| いばらきけん 茨城県 |
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|---|---|
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 団体コード | 08000-4 |
| ISO 3166-2:JP | JP-08 |
| 面積 | 6,095.72km² |
| 総人口 | 2,954,126人 (推計人口、2012年1月1日) |
| 人口密度 | 485人/km² |
| 隣接都道府県 | 千葉県、埼玉県、栃木県、福島県 |
| 県の木 | ウメ |
| 県の花 | バラ |
| 県の鳥 | ヒバリ |
| 他のシンボル | 茨城県民の歌 茨城県民体操 |
| 茨城県庁 | |
| 知事 | 橋本昌 |
| 所在地 | 〒310-8555 茨城県水戸市笠原町978番地6 |
| 外部リンク | http://www.pref.ibaraki.lg.jp/ 茨城県庁 |
| ウィキポータル | 日本の都道府県/茨城県 |
| ウィキプロジェクト | |
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茨城県(いばらきけん)は、日本の県の一つ。関東地方の北東に位置し、東は太平洋に面する。県庁所在地は水戸市。都道府県人口は全国11位、面積は全国24位である。
目次 |
茨城県は、関東地方の北東部に位置する県で、もとの常陸国全域と下総国北部にあたる。県の人口は2,954,126人(2012年1月1日)で、総人口の約2.3%を占め、面積は6,094km²(霞ヶ浦・北浦・牛久沼・涸沼などを含めない場合は5,874.20 km²)で、国土の約1.6%を占める。県内の市町村数は44で、うち市は32、郡は7で、その下に10の町と2の村がある。2008年度の県内総生産は11兆5157億円[1]。
県北部は日立市・ひたちなか市で工業化が進むほか、太平洋や八溝山地のある緑豊かな地域を形成する。県中央部は水戸市に茨城県の県庁が置かれ、小美玉市に茨城空港がある。県東部の鹿嶋市・神栖市では鹿島臨海工業地帯を形成し、工業化が進んでいる。県西部は関東平野の中央部にあたり、農業を中心とした内陸の地域となっており、県南部は筑波研究学園都市や首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの整備で特別区のベッドタウンとしての開発が進められた地域となっている。
県名は廃藩置県後、間もなくに行われた県の統合の際に、茨城郡(1878年から東茨城郡)の水戸に県庁が置かれたためその郡名が採用された。
茨城という名は、一説に、賊を討つために茨の城(柵)を築いたことに由来し、『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。また、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌があり、この故事にちなむ茨城(うばらき)という地名がみられる。
かつて常陸国の国府があった石岡市が県名の発祥地という説もある。律令時代の茨城郡は近世・近代の茨城郡(東茨城郡・西茨城郡)よりも南まで広がっており、常陸国府は茨城郡に所属していた。「茨城」(むばらき、うばらき)という郡名自体が国府周辺の地名だったとされる。それを示唆するものとして、石岡市に「茨城」(ばらき)という地名がある。逆に水戸の周辺は律令時代には那賀郡(那珂郡)に属していた。水戸が茨城郡に属するようになるのは16世紀末以降である。
また、「茨城県」の「茨」の字は都道府県としては唯一表外漢字字体となっている(「茨」の左下の「冫」の字の部分が「二」の字の部分となる。)[2]。
読みについては、「いばらぎ」と読まれることも多いが、正式には廃藩置県以来「いばらき」と読むのが正しいと定めている[3][4]。
「茨城」を一文字で表す場合、「茨」の読みに「いば」はないものの、茨城県内では「茨」の一文字で「いば」と読む略称を使うことがある(例:茨城大学→茨大(いばだい)、茨城交通→茨交(いばこう)、茨城急行→茨急(いばきゅう)など[5]。
太平洋側に位置するため気候は太平洋側気候を呈し、冬季は少雨乾燥、夏季は多雨多湿となる。また、太平洋沿岸部は海洋性気候、内陸部は内陸性気候となる。冬季には海岸沿いを除き西隣の栃木県と同様放射冷却により気温が下がり、1月の平均最低気温は北部山間部の大子町で-5.3℃、南部のつくば市で-3.7℃となる。過去にはつくば市で-17.0℃(1952年2月5日)、龍ケ崎市で-15.5℃(1984年1月20日)を記録するなど平野部でも-10℃以下まで下がったことがあった。また、南東部を除く地域は南岸低気圧や北東気流の影響で局地的に大雪となることもある。夏季は、古河市などの西部内陸部では日中の気温が上がり猛暑日となることが多いが、その他の地域は北東気流が流れ込むことも多いため、群馬県や埼玉県のような猛暑日が多くはならず、熱帯夜も少ない。
