガスに含まれる物質がロンドンスモッグや酸性雨といった健康問題や環境問題を引き起こすに至った。また、燃料となる化石資源の枯渇も憂慮されており、化石燃料以外の代替エネルギーや内燃機関に代わる動力が求められている。
なお、自動車の歴史については、自動車#歴史も参照されたい。
米国は世界で最初に大量生産技術を発明し、国土が広く公共交通機関が行き届かない地域が多いことから、自動車の市場規模は大きい。フォード、GM、クライスラーの「ビッグスリー」を筆頭とした自動車産業は、幾多の合併や淘汰を経つつも常に製造業の中心としてアメリカ産業を牽引してきた。
1980年代には、日米貿易摩擦が発生する。この時期は産業空洞化も議論されたが、その後、再び米国の自動車産業は力をつけていた。
しかし、2000年代後半になると「ビッグスリーの凋落と外国企業の進出」「環境規制の強化」が、自動車産業を揺さぶることになる[6]。
明治時代、日本の自動車産業は生まれた。当初は輸入のみで、日本で自動車は生産できなかった。その後、個人ベースでは山羽虎夫(1904年)、内山駒之助(1907年)が純国産車を作成する。昭和時代になると企業による国産車の生産も始まるが、技術水準は高いとは言い難かった(日本車、日本ゼネラル・モータースも参照されたい)。 大正7年に軍用自動車補助法が制定されると国の補助を受けて自動車が購入されるようになり、日本の自動車需要は急速に伸びた、しかし、国産自動車の販売は伸びず、アメリカの自動車ばかりが売れ、国産自動車も部品の多くをアメリカからの輸入に頼った半国産ばかりであった。このような状況からアメリカからの輸入車が増え、対米貿易赤字が膨らんでいく状況に、大日本帝国陸軍の強い圧力により政府は自動車製造事業法(1936年)を制定し、日本国内企業のみに自動車生産を許可した[7]。この法律によってフォードやGMなどのアメリカメーカーは日本から撤退した。さらには海外からの技術導入が困難になり、日本の自動車はこれ以降、純国産化することになったが、技術水準の低さから故障が多く、稼働率の低い自動車ばかりとなった。根本的な解決には敗戦を待たなければならなかった。[7]。この際に自動車生産企業と部品企業とが密接な繋がりを持ったことが、戦後のケイレツに繋がっていくことになる[7]。
1970年代以降、各国に日本製の自動車が輸出されるようになった。
1980年代には、プラザ合意による円高などにより、自動車で日米貿易摩擦が発生する。この時期に多くの自動車企業が貿易摩擦解消のために米国など海外に工場を建設し、産業空洞化が議論された。
1990年代には、ケイレツの解消が指摘されるようになった。
2000年代後半、自動車産業は
といった状況にある。海外を中心に全体としては業績を伸ばしているが、海外では徐々に新興国メーカーにシェアを奪われつつあり、競争力強化のため更なる海外移転の動きがある。
産業ピラミッド内では頂点の完成車メーカーと下請けの部品メーカー、完成車メーカーと販売企業とで格差がある。カンバンやゲンテイ(原価低減)で在庫やコストを抑え、海外向け販売で収益を確保できる完成車メーカーに対し、部品メーカーは自由な生産調整や価格設定が行えず、販売企業は日本国内向け販売でしか収益を得る場がない。そのため、部品メーカーや販売企業の利益は減少し、倒産する企業が増加している[8]。
部品メーカーは自動車以外の分野への進出による自動車依存からの脱却、販売会社は「売上増」を前提とした経営から「売上減少」を前提とした経営に転換を図ろうとする動きがあるが、まだ十分な成果が出ている企業はごく一部である。景気悪化に伴い余力があるうちに廃業する場合すらあり、転換を図るだけの体力がどれだけの企業にあるか危む見方すらある[8]。このような問題があるものの、日本は現在、世界最大の自動車生産国である。
先進国とは対照的に経済発展著しい新興国ではサブプライム債券などを用いたデリバティブが普及しておらず、国内需要の伸びが経済を主導していたため金融危機の影響が比較的軽微で済んだ。欧米に替わる主要な輸出先としてBRICsなどの新興国市場が旺盛な需要を背景に存在感を増している。
トヨタ自動車の発祥の地である愛知県豊田市が有名であり、隣接する刈谷市にはデンソー・アイシン精機をはじめとしたトヨタグループの部品メーカー各社が本社を置いている。愛知県にはトヨタやトヨタグループ関連の工場が多く集積する。トヨタ以外では三菱自動車も岡崎市に工場を持つ。他には、日産自動車のある神奈川県、本田技研工業のある埼玉県や三重県、スズキのある静岡県、マツダのある広島県、日産自動車九州工場・トヨタ自動車九州・ダイハツ九州のある福岡県・大分県に自動車産業の集積が見られる。
また、工場周辺地域(愛知県や神奈川県など)に、自動車部品など周辺産業が集積している。
中国では、経済成長に伴い自動車の需要が増加、市場は世界一の販売台数になるまで拡大している。中国国内の自動車関連企業は膨大な数に上り、外国企業も主に合弁で参入している。
中国企業の中にはプラグインハイブリッドカーを開発し世界で初めて発売するなど技術力に差があるものの先進国の自動車メーカーとほぼ対等に競争できるほどに技術力が高まっている企業がある一方で、海外の安全性能試験で0点を付けられるような未だ低品質の製品も見られる。[11])、サービスの悪さなど課題もある。詳細は、中国の自動車産業・中華人民共和国の経済#自動車を参照されたい。
一方、自動車修理業は、国内の急速な保有台数の増加に業界が追いついておらず、人手不足状態となっている[12]。
インドでは、経済成長に伴い自動車需要が増加しているが、全体の3/4程度が二輪車である。二輪車はホンダ系、インドのバジャージ・オート・TVSモーターのシェアが大きい。自動車は日系のマルチ・スズキ、インドのタタ・モーターズ、韓国のヒュンダイの3社が主要メーカーである。
インドでは今までの販売対象より低所得の層をターゲットにした機能を減らし価格を抑えた自動車が出現している。日本円で30万円以下のタタ・ナノのように既存の価格を打ち破る製品が発売されており、こうした市場に進出しようとする自動車メーカーも少なくない。
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