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『11PM』(イレブン・ピーエム)は、日本テレビと読売テレビ(当時は「よみうりテレビ」表記)の交互製作で1965年11月8日から1990年3月30日まで約24年半にわたって放送されていた日本の深夜番組であり、日本初の深夜のワイドショー番組でもある。
正式名称は『WIDE SHOW 11PM』(ワイド・ショー - )、略称は「イレブン」。開始当初は午後のことを「PM」(Post Meridiem)と呼ぶ概念がまだ薄かった時代であり、新聞のテレビ欄に『11P・M』と記載されていた。
番組概要
それまで視聴率不毛の時間帯と言われた深夜の時間帯の開拓に乗り出し、『モーニングショー』(NET = 日本教育テレビ、現・テレビ朝日)と同様に、アメリカの夜の情報番組をヒントに企画された。現在では"お色気番組の元祖"的なイメージが持たれるが、ごく初期は週刊読売編集長だった山崎英祐が司会を務め、時事問題についての考察を述べる日本テレビ報道局制作の硬派番組だった。しかし、視聴率が全く取れなかったことから方針を転換、テコ入れを施した結果視聴率も上昇し、深夜の時間が定着する。
毎週月曜・水曜・金曜は日本テレビが、火曜・木曜は読売テレビが制作。日本テレビでは大橋巨泉、愛川欽也、読売テレビは藤本義一(作家)が主に司会を担当し、お色気から硬派な社会問題まで幅広く取り上げた。中でも木曜は系列各局を回りながら、その土地の名物や風俗を探訪する企画を、また金曜には週末情報の色合いを強め、釣りや麻雀のコーナーを放送していた。
当初は月〜木曜日はタイトル通り午後11時ちょうどのスタートで、金曜日のみ『日本プロレス中継』または『金曜夜席』の放送があったため、午後11時15分スタート。1954年10月に、既に開始されているNNN最終版ニュース『きょうの出来事』を挿入した。後に『きょうの出来事』は午後11時ちょうどに放送時間が移動して再び独立し、『きょうの出来事』の放送時間の拡大が進むにつれ、『11PM』は放送時間が午後11時10分→11時15分→11時20分→11時30分(金曜は『TVムック・謎学の旅』が入ったため午後11時45分)というように放送時間が繰り下がり、変化が進んでいく。いちばん遅いのが末期の頃で、午後11時55分スタートとなり、タイトルにもふさわしくなくなってきた。プロ野球中継(巨人戦)の時間延長やゴールデンタイムの特別番組の影響で午前0時台にスタートしてしまうことも少なくない。最も遅く始まった回は、1988年7月26日放送の火曜イレブンで、日本テレビが中継したプロ野球オールスターゲームの放送が1時間延長されたため午前0時55分からスタートした。また、午後11時15分スタートの時代にはタイトルロゴに『+15』が、午後11時20分スタートの時代には『+20』が付加されていた。
基本的にこの番組は生放送だったが、状況によって収録の場合もあったといわれ、例えば末期の金曜レギュラーの吉田照美が日刊ゲンダイの短期連載で記したところでは、本番数時間前の夕方に"疑似生放送"形式で収録することが多かったとのことである。
テーマ音楽について
シルエットのラインダンサーが踊るアニメーションをバックにしたスキャットによるオープニングテーマ、エンディングテーマは共に三保敬太郎の即興作曲によるもの。正式なタイトルは『11PMのテーマ』。
録音には2バージョンあり、オリジナルはクラシック出身の益田順平・睦美夫妻によるもので「パー!サバダバ」ではなく、「イー!サバダバ」と歌っており、大阪イレブンでは番組終了までこちらのバージョンが使用された。「パー!サバダバ」のバージョンは番組開始1年後に再録されたもので、男声のパートは岡崎広志(岡田愛詩)、女声のパートは伊集加代による。最終回(1990年3月30日放送)は「イー!サバダバ」のバージョンだった。
1980年、3人の女性グループ「あらん・どろん」が『ウィ!シャバダバ』のタイトルでカバーしたことから、近年はこちらが一般的なタイトルとして認知されることもある。あらん・どろんは金曜の大橋巨泉司会時代に顔出しをしてテーマ音楽を担当していた時期がある。通常のテーマ曲の後、別の歌詞での歌が入る。
