| たち ひろし 舘 ひろし |
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| 本名 | 舘 廣 (たち ひろし) |
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| 生年月日 | 1950年3月31日(61歳) |
| 出生地 | |
| 血液型 | A型 |
| ジャンル | 俳優・シンガーソングライター |
| 活動期間 | 1975年- |
| 主な作品 | |
| 『西部警察』シリーズ 『あぶない刑事』シリーズ |
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| 備考 | |
| 石原プロモーション取締役(‐2011年3月28日) | |
舘 ひろし(たち ひろし、本名・舘 廣(読み同じ)、1950年3月31日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター。愛知県名古屋市中区老松町(現・新栄)出身。ドラマでの役柄は、所属する石原プロモーション制作のものを中心として、刑事役が圧倒的に多い。
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名古屋市立新栄小学校、名古屋市立白山中学校、愛知県立千種高等学校を経て千葉工業大学工学部建築学科中退。身長181cm・体重68kg・血液型はA型。
先祖は尾張藩の武士で、旧士族の家柄。代々の住まいは徳川家から拝領した「徳川家の離れ」だった。実家は明治期に開業した舘医院(現在は、実弟が家業の医院を引き継いでいる。)で、父親は内科医。小学生時代は鈍臭かったため、当時は「どんくさ舘」と呼ばれていた。
祖父が英国好きで、舘家にはミルクティーを飲む「ティータイム」があった。舘自身もその後英国好きになり、1996年8月、妻との結婚式は英国で行っている。舘の愛車はモーガンで、毎週の乗馬への往復時など自分で運転する時はモーガンに乗っている。また、仕事時など自分で運転しない時はジャガーに乗っている。どちらも英国製自動車である。
高校時代にはラグビー部の主将を務める。医学部を目指すが挫折し、千葉工業大学に入学。同大学の千種寮に入るがその厳しさに夜逃げし、学生の間で「夜逃げの四棟」と呼ばれる伝説となっている。大学生時代のバイト先の同僚にドン小西がいた。デビュー後も同大に長らく在籍したままだったが、中退した。
その後は岩城滉一とともに原宿・表参道を拠点にした硬派バイクチーム「クールス」を総括。矢沢永吉がリーダーだったロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名となり、キャロルの解散コンサートのDVDにも登場している。
1975年、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』矢沢永吉(五大洋光)作曲でデビュー。その後のソロデビュー時には"太ったブタが勝つか、しなやかな狼が勝つか"とのキャッチフレーズでプロモーションに打って出て、矢沢を挑発するものとして話題を呼んだ。
また松田優作主演の映画『暴力教室』にも出演。東映俳優センターに所属し、俳優としてのキャリアもスタートさせる。暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿がトレードマークとなった。
『西部警察』シリーズでの登場をきっかけに渡哲也と出会い、最初は、ハーレーダビッドソンを駆使する無頼漢的キャラクターの巽総太郎(愛称「タツ」)役で登場していたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために半年後の第30話で西部署で最初の殉職刑事となり一旦降板している。
西部警察の撮影初日、東映時代から愛用している黒のディレクターズチェアを石原、渡のディレクターズチェアの横に置いたところ、石原から「10年早いな」と言われ、周囲のフォローを無視して「時代が違いますよ」と反論した。すると、石原は「悪かったね。時代が違うんだ」と笑って理解を示した[1][2]。
そして、後の第109話から、先に殉職した巽刑事役とは別人のスズキGSX1100Sカタナを愛機とする特別機動車両隊(略称・「特機隊」)隊長の鳩村英次(愛称「ハト」「ポッポ」)役で再登場し、後に自ら志願して石原プロモーションへの入社を果たし『西部警察 PART-III』の最終回まで出演していた。西部警察に出演して学んだ事は「共演する事で石原裕次郎、渡哲也という2人の映画スターを先生に持てた事で受けた影響は強い」と語っている[3]。
石原プロモーションに入ったきっかけは、社長の石原裕次郎ではなく渡哲也への憧れからであり、渡には『西部警察』放映時の頃から気に入られており、同番組の地方ロケで宿泊したホテルでの飲み会で、他の皆が御開きにした後も渡に勧められるままに、明け方まで一緒に杯を交わしたという[3]。石原プロモーションでは同い年の神田正輝と共に同社取締役を務めていた。入社の際に渡から、「お前は、渡プロに入ったんじゃない!石原プロに入ったんだから!」と訓告を受けた。渡を心から尊敬し、私淑しているゆえのエピソードである。渡を尊敬しているが故に、石原プロモーション社長である石原裕次郎との間には距離があった。ある時石原に対し、「俺は渡哲也という男に憧れて石原プロに入りました。その渡さんは社長(石原)の背中を見て生きてきました。俺は渡さんの背中しか見ていませんから、社長の背中は見えません。横に立って斜めから見ると2人の背中を見ることができますが、それでは社長の背中を見たことにはなりません。」という旨を面と向かって告白したところ、感銘を受けた石原が舘をいたく気に入り、それ以後はなにかにつけて可愛がるようになったという。
『西部警察』シリーズ終了後のドラマでは、バイク使いとしての積極的な登場は少なくなったものの、『あぶない刑事』シリーズでは、ハーレーなど大型バイクに乗りショットガンを構えるシーンがもはや「十八番」となっており、還暦になった現在でも、アクションぶりを時折見せる。
俳優を始めた頃は撮影所に対するイメージのギャップや、カメラの前に立つ事の違和感、嘘の世界である仕事に納得できなかった。ただ、物を作っていくという過程は楽しかったと述べている[4]。『大都会』の出演依頼を受けていたが、当時は「刑事役はやりたくない」と断っている[3][5]。刑事ドラマにおける銃の扱い方にはこだわりが強く、「西部警察」の頃は撮影が終わってから、プロップガンを借りて、自宅でプロっぽい仕草を練習していたと当時を語っている[3]。さらに銃撃シーンで、右手で銃を構える際に左手を胸に添える形を取るが、「(試行錯誤の末に)最終的にこの形に落ち着いた」と語るが[6]、あぶない刑事などの技斗を担当する高瀬将嗣によると、「添えた左手は『心臓の上をガードする』という意味」で、大変勉強になったと後に語っている[7]。
1995年 - 1997年には、全日本F3000とフォーミュラ・ニッポンに参戦していた「NAVI CONNECTION Racing Team」の監督を務めた[8]。「女の子を口説くつもりで(2ndドライバーを探しに)鈴鹿へ行ったのに、逆にマッチに口説かれた」と近藤真彦の全日本F3000デビューを後押ししている[9]。
2011年3月28日、石原プロモーション取締役を辞任し、一所属俳優となる。
石原プロの俳優で歌手をも兼任しているのは、石原裕次郎と渡哲也、そして舘ひろしであるが、前記の2人の発表してきた楽曲はどちらかというと歌謡曲または演歌としての色合いが強い。だが舘はロックバンド出身であるためか、50代半ばにリリースした『貴方と…』もJ-POPのジャンルに入る。
舘は、自身が出演するドラマのテーマを手掛けることが多く、TV版『あぶない刑事』のオープニングテーマ、『ゴリラ警視庁捜査第8班』のオープニングテーマも彼の作曲である。
なお、『泣かないで』をリリースした一方で、『あぶない刑事』の挿入歌として『泣いていいよ』という曲を歌っていたことがフジテレビの番組『トリビアの泉』で紹介された。
他多数
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