虻田郡(あぶたぐん)は、北海道西部、胆振支庁と後志支庁にまたがる郡。
人口45,384人、面積1,527.92km²、人口密度29.7人/km²。(2009年12月31日、住民基本台帳人口)
以下の6町2村を含む。
江戸時代の虻田郡域は東蝦夷地に属し、松前藩によってアブタ場所が開かれていた。寛政年間になり、それまで地形が険しく道が途絶え舟に乗り換えていた区間を、幕命をうけた松前藩によって山越郡と虻田郡の境を越える礼文華、弁辺等の山道(国道37号静狩峠の前身)が開削され、渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る陸路が繋がっている。
江戸時代後期、国防のため寛政11年虻田郡域は天領とされ、後に蝦夷地各地に馬を供給する馬産牧場であった有珠・虻田牧場が開かれ馬頭観音碑が入江地区に建立されている。また、虻田場所請負人和田茂平によって文化元年には恵比須神社が、文化4年には稲荷神社が建立される。後世、恵比須神社は稲荷神社に合祀されている。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり南部藩が警固をおこなった。
虻田郡域では古くから火山活動が盛んで、有珠山は寛文3年、明和6年、文政5年、嘉永6年と江戸時代だけでも頻繁に噴火しており、特に文政5年の噴火では火砕流によって虻田の集落が壊滅的な被害を受け多数の犠牲者を出し、有珠・虻田牧場も多くの馬を失う被害を受けた。慶応3年4月漁場請負人和田屋茂兵衛によって豊浦神社が創建される。1869年に北海道に11国86郡が置かれると、この地は胆振国虻田郡となった。
明治15年(1882年)2月8日、廃使置県にともない虻田郡は札幌県の所管となる。1897年に支庁制が施行されると室蘭支庁(1922年より胆振支庁)の管轄となったが、1899年に倶知安村が岩内支庁に移管された。1910年に岩内・寿都・小樽の三支庁を後志支庁に統合する際、虻田郡の一部がこれに編入された。
「虻田」の由来については虻田町の項目を参照。なお、「虻田」の「虻」の字は常用漢字に加える予定はない。
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