2000年には「パー!サバダバ」バージョンによるオープニング、エンディングテーマ(各21秒)に加え、新たな編集によるロングバージョン(1分9秒)を加えたCDが発売された(バップ 規格品番:VPCD-82136)。「イー!サバダバ」のスキャットが含まれたオープニングテーマは1966年に日本ビクターから発売された「ミュージック・フォー・11P.M.」にて音盤化(演奏は猪俣猛オールスターズ。歌手名は表記なし)。2001年に発売されたCD「60'sTVヒッツ・コレクション」(テイチク 規格品番:TECD-25463)に収録されている。
1999年、NHK-BSの司会者を特集する番組でOPが放送され、徳光和夫が「まさかNHKでこの曲が流れるとは思わなかった」と感想を述べた。
テーマバックアニメーション
- オープニングでは時計が6時ちょうどから11時ちょうどを差し、時計の真ん中の丸が地球になり、地球から電波が発信し、地球が塗りつぶしの丸(切れ目がある)になり左右に動き、ラインダンサーが踊る姿、女性の裸体が描かれ、11PMの文字をかたどった星座が出て最後には"WIDE SHOW 11PM"となって登場する。
- テーマ音楽、テーマバックアニメーション共に第1回から番組終了まで使われた。だが番組初期のアニメーションではラインダンサーの数は3人ではなく15人以上であり、また乳首を露出して横たわる女性の裸体は登場していない。またこの時期のテーマ音楽のラストは「ドゥワー」は無かった。
- エンディングでは地球が現れ、地球から電波が発信し、その後逆になり、地球が爆発する。次に女性の裸体が描かれラインダンサーが踊る姿の後11PMの文字をかたどった星座が出て"WIDE SHOW 11PM"となり、最後に"The End"の文字がズームアウトしていく。
その他特記事項
- 当初は時事ネタ主体のワイドショーで、途中に月曜から金曜までの全曜日で放送されるミニコーナーを挿入するというスタイルだった。その後、各曜日が独立した形式に変化するが、おおむね東京はマガジン形式を採っていたのに対して、大阪はトークショーとドキュメンタリー主体だった。また、大阪担当の木曜は時折ネット局各社との共同制作となり、藤本等司会者が日本各地に出張して放送された。内容は大抵が「○○県の風俗」となっていたが、ここで言う「風俗」とはどちらかといえば「民俗」に近い、真面目な物が多かった。
- 由美かおるは1966年、大阪イレブンのショーコーナーに15歳でレギュラー出演し一躍有名になった。このコーナーを見た石原裕次郎が自身の映画に由美を出演させたのは有名なエピソードである。
- 基本的にはローカルセールス枠だったが、サントリーやトヨタ自動車、資生堂などの生コマーシャルも挿入されていた。読売テレビ製作分では必ずバーテンダー役の野村頻紹が登場し、藤本義一に「今日のお酒はこれです」とサントリーのウイスキーを持ってきていた。なお、後期に村野武憲と吉田照美が司会を担当した日本テレビ制作の金曜イレブンでは、この役を、当時全日本プロレス引退後の大仁田厚がやっていたことがある。トヨタ自動車のコマーシャルは実際はコマーシャル前のアイキャッチで、カバーガールがトヨタ車に寄り添いポーズを決めるといった物だった。また、晩年は生コマーシャルはトヨタから日産自動車にかわり、発売されたばかりの「エスカルゴ」や「セフィーロ」などが登場した。
- 新聞などの番組欄にはその放映時期の大半の時期にサブタイトルがついていた。その直前の時間帯の『きょうの出来事』は企画ニュース枠が常設されていなかったことなどから、当時サブタイトルがなかった。内容は性的なものを連想させる惹句が多かった。お色気番組の元祖とも呼ばれるが、時には性的なものとほど遠い内容のこともあり、大橋巨泉が担当した金曜イレブンと所ジョージが担当した水曜イレブンはいずれもお色気色が一切無かった。
- 節目ごとに「○○周年記念祭」のスペシャルがあり、巨泉・愛川・藤本の3人やレギュラー出演者が一堂に会した。過去に、8周年・10周年・15周年・20周年に行われた。司会は徳光和夫で『11回忌法要スペシャル』でも会場の司会進行をしている。
- 稀に月曜・金曜のプロ野球・巨人戦ナイター中継が、月曜は公開生放送の「NTV紅白歌のベストテン」「ザ・トップテン」、金曜は「太陽にほえろ!」が優先されたため編成都合上ゴールデン枠での生中継が出来ないことがあったこと、また1980年代に開催された北海道遠征は平日のデーゲームで開催されたことから、その場合『11PMナイター』と称して録画ダイジェスト中継が行われた。また、日本プロゴルフ選手権大会の開催日にも予選ラウンド2日間を録画中継したことがある。これは後継番組の『EXテレビ』でも同様だった。