| 平年値 (月単位) |
北部沿岸部 | 北部内陸部 | 中部 | 西部 | 南部 | 南東部 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 北茨城 | 日立 | 大子 | 常陸大宮市 小瀬 |
水戸 | 笠間 | 下妻 | 古河 | つくば | 筑波山 | 土浦 | 龍ケ崎 | 鉾田 | 鹿嶋 | ||
| 平均 気温 (℃) |
最暖月 | 23.4 (8月) |
24.6 (8月) |
24.5 (8月) |
24.3 (8月) |
25.0 (8月) |
24.9 (8月) |
25.3 (8月) |
26.1 (8月) |
25.2 (8月) |
20.7 (8月) |
25.7 (8月) |
25.4 (8月) |
24.6 (8月) |
25.1 (8月) |
| 最寒月 | 3.5 (1月) |
4.4 (1月) |
0.3 (1月) |
1.5 (2月) |
2.8 (1月) |
2.1 (1月) |
2.6 (1月) |
3.2 (1月) |
2.3 (1月) |
-0.5 (1月) |
3.6 (1月) |
2.9 (1月) |
2.5 (1月) |
4.4 (1月) |
|
| 降水量 (mm) |
最多月 | 206.7 (9月) |
201.4 (9月) |
214.9 (9月) |
208.8 (9月) |
193.9 (8月) |
194.0 (9月) |
190.4 (9月) |
183.3 (9月) |
186.6 (9月) |
181.0 (9月) |
168.2 (9月) |
179.0 (9月) |
196.6 (9月) |
215.1 (9月) |
| 最少月 | 30.0 (12月) |
28.9 (12月) |
29.3 (12月) |
26.9 (12月) |
33.1 (12月) |
29.0 (12月) |
27.5 (12月) |
22.6 (12月) |
34.6 (12月) |
26.2 (1月) |
30.9 (12月) |
33.6 (12月) |
34.8 (12月) |
49.2 (12月) |
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明治維新以前の茨城県については、「常陸国」、「下総国」のそれぞれを参照
本県に人が住み始めたのは、今からおよそ2万4000年前の火山灰層(姶良・胆沢火山灰、略してAT)の堆積前後からであると考えられている。この層の下からナイフ形石器や局部磨製石器、焼けた礫石群が見つかっている。これらの石器の後に細石刃が北(樺太・北海道・東北)と南(九州・西日本)から伝播する。この時期の遺跡としては後野B遺跡(ひたちなか市)などから確認されている。細石刃核・細石刃・彫器・掻器などが出土している。[7]
現茨城県域には水戸藩を筆頭に14藩と県域外諸大名の飛び地、幕領・旗本領などが錯綜していた。1868年(慶応4年、明治元年)、幕府の解体により旧幕領・旗本領は新政府の直轄地とされ、6月に粥川満明(三上藩士)が常陸知県事に、8月には佐々府貞之丞(肥後藩士)が下総知県事に任命され、常総の民政を担当した。翌1869年(明治2年)1月に下総知県事の管轄地が葛飾県、2月に常陸知県事の管轄地が若森県になった。こうした動きの中で、同年6月に版籍奉還が行われ、1871年(明治4年)7月の廃藩置県を経て、同年11月、現在の県域は茨城県および新治県、印旛県のそれぞれ一部に統合された。1875年(明治8年)5月に新治県が分割されてそのうちの常陸国分6郡が茨城県と合併し、同時に千葉県(1873年(明治6年)に印旛県と木更津県が合併)から概ね利根川以北に当たる区域を編入して現在の茨城県が成立した。
人口は1920年(大正9年)に135万人と関東地方では東京府(現在の東京都)に次ぐ人口であったが、その後は緩やかに増加傾向が続き、1950年(昭和25年)に204万人、1999年(平成11年)に300万人になり、その後は緩やかに減少傾向にある。また、現在の人口は政令指定都市を持たない県で最大である。
合計特殊出生率は1.37と全国平均の1.37と同じであり(平成20年)、総人口は山間部の多い北部(平野部のひたちなか市・那珂市・東海村を除く)での減少が著しく、つくばエクスプレスの沿線開発が進む南部での増加が著しい。茨城県は5つの地域区分に対して人口の3分の1が東京通勤圏に位置する南部に集中し、その一方で北部や西部などでは定住者に奨励金を交付する定住化促進制度を導入するなど人口減少を食い止める施策が行われている。
