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黒柳徹子 | 百科事典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

くろやなぎ てつこ
黒柳 徹子
別名 トットちゃん
生年月日 1933年8月9日(76歳)
出生地 日本の旗 東京府東京市赤坂区乃木坂(現・東京都港区乃木坂)
大田区北千束育ち)
民族 日本人
血液型 A型
ジャンル 女優タレント司会者エッセイスト
活動期間 1954年 -
文学
Lit.jpg
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社文芸雑誌
文学賞
作家
詩人小説家
その他作家

黒柳 徹子くろやなぎ てつこ1933年8月9日 - )は、日本女優タレント司会者エッセイストユニセフ親善大使、平和運動家である。血液型はA型。愛称は「トットちゃん」「チャック」

日本のテレビ放送開始以来50年以上にわたり第一線で活躍してきた、日本テレビ史を代表するタレントの1人である。30年以上続く日本初のトーク番組『徹子の部屋』の司会や、累計750万部を誇る戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる。

目次

略歴

生い立ち

東京府東京市赤坂区(現・東京都港区乃木坂生まれ。大田区北千束町で育つ。名前は、両親たちが男の子が生まれると思い「徹」と名づけていたのだが、実際は女の子が生まれたため「子」をつけて「徹子」とした。また、「黒柳」とサインを書くときには柳の異体字である「栁」を使う。

父は音楽家で、NHK交響楽団コンサートマスターも務めたヴァイオリニスト黒柳守綱(旧姓田口)、母はエッセイスト黒柳朝。弟はヴァイオリニストの黒柳紀明、妹はバレリーナでエッセイストの黒柳眞理、伯父には日本ニュースニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。

第二次世界大戦中は青森県三戸郡南部町疎開していた。トモエ学園香蘭女学校卒業。慶應義塾大学文学部中退。 1952年東洋音楽学校(現・東京音楽大学声楽科を卒業した。その後ニューヨークに留学。

マルチタレントとして

NHK放送劇団文学座研究所を経て女優デビュー。テレビ誕生とともに生まれた日本初のテレビタレントにして、50年以上にわたりテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けている唯一のタレントでもある。放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」、「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などの失言を繰り返したのにも関わらず合格出来たという。

以降声優、女優、司会者として現在もなおテレビで活躍するほか、毎年舞台に立ち続けている。また「窓ぎわのトットちゃん」などの著作もある。

社会貢献活動・福祉活動

芸能活動以外にも、国際連合傘下のUNICEF(ユニセフ、国際連合児童基金)親善大使としての活動が特に知られる。親善大使には1984年就任し、現在最古参のメンバーである。親善大使としての活動に対して、ユニセフからは、1985年に「第1回ユニセフこども生存賞受賞」、2000年に「第1回ユニセフ子どものためのリーダシップ賞」を、また日本政府からは、2003年に勲三等瑞宝章(現在の瑞宝中綬章)を授与された。

その他、社会福祉法人「トット基金」理事長、社会福祉法人「あゆみの箱」理事、日本ペンクラブ会員、世界自然保護基金ジャパン顧問、ちひろ美術館・東京館長、東京フィルハーモニー交響楽団副理事長、日本チャップリン協会名誉会長、日本パンダ保護協会名誉会長、としても活躍している。1985年に、ポーランド政府からコルチャック賞を贈られた。

また、これらの関係から大阪のジェネリック医薬品メーカー・東和薬品のTVCMが制作される際にCMイメージキャラクターに抜擢され、現在もなお継続して出演している。

エピソード

若手時代

  • 文学座研究生の出身だが、正座員には、宮口精二の反対で採用されなかった。
  • 本人の談によると、NHKの試験放送で顔の左右を青白に塗り分けて撮影されたという。当時実験段階であったカラー放送の試験撮影のためであり、その様子は斉藤由貴主演の映画『トットチャンネル』(1987年)でも再現された。