- 1972年から1975年まで全日本女子プロレスの録画中継も年4回の割合で行った。全女の中継はフジテレビの『全日本女子プロレス中継』が有名だが、当時は11PMの方が放送回数が多く、赤城マリ子は11PMをきっかけに人気レスラーとなった。また全女の後楽園ホール初進出も1973年5月30日放送分であった。
- 2012年1月、ホームドラマチャンネルで、愛川欽也が司会を担当した水曜日のみ「愛川欽也セレクション」として1978年、1982年、1983年の放送分から6本が再放送された(権利関係により一部の音楽の使用部分をカット)。スカパー!で同番組が再放送されるのは初めてのことである。番組の始めと終わりに、愛川欽也と朝倉匠子の二人が当時の思い出を語る数分のトークが追加された。
代表的な企画
- 海外ロケ
- 当初は小島や巨泉があまり知られていない海外(主にヨーロッパ)を旅して紹介するものだったが、かたせや秋川などの女性アシスタントのグラビアシーンも取り入れられた。また、ロケ地の夕陽の映像を必ず撮影していき、そのシーンを紹介したコーナーもあった。
- 趣味企画
- ゴルフ、ボウリング、フィッシングなどを紹介していた。また、「麻雀実践教室」というコーナーもあり、麻雀番組の走りとなっていた。ハウス食品とのタイアップによる「イレブンクッキング」のコーナーもあった。いずれも金曜の名物企画である。
- イレブンダービー
- 競馬に見立てた双六ゲーム。一般視聴者が電話で参加し1対1で競われた。いろは順のイ - ヌ×1 - 10の数字に構成されたパネル100枚の中から交互に1枚ずつ選び、書かれた数字分だけ進む。ただし、マイナスも隠れており、選んでしまった場合は数字分だけ戻らなくてはならない。また、「落馬」というものもあり、この場合はその時点で失格となる。先にゴールした視聴者が勝ちとなった。金曜のみ。『スーパークイズスペシャル』に巨泉がゲストで出演したとき、巨泉の司会で、番組出場者が参加する形にしてこの企画の復活版が行われたことがある。マス目を示すボードには「イレヴンダービー」と記載してあった。
- 異色対談
- 違う世界の大物著名人に、予備知識なしで対談するという企画。林家三平とオノ・ヨーコ、輪島功一と金子光晴、竹村健一と五味康祐など様々な対談があった。
- 巨泉・考えるシリーズ
- 月曜イレブンの名物企画。お色気企画が多い中で、硬派な社会問題を特集した。1972年5月15日の沖縄本土復帰前の「沖縄で君は何を見たか」(1972年3月13日放送)、1985年に起きた11歳の少年投身自殺事件(「マー先のばか」と書かれた遺書)や、政治・事件・事故など数々の社会問題を取り上げ、1972年5月9日に第9回ギャラクシー賞・放送批評家賞を受賞した。『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』はこのシリーズの「世界の福祉特集」が発展し誕生した。
- 臨時ニュースの挿入
- 1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故の挿入ニュースが愛川欽也担当の水曜の生放送で伝えられた。ワイドショーの特性を生かしたニュース性も強かった。
- UFO・超能力特集
- 1970年代中盤以降、月曜イレブンにて年に数回、UFOや超能力に関する特集が組まれた。
- 久里洋二のミニミニアニメーション
- 1966年から1982年まで、月曜イレブンのコーナーとして800本近いショートアニメが放送されていた。
- イレブンルーレット
- 1986年4月から9月まで、所ジョージが担当した水曜イレブンで放送。番組のセット自体が巨大なルーレットとなっており、電話による視聴者参加形式でルーレットゲームを行った。
- TIME GANG(タイム・ギャング)(読売テレビ製作)
- 1980年代半ばの火曜イレブンでは、構成に東京同様のマガジン形式を採り入れ、特に「TIME GANG」のサブタイトルを付けて放送した。司会進行は羽川英樹(当時・読売テレビアナウンサー)とタージンが務め、藤本義一はまとめ役に回った。ただし、バーテンダー役の野村頻紹との掛け合い生CMは引き続き放送した。後述する「秘湯の旅」はこのタイムギャングの一コーナーである。