| 茨城県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 茨城県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 茨城県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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茨城県(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 茨城県の市町村の人口、面積、人口密度(2012年1月1日) | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 市町村 | 人口 | 面積 | 人口密度 | |||
| 1 | 水戸市 | 269,174人 | 217.43km² | 1,238人/km² | ||
| 2 | 日立市 | 191,079人 | 225.55km² | 847人/km² | ||
| 3 | 土浦市 | 143,519人 | 122.99km² | 1,167人/km² | ||
| 4 | 古河市 | 142,351人 | 123.58km² | 1,152人/km² | ||
| 5 | 石岡市 | 78,718人 | 215.62km² | 365人/km² | ||
| 6 | 結城市 | 52,094人 | 65.84km² | 791人/km² | ||
| 7 | 龍ケ崎市 | 79,986人 | 78.20km² | 1,023人/km² | ||
| 8 | 下妻市 | 44,474人 | 80.88km² | 550人/km² | ||
| 9 | 常総市 | 64,538人 | 123.52km² | 522人/km² | ||
| 10 | 常陸太田市 | 55,259人 | 372.01km² | 149人/km² | ||
| 11 | 高萩市 | 30,525人 | 193.65km² | 158人/km² | ||
| 12 | 北茨城市 | 46,107人 | 186.55km² | 247人/km² | ||
| 13 | 笠間市 | 78,704人 | 240.27km² | 328人/km² | ||
| 14 | 取手市 | 108,533人 | 69.96km² | 1,551人/km² | ||
| 15 | 牛久市 | 82,538人 | 58.88km² | 1,402人/km² | ||
| 16 | つくば市 | 216,245人 | 284.07km² | 761人/km² | ||
| 17 | ひたちなか市 | 157,059人 | 99.07km² | 1,585人/km² | ||
| 18 | 鹿嶋市 | 66,580人 | 105.97km² | 628人/km² | ||
| 19 | 潮来市 | 30,034人 | 71.41km² | 421人/km² | ||
| 20 | 守谷市 | 63,000人 | 35.63km² | 1,768人/km² | ||
| 21 | 常陸大宮市 | 44,482人 | 348.38km² | 128人/km² | ||
| 22 | 那珂市 | 53,965人 | 97.80km² | 552人/km² | ||
| 23 | 筑西市 | 107,421人 | 205.35km² | 523人/km² | ||
| 24 | 坂東市 | 55,665人 | 123.18km² | 452人/km² | ||
| 25 | 稲敷市 | 46,010人 | 205.78km² | 224人/km² | ||
| 26 | かすみがうら市 | 43,235人 | 156.61km² | 276人/km² | ||
| 27 | 桜川市 | 44,930人 | 179.78km² | 250人/km² | ||
| 28 | 神栖市 | 94,257人 | 147.26km² | 640人/km² | ||
| 29 | 行方市 | 36,779人 | 222.38km² | 165人/km² | ||
| 30 | 鉾田市 | 49,349人 | 208.18km² | 237人/km² | ||
| 31 | つくばみらい市 | 45,366人 | 79.14km² | 573人/km² | ||
| 32 | 小美玉市 | 52,101人 | 145.03km² | 359人/km² | ||
| 33 | 茨城町 | 33,991人 | 121.64km² | 279人/km² | ||
