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長崎市(ながさきし)は、九州の北西部に位置する都市で、長崎県の県庁所在地である。国から中核市に指定されている。中国風に崎陽(きよう)と呼ばれることもある。
古くから、外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の貿易港出島を持ちヨーロッパから多くの文化が入ってきた。外国からの文化流入、坂の多い街並みを持ち、他の都市とは違った景観を持っている。また、長崎県下最大の人口を持つ長崎の中心都市である。
市域面積の13.1%である市街地に人口の約78%が住み市街地の人口密度は、7900人/km²と市街地人口は非常に過密である。
目次 |
鎖国体制であった江戸時代には、国内唯一の江戸幕府公認の国際貿易港(対オランダ、対中国)・出島を持つ港町であった。このため、出島跡を初めとして、異国情緒に満ちた港町として有名である。歴史的経緯からキリスト教徒の数が比較的多いことでも知られており、とくにカトリック教会は長崎県単独でひとつの教区を形成している(東京教区は東京と千葉で構成)。
また、実戦で使用された核兵器(原子爆弾)としては広島市に次ぐ世界史上2番目の、そして現時点では最後の被爆都市としても知られる。「近隣の核武装国による核攻撃を想定するのは、他国に誤解を与える」との信念の下で、全国自治体の中では唯一、国民保護計画案から、他国より核攻撃想定される事態の想定をあえて削除している(2007年5月11日 市長発言)。なお、長崎県は計画案の中で核攻撃への対処事項を記述している。
2005年の国勢調査による人口は男209,250人、女245,956人、人口性比85.1であった。また、日本の全都道府県の県庁所在地の中で人口性比が一番低い。
| 長崎市と全国の年齢別人口分布 | 長崎市の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 長崎市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
長崎半島および西彼杵半島を市域とする。諫早市、西海市、西彼杵郡時津町・長与町に隣接する。 市の形状は全国的に見ても数少ない「すり鉢」状となっている。市の中心部は三方を山に囲まれており、女の都(めのと)・三原・本原・西山・片淵・小島(こしま)・稲佐(いなさ)・小江原(こえばる)・西町・滑石(なめし)など住宅地の多くは山の斜面を利用している。そのため「階段の街」「坂の街」として有名である。坂が多いため自転車に乗る人は少なく、他都市でしばしば問題になる放置自転車などの問題は少ない。その代わり原付バイクが多くナンバープレートの登録番号が5桁になっている。理由は坂の多さもあるが、これに加えて幹線道路から離れると転回どころか車が2台交差するのも難しい程道路の幅が狭い道が少なくないため、幅を取らず小回りの効く原付バイクの利便性が高いという事情があるからである。また、「自転車屋」を名乗りながらも原付バイクだけを扱う店も多い。
市の中心部を流れる川には、北部から南下し長崎港へ注ぐ浦上川と、市の北東部から長崎港へ注ぐ中島川とがある。それぞれ川沿いにわずかな平地と埋立地があり、商業地や公共施設はそこに集中する。
長崎港の外海は五島灘や橘湾に面しており、急峻な海岸線が多いが、河口部などのわずかな平地に漁港と集落が点在する。
北西部の三重・畝刈地区や東部の矢上・かき道地区などは近年開発が進み、住宅地が増えた。
2005年1月4日の市町村合併では、長崎半島西南部や有人島の離島である伊王島・高島・池島、石炭産業の衰退で無人島となった端島(通称:軍艦島)が編入合併された。さらに2006年1月4日の市町村合併では大村湾沿岸の旧琴海町が編入合併された。
2005年12月11日に、長崎港の両岸の女神地区、木鉢地区を結ぶ「女神大橋(通称:ヴィーナスウィング)」が完成した。これは中央径間長が480メートルに達し、全長は1289メートルで、斜張橋としては横浜ベイブリッジを上回って全国第6位の長さとなる。将来的に長崎自動車道と接続され、長崎市街地南部一円を循環する長崎南環状線の一部となる見通しである。
ダムは浦上水源地・本河内水源地・鹿尾(かのお)ダム・神浦ダムなどがあるが、市街地に近い水源では環境が悪く、上水道事情はあまり良くない。また斜面が多いために下水道の整備も目下進行中という状況である。
長崎の地名は現在の市役所付近を根とし県庁付近までの長崎御崎に館を構えた九州長崎氏に由来するとされるが、その長い御崎を居としたから九州千葉氏本家が長崎氏を名乗ったとの説も有力である。 町名は長崎市の地名参照。
年間平均気温は17.4℃、年降水量は約1,678mmである。暖流の影響が強く、九州の他都市に比べても寒暖の差は小さい。 昭和50年代までは雪が積るほど降ることも多かったが、最近では雪はあまり降らない。
長崎のご当地ソングには雨が登場するものが多いため、長崎は雨が多いと思われがちだが、年降水量が突出して多いわけではない。長田暁二によると、長崎のご当地ソングで雨が初めて登場するのは1939年の「長崎物語」で、同曲や1947年の「雨のオランダ坂」のヒットにより、長崎と雨が結びつくようになったのではという[1]。
※行政区域の変遷は別記。
長崎海防掛として大村藩の九州長崎氏血族の中村喜八郎を組頭に近隣諸藩より長崎永代勤番耳役として長崎十人組を組織し幕末の1857年、外国人居留地を建設するために大村領戸町村が幕府に没収されたが、この時までは上記の体制が続いた。
※行政区域の変遷は別記。
詳細は「長崎市長」を参照
長崎市の商業地区は大きく4つに分けられる。九州では福岡市に続き、熊本市と並ぶ市場の大きさである。[要出典]
眼鏡橋などといった文化財が多く、また路面電車が走っているので移動は非常に便利である。長崎駅付近にはバスターミナルもある。 大規模アーケード商店街である浜町アーケードや夢彩都、アミュプラザ長崎など大型複合商業施設が多い地区である。 高層建築物が多く、長崎港は開発が進みアジアからの日本の玄関口として賑わいを見せている。長崎県庁舎、長崎市庁舎も立地し商業の中心であり、長崎の政治の中心でもある。
この付近は、原爆落下中心部であり、原爆資料館や平和公園がある。 地元バス会社が経営するみらい長崎ココウォーク(バスターミナルと合体している)が2008年にオープンし、 多くの観光客を迎える玄関口となった。 近くには長崎新聞社や長崎文化放送など地元メディア局や、ブリックホールなどといった文化的施設も多い。
長崎本線西浦上駅を出ると、2つの商店街、中園商店街とサンモール住吉がある。付近は再開発が進み高層マンションや商業施設が立ち並んでいる。長崎大学の文教キャンパスにも近いため、学生向けの店やアパートなども多い。 10月10日-13日には、住吉くんちがあり、毎年のように賑わいを見せている。中心部からは比較的離れているが交通量は多い。路面電車の終点赤迫駅は住吉地区の隣りである。
大規模の町ではないがジャスコなどの商業施設が存在する。また鉄道路線はないため、バスが唯一の公共交通機関になっている。
近くに長崎自動車道長崎芒塚ICやペンギン水族館がある。
ほか
※下記各社の記事を参照。
※以上の「史跡」「重要文化財」は国指定の史跡及び重要文化財を指す。
1900年に大和田建樹によって作詞された『鉄道唱歌』第2集山陽・九州編では、長崎はこの歌の終点の地となることもあって、5番を割いて歌っている。
原爆関係
その他
公式
観光
その他
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