- 裸のヨガ(読売テレビ製作)
- 火曜イレブンの名物企画。文字どおり、海岸で女性モデルが全裸(前が映るときはトップレス)でヨガのポーズを披露していた。
- 秘湯の旅(読売テレビ製作)
- 火曜イレブンの名物企画。「うさぎちゃん」と呼ばれた女性リポーターが全裸に近い状態で、数々の温泉を紹介した。「効能」という言葉もこのコーナーから広まった。
- 裸の報告書シリーズ
- ポール・モーリアの「オリーブの首飾り」のテーマ曲で始まる月曜イレブンのお色気企画。主にいそのえいたろう(風俗ライター)やカルーセル麻紀がリポーターを務め、トルコ風呂(現・ソープランド)などの性風俗産業の取材を行い、裏文化の仕掛け人の紹介をした。
- 紅白ストリップ合戦
- 全国から人気ストリップ嬢が集合し紅白形式に分かれ、"艶技"を披露する年末恒例企画。1974年12月30日には11PM史上最高視聴率をマークした。
- 夜のレコード大賞(読売テレビ製作)
- 年末企画。有線放送のデータをもとに審査され、大賞等が決定される。後に独立して『全日本有線放送大賞』と改称され、現在は『ベストヒット歌謡祭』として放送されている。
- 各界名士のど自慢
- 年内最後の放送の年末企画。政治家、社長、文化人などが歌を披露した。終了後も独立した特番として1993年頃まで続いた。
- 上方お笑い芸人紅白歌合戦(読売テレビ製作)
- 大阪発の年内最後の放送の関西芸人たちによる年末企画。司会は羽川英樹(当時、読売テレビアナウンサー)で藤本は審査員だった。
- CAR GUIDANCE
- 1980年代中期の金曜イレブンの企画。女性リポーターが新型車をメーカーを問わず紹介し、週によっては輸入車も取り上げたこともあった。
エピソード
- 企画段階では月曜から金曜まで全て日本テレビが制作する予定だったが、当時の日テレ内部では社員の労働超過が問題になっており、労働組合が猛反発。会社側が「日本テレビ制作は月・水・金曜の週3日とし、火曜と木曜は読売テレビに制作を委託する」という妥協案を出し、これを組合側が受け入れて番組が制作された。
- 放送開始当初は時事問題などを硬派に放送するニュースショーで、全く視聴率が取れなかった。日本テレビがテコ入れを図るため構成作家として大橋巨泉を招聘したが巨泉が「こんな番組やってたんじゃ、世間の支持なんかとれませんよ。何ならボクが変えてやるよ」と言ったことから、番組は当初とコンセプトを180度転換。巨泉は「やりたいことをやる」と主張。麻雀やゴルフ、釣りなど趣味をそっくりそのまま放送するスタイルを持ち込んだ。このことが視聴者に受け、またお色気もあることから「お父さんが夜更かしして観る番組」となり、大人気となった。大橋は当初初代の山崎時代に司会者ではなくレギュラーで登場し「巨泉のなんでもコーナー」の担当が実質的な初登場だった。巨泉は自身の主張通りに番組をやろうと4人ぐらいのタレントに司会を打診したが断られてしまい、親友の横田岳夫ディレクターから「巨泉、自分でやってよ」と頼まれたために放送開始の第2週目に結局自分でやることになったという[1]。これを機に巨泉はこれまでの放送作家から司会者に転身することとなり、その後TBS『お笑い頭の体操』や『クイズダービー』などの司会でも活躍した。
- また、本業は俳優でありながら、既にTBSラジオ『パックインミュージック』のパーソナリティーで人気が出た愛川欽也も、1974年に司会として登場。愛川も司会者として定着し、その後のフジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』や、現在も司会を手掛けているテレビ東京『出没!アド街ック天国』などでも活躍している。
- 番組リニューアル当初はバニーガールの女性アシスタントが番組を盛り上げており、初代キャスター・山崎は「11PMガールズ」と紹介していた。青少年に悪影響を及ぼすという理由でPTAからのクレームも付いたと言われている。その他、生放送だったために大阪イレブンを中心に放送してはいけない箇所が流れてしまうことも多く、1960年代後半から1970年代初頭にかけて大阪イレブンのレギュラーとして出演していたストリッパーの初代・一条さゆりはアンダーヘアを見せるまで脱ぐ「全スト」を売りにしていたためこういう事態が起きていた。また、大阪イレブンの企画「秘湯の旅」ではリポーターが全裸で雪の中に飛び込むなどの描写もあり、スタッフが警察から出頭要請を受けることも多かった。しかし、朝丘雪路の談によれば、スタッフ達は『11PM』には自信を持っていたため、出頭ではなく「喧嘩をしに行く」感覚だったという。