| 34 | 大洗町 | 17,823人 | 23.19km² | 769人/km² | ||
| 35 | 城里町 | 21,163人 | 161.73km² | 131人/km² | ||
| 36 | 東海村 | 37,878人 | 37.48km² | 1,011人/km² | ||
| 37 | 大子町 | 19,588人 | 325.78km² | 60人/km² | ||
| 38 | 美浦村 | 16,968人 | 66.57km² | 255人/km² | ||
| 39 | 阿見町 | 47,861人 | 71.39km² | 670人/km² | ||
| 40 | 河内町 | 9,954人 | 44.32km² | 225人/km² | ||
| 41 | 八千代町 | 22,859人 | 59.10km² | 387人/km² | ||
| 42 | 五霞町 | 9,253人 | 23.09km² | 401人/km² | ||
| 43 | 境町 | 25,433人 | 46.58km² | 546人/km² | ||
| 44 | 利根町 | 17,278人 | 24.90km² | 694人/km² | ||
詳細は「茨城県知事一覧」を参照
茨城県は農協幹部の背任に関する実名での内部告発者に対し、その内部告発の内容と実名を漏らした。一方茨城県警はこの内部告発に対し、背任の幹部を不起訴とした。1
詳細は「茨城県議会」を参照
| 会派名 | 人数 |
|---|---|
| 自由民主党 | 47、公認36 |
| 民主党 | 6 |
| 公明党 | 4 |
| 自民県政クラブ | 3 |
| 日本共産党 | 2 |
| 無所属 | 1 |
| 欠員 | 2 |
ここでは、県内ローカル規模やそれに近い企業以外で本県に本社を有する企業を述べる。
また、日立市・ひたちなか市に日立グループの企業の工場が数多くあり、鹿島臨海工業地帯を形成する鹿嶋市・神栖市は鉄鋼、石油化学を中心に工場が置かれている。石岡市、鹿嶋市、かすみがうら市、つくば市、土浦市、日立市、ひたちなか市などに大手製造業の研究拠点が多く存在する。
大和政権期に大国といわれ、『常陸国風土記』では「常世の国」と謳われたように、日本屈指の農業地帯である。県土の大半を平地が占め、その多くが農地であることから、森林率では31%と大阪府に次いで全国で2番目に低い[10]。メロンの生産量は全国1位である。
野菜
果実
穀物
畜産物
林産物
その他の農産物
※ 長年有名だった霞ヶ浦の鯉は、2003年10月のコイヘルペスウイルス騒動[13] で養殖が休業状態になっていたが、2009年4月に県の養殖自粛要請が解除され、養殖が再開されることになった[14]。
県域は自然的条件から、広義では県南、県北、鹿行に三分される。さらに社会・経済的特性とくに都市化を条件に加えると広義の県南は県南、県西に二分される[15]。
茨城県には32市7郡10町2村がある(町は「ちょう」ではなくすべて「まち」と読む)。それらは、茨城県庁によって以下の5つの地域に区分されている。以下、地域内人口と、都市圏等を記載する(地域内人口は2005年国勢調査の値、都市圏の人口は2000年国勢調査に基づく都市雇用圏の値)。
茨城県は、全国47都道府県の内、11番目に人口の多い県である。総面積は全国24番目であるが、可住地面積では全国第4位である。これらの統計で見ると、特定の都市に一極集中せず、全体に広く人口が分布しているとも言えるが、地域圏でみると、人口約300万人のうち、1/3が東京圏(列びにつくば都市圏)に含まれ、残りの200万人がそれぞれの地域で農業や小規模な商工業を基盤とした地域圏を形成している。
人口約64万人。地域内に日立都市圏(37.8万人)を有する。県北は、「けんほく」[16][17]や「けんぽく」[18][19]の読みが見られる。
人口約47万人。地域内および県北地域に水戸都市圏(66.1万人)が存在する。県央は「けんおう」と読む。
人口約28万人。地域内には鹿嶋都市圏(10.5万人)を有する。鹿行は「ろっこう」と読む[20]。
人口約100万人。地域内は東京都市圏の一部(44.3万人)に含まれるほか、つくば都市圏(55.5万人)を有する。県南は「けんなん」と読む。
人口約58万人。地域内は小山都市圏の一部(5.2万人)、東京都市圏の一部(5万人)に含まれるほか、下館都市圏(9.8万)、水海道都市圏(6.6万人)を有する。県西は「けんせい」と読む。
水戸地方気象台が気象情報や注意報と警報などを発表する区分は、県北地域、県央地域、鹿行地域、県南地域、県西地域に分けられている。これらに分類される市町村は県庁が定める地域区分と同じである。また、県北地域と県央地域を合わせて茨城県北部、鹿行地域、県南地域、県西地域を合わせて茨城県南部と表す場合がある(水戸地方気象台が気象予報や注意報と警報などを発表する場合など。)。