交友関係

  • 劇作家・飯沢匡を師と慕い、飯沢没後も飯沢のことを話す際には必ず先生付けで話している。
  • 歌手の三浦洸一は東洋音楽学校(現・東京音楽大学)の同級生。
  • 元NHKアナウンサーで女優の野際陽子とは、NHK専属女優時代からの40年来の友人。同じデザイナーに服を作ってもらったり、プライベートでの時間をたくさん共有していた。
  • 直木賞作家向田邦子とも親交が深かったことで知られる。
  • 1980年代までは黒柳が司会を担当していた『ザ・ベストテン』(TBS系)と並ぶ音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の芳村真理とは犬猿の仲ではと伝えられていたが、実際はこの2人も1960年代頃からの40年来の親友に当たる。黒柳・芳村のほかに、うつみ宮土理楠田枝里子を加えた4人については相互に親交があり、ライバル視など全くしていない。
  • 女優・柴本幸とは、文通しあう間柄で柴本が幼い頃から手紙のやり取りをしている。

渥美清との関係

  • NHK『夢であいましょう』で共演した渥美清と関係が深い。
    • 共演当時、熱愛疑惑が持ち上がったことがある(本人談)。
    • 渥美は1979年1月3日の『徹子の部屋』にゲスト出演している。これが最初で最後だが黒柳はその後何度も渥美に出演を依頼したものの渥美は何度も拒否していたという。
    • 渥美の死去が公表されたのは黒柳自身の誕生日である8月9日
    • 映画『男はつらいよ』最終作のマドンナ役に選ばれる予定だった。
    • 第47作では山田洋次に撮影現場を見に来てくれと言われて訪問している(BSスペシャル 渥美清の寅さん勤続25年より)。
    • 1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」に出席。渥美の特集番組「渥美清の伝言」、「渥美清の肖像~知られざる役者人生」にも出演。
    • プライベートでも仲が良く、普段は「お兄ちゃん」と呼んでいたが、そんな黒柳でさえ渥美の自宅や連絡先を知らず、渥美の家族にも「お別れの会」で初めて会ったと言う(生前の渥美はプライバシー秘匿を徹底していたため)。その後渥美の妻とは、現在でも親交があるとの事。(2006年12月の徹子の部屋より)

タモリとの関係

  • タモリとの関係も深く、黒柳はタモリの知名度を上げるきっかけを作った人物の一人でもある。
    • タモリが赤塚不二夫に連れられ、テレビ朝日の生放送番組『赤塚不二夫の世界』に出演し、インチキ牧師を演じていたところを、番組を見ていた黒柳が「今の人、誰? すごいじゃない」とテレビ朝日にいる赤塚宛に電話を入れ、ぜひ『徹子の部屋』に出て欲しいと出演依頼を行った(タモリの初出演は1977年8月11日)。これ以来、タモリは『徹子の部屋』の年末最後の放送にゲスト出演するのが恒例となっている。また、黒柳はタモリの家にタモリが振舞う料理を食べに行くこともあり、食べた料理は写真に残すようにしている。
    • 1984年3月14日放送のフジテレビ系列『笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演した際に、“43分間しゃべり続ける”という伝説を残した。そのため放送時間が無くなり、「テレフォンショッキング」の後に予定されていたレギュラーコーナー二つのうち一つを潰さなければならなくなり、双方の司会担当者がじゃんけんをして、潰す方を決めた。時は経ち2005年12月16日に21年ぶりに登場し、またも放送時間内で39分間しゃべり続けた。
    • 1998年までフジテレビの番組には殆ど出演せず、それ以降も5回程度しかフジテレビ系列の番組に出ていない。タモリが出演する『トリビアの泉』には事務所の人に「出たい」と願い出て出演した。
    • 2006年2月22日放送の『トリビアの泉』において「『徹子の部屋』で美少女戦士セーラームーンコスプレをしたことがある」、「30年以上いつもノーブラで過ごしている」と2本連続で紹介され、検証VTRに本人が登場して事実と認めた。