北部(県央地域と県北地域)(1875年5月6日までの茨城県)と南部(旧印旛県北西部、旧新治県北部)では地域色が異なっており、北部で人口が減少し、南部で人口が増加傾向にある状態を「南北格差[21]」または「南北問題[22]」と呼ぶことがある。旧新治県でも、国道51号沿線と国道6号(常磐線)沿線、旧印旛県でも国道6号(常磐線)沿線、つくばエクスプレス沿線、県西地域とでは、経済的基盤も異なっている。
茨城県西地域も参照
地域格差を解消するための施策として、県では、2006年から2010年度までの5ヶ年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、県北山間・県北臨海・県央の各地域を「北部広域連携圏」に分けた展開の方向性を示している。「南部圏」は、南関東との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを、「北部圏」は、北関東における物流拠点や先端産業拠点と、広域交通基盤の整備を目指している。 また、県庁内に、県北地域の振興を専門に行なう県北振興室が新設され、県北地域振興を担う(財)グリーンふるさと振興機構とともに、「いばらき さとやま生活」 と名付けた主に団塊世代をターゲットにした移住・二地域居住など、県北地域(ひたちなか市・那珂市・東海村を除く)でのゆったりと豊かなライフスタイルを発信、推進している。
今後は、東京都心に近く人口増加傾向の南西部の発展が続くと予想されている。逆に北部は過疎地域が増加する傾向にあるため、衰退の可能性も孕んでいる。
茨城県は常陸国と下総国北西部によって形成され、歴史的にそれらの地域全体が東関東方言地域に属する。下総国であった県南地域の一部・県西地域の大部分は千葉県より移管された経緯があるが、現在の茨城県内で使われる東関東方言は総称して茨城弁と呼ばれる。現在では関東地方に多く見られる流れとして共通語化が進み、南部を中心に伝統的な方言が衰退し、南部では首都圏方言が主に使われるようになった[25]。また、東京都心からの距離の割に標準語とは大きく異なる方言であることから、伝統的な方言を解さない住民も多い。
その他、全域がNHK放送センターの教育テレビ(JOAB-DTV)と関東1都6県共通の民放5大キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)の視聴エリアとなっている。県南地域、県西地域はNHK東京総合(JOAK-DTV)の視聴エリアとなっている。
また、地域によってはチバテレビ・テレ玉・TOKYO MX(スカイツリー移転まではNHK水戸放送局と混信しない地域に限られる)を直接受信やCATVで視聴することができる。特に千葉県の県域独立局である千葉テレビ放送(チバテレ)は地デジではほとんどの地域で高性能アンテナ利用を含めて直接視聴することが可能であり、チバテレも茨城県の視聴者に配慮した番組を組むことがある。実際東日本大震災発生当時も茨城県の視聴者に対する哀悼のコメントが放送されたことがあった。また茨城新聞・常陽新聞の県域2紙をはじめ、茨城県向けの新聞の番組表にもチバテレの番組が収録されている。
また、国際放送のNHKワールド・ラジオ日本の送信所が県内にある。
AMラジオもほぼ全域がNHKラジオ第1・第2、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送の聴取エリアとなっている。
かつては民放テレビ局、民放FM局開局の動きがあったが、テレビ放送を計画していた茨城放送はテレビ放送を断念。民放FM局は「スポンサーが付くかどうか不安」「現在の放送局で充分」との声も多く、周波数の空きも十分になく周波数の割り当てができず、実現に至らなかった。現在、全都道府県で唯一民放テレビ局が存在しない県である。2011年3月11日に発生した東日本大震災で県内の被災状况がなかなかテレビで報道されなかったのは、県内に民放テレビ局が存在しないことが理由だと指摘する声もある[27][28][29][30]。1979年10月7日から2011年3月27日まではフジテレビの放送枠を借りて茨城県の広報番組である『おはよう茨城』が放送されていた。
かつては、新いばらき(水戸)が存在した。
(→茨城県の県道一覧)
「茨城県出身の人物一覧」を参照
| 先代: 松岡県・水戸県・宍戸県・ 笠間県・下館県・下妻県 新治県の一部(常陸国) 千葉県の一部(下総国利根川以北) |
行政区の変遷 1871年 - |
次代: ----- |
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