「ザ・ベストテン」

  • 久米宏と『ザ・ベストテン』(TBS系)で共演した過去があることから、2004年3月まで放送されていたテレビ朝日系の久米宏司会『ニュースステーション』に、UNICEF親善大使として毎年ゲスト出演していた。
  • ヨーガが得意で、「ザ・ベストテン」では着衣のまま水中浮揚を披露したこともある。
  • 近藤真彦のファンであり、芸能界の母親代わりを自認している。
  • 黒柳の話が余りに長くなると、久米が強引に話を打ち切り歌や中継に振る事も多かったが、若林正人のようにこの事で久米批判はしていない。

「世界・ふしぎ発見!」

  • 日立 世界・ふしぎ発見!』(TBS系)などのクイズ番組の書き問題時には、必ずと言っていい程答えを縦書きで書き、衣装は着物姿で出演する。
  • 正解率の低い野々村真と解答が同じになると露骨に嫌な顔をする(もちろんネタであり本心ではない)。また、一度自身だけが不正解になった事があり司会の草野仁から感想をもとめられ「不愉快です!」と嫌悪感を表したエピソードがある(これもネタであり本心ではない)。また、3択を苦手としている。
  • 番組の問題製作者が図書館で参考にした資料(本)を本棚に戻したところ、直後に黒柳徹子がその本に手を伸ばした、というエピソードがある。

「徹子の部屋」

  • 2006年、第54回菊池寛賞を受賞。受賞理由は「30年間休むことなく良質な対談番組を送り続けている努力」に対して。
  • 2006年7月10日放送の回では、ゲストの春風亭昇太が前回出演した際、ソフトボール部に所属していた話をするが、黒柳がソフトボールというスポーツそのものを理解できず、話が先に進まなかったVTRが放送された。
  • ジャイアント馬場がゲスト出演した際にヒンズースクワットをすすめられ、現在も毎日行っている。馬場はこれからわずか2ヵ月後に亡くなり、黒柳は「スクワットは馬場さんの遺言」と言っている。
  • 7月と12月に亡くなった著名人を追悼する特集を行っている。
  • 様々な俳優、文化人の才能を引き出すトークがある一方、お笑い芸人がゲストの時には、芸人がネタを見せた際「おもしろい!」と一人喜んでいつまでも出演した芸人のネタの披露をやめさせないこと、またゲストがトークに入る前に開口一番「今日は何か面白い話をして下さるんですって?」とわざとトークのハードルを上げること等がある。

その他テレビ出演時の話

  • 1970年関口宏に替わり「ステージ101」(NHK)の司会を半年ほど務めたことがあるが、そのときはヤング101のメンバーに合わせて、ミニスカート姿で番組に参加していたことがある。
  • 大のパンダファンとして知られ、『わくわく動物ランド』(TBS系)でパンダ特集の回にゲスト出演したところ、5問全問正解した。
  • 舞台女優としても活躍しているが、海外の喜劇が多く、『徹子の部屋』のホステスとして、彼女自身のイメージを壊さないための配慮でテレビドラマ出演はここ20数年ない。しかし、例外的に2001年10月5日放送の『OLヴィジュアル系 完結編!!』(テレビ朝日系)、2007年2月11日放送の『和田アキ子殺人事件』(TBS系)には本人役で出演した。
  • 「年に1、2回しかパチンコに行かない」と語っている(但しかつてはまったくパチンコとは無縁の生活を送っていた)が、テレビ朝日系の正月の特番での和田アキ子とのパチンコ対決では、パチンコ常連である和田に何度も勝利している。
  • 2006年5月17日放送の『ドリーム・プレス社』のロケで自由が丘を訪れた際、天丼カツ丼は今まで一度しか食べた事が無いと告白。この時、人生二度目の天丼を食べ、2008年1月6日放送の『旅の香り〜四季の名宿めぐり〜』で、人生二度目のカツ丼を食べた。また2007年1月26日放送の同番組では、親子丼は25年前に一度食べただけと発言し、番組内で作られた人生二度目となる親子丼を食した。
  • 2007年3月10日放送の『チューボーですよ!』にて、「鯛茶漬けを食べた事も無ければ、料理も初めて」と言いつつ司会の堺正章よりも上手に鯛の処理をやってのけた(結果は3つ星)。この放送では黒柳はいつものように周りの会話を無視するようなマイペースさを見せ、堺を振り回す格好になっていた。
  • 2007年9月6日放送の『ちちんぷいぷい』(毎日放送)において、収録されたインタビューで、「人生の中で2度結婚しようかと思ったこともあったが、タイミングなどの関係で結局結婚にまで至ることはなかった」と本人が語っている。また、「結婚していれば、それはそれで人生が違っていたかもしれないが、結婚していなかったから、今のような自由な芸能活動を送ることができた」とも言っている。

その他

  • 1982年園遊会に招待され、昭和天皇に『窓ぎわのトットちゃん』の説明をしたところ、「非常にお売れになって」と言われた。この一言により、まるで天皇に自著の自慢をしているように映ってしまい、周囲から大爆笑され、本人は照れ笑いを浮かべるほかなかった。
  • その形状から「タマネギ頭」と称される髪型もよく知られているが、大好きなマリー・アントワネットの髪型をモデルにしていると話している。
  • 放送のハイビジョン化が進むとハレーションが使えなくなるので、その時には引退するつもりである、と発言している。
  • 過去の番組で1番好きだったのは『世界・ふしぎ発見!』の共演者である草野仁が司会で、日本テレビ系列で1993年4月から2007年9月にかけて約14年半生放送されていた『ザ・ワイド』であり、開始当初から毎日欠かさず見ていたという。スケジュールの都合上、昼間に自宅に帰れないときは必ずビデオに撮ってあとで見ており、最終回のVTRコメント出演では「一番の熱心なファンと思っていただいていいと思います」と語っていた。
  • 司会者でも有数の「鼻濁音の使い手」として有名である。
  • 愛車は、トヨタプリウス
  • 自身がLDの計算障害・読書障害である可能性に言及した。台本を読んでも台詞が覚えられないなど、具体的なエピソードを交えて説明している(『小さいときから考えてきたこと』新潮社 2004年)。
  • 著書である『窓際のトットちゃん』の印税で、アメリカの聾学校の生徒たちによる劇団「デフシアター」の日本公演を経済的に支えたことが知られている。黒柳自身も手話を使うことができ、本人役で特別出演した映画アイ・ラヴ・ユー』でも手話を披露している。
  • 日本チャップリン協会大野裕之会長)の名誉会長を務める。

主な出演

テレビ番組

レギュラー出演

単発・特番

声の出演

CM

舞台

著作

単著

  • 『チャックより愛をこめて』(1973年、文藝春秋
  • 窓ぎわのトットちゃん』(1981年、講談社
  • 『黒柳徹子の動物劇場1』(1983年、話の特集
  • 『黒柳徹子の動物劇場2』(1984年、話の特集)
  • 『トットチャンネル』(1987年、新潮社
  • 『トットのマイフレンズ』(1990年、新潮社)
  • 『トットの欠落帖』(1993年、新潮社)
  • 『トットちゃんとトットちゃんたち』(1997年、講談社)
  • 『小さいときから考えてきたこと』(2004年、新潮社)
  • 『不思議の国のトットちゃん』(2005年、新潮社)

共著

関連項目

外部リンク

先代:
(なし)
ザ・ベストテン司会者
初代~第4代
1978~1989
黒柳徹子久米宏
黒柳徹子小西博之
黒柳徹子松下賢次
黒柳徹子渡辺正行・柄沢晃弘
次代:
(なし)

This text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.  Last update: 2010年3月18日 12:45:07:JST

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