- 読売テレビ製作枠での最高視聴率は1973年12月に放送された「東西ストリップ合戦」で48%超だった。放送中アンダーヘアが見えそうだと感じたカメラスタッフは天井にカメラを向けて肝心な所を見せない行動で対していたが、視聴者には不評だった[2]。
- 当時から「ワースト番組」「俗悪番組」「エロブンPM」などと呼ばれ、PTAや世間から批判や抗議は多かった。1975年には日本共産党中央委員会委員長(当時)の宮本顕治から「ポルノ番組だ」と非難されたが、番組に自信を持っていたスタッフは耳を貸さなかった。一方、寺山修司や山本直純などの文化人からは評判が良く、作家の井上ひさしは1972年の雑誌の中で「最良のテレビ番組は『11PM』だ。そこには知恵があり、熱気があり、一生懸命テーマを出そうとする気概がある。これが面白くなくてなんであろうか」と絶賛した。なお、井上ひさしは日本共産党議長の不破哲三と共著の書籍を出したり、共産党系の教職員組合の全国教育研究集会に講演者として出席するなどしている。
- 明石家さんまが大阪イレブンのコーナーでテレビデビューをしている。「落語家の成人式」という副題で「SEXの四十八手以外に知っている技は?」という質問に「逆さ十文字落としでぇーす!!!!」と答えて司会の藤本義一から「テレビで言っていいことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責された。なお、この時落語家でありながら赤のタキシード姿で出演したのは師匠・笑福亭松之助の入れ知恵による。その後、さんまには大橋巨泉・愛川欽也降板後の東京イレブンの司会のオファーがあったが、考えた末に断ったと当時の本人のラジオで語っている。
- 1968年10月17日に、人気フォークバンドのザ・フォーク・クルセダーズが大阪イレブンの出演を最後に解散。メンバーの3人は明るい表情で出演し、北山修は「とにもかくにも今日でおしまいですけど、長い間ありがとうございました。また、なんかでもやると思います。」と挨拶した。番組のエンディングはいつものスキャットの曲ではなく、『悲しくてやりきれない』を全員で合唱してエンディングを締めくくった。後年、テレビ朝日系『報道ステーション』のフォーク・クルセダーズの特集でもその映像が紹介された。
- 名古屋テレビが一時期水曜を日本テレビと隔週で担当したことがある。また、月一回の割合で木曜の読売テレビ制作分も共同制作を行い、さらに土曜の増枠で毎週土曜イレブンを制作担当した。1973年、名古屋テレビはクロスネットの解消による日本テレビ系列からの離脱で制作を撤退しネットも打ち切り。代わりに中京テレビが土曜イレブンを短期間ながら制作担当した。
- 第一次オイルショックによる電力節減の一環として1974年1月7日以降在京5局での深夜放送が中止されることになった。裏番組としてTBSテレビで23時30分から24時30分に放送されていた『ぎんざナイトナイト』は24時までに短縮されるなどした。ただし、「24時30分を限度とする」とされたこともあり、『11PM』については現状維持のまま放送が継続された。しかし、在阪4局では「1月14日から24時以降の放送中止」の申し合わせがされたため、読売テレビのみ24時で『11PM』の放送が打ち切られた。その際24時直前に飛び降りポイントが設けられた。大阪イレブンについては24時以降は読売テレビ(近畿広域圏)での放送はしないものの日本テレビ及びネット局向けに制作・配信(いわゆる裏送り)された。在阪4局の申し合わせはその後24時50分に緩和されたため、5月27日からは通常の放送に戻った。第二次オイルショックの1980年から1982年も省エネ政策の一環で深夜放送が自粛されたが、24時45分終了が一つの目安とされたこともあり、この番組への影響はなかった。
- 金曜イレブンの2代目の司会者として巨泉が起用された当初は、彼のアシスタントは週代わりで女優・女性タレントが務めていた。その5週目に朝丘が出演、この際の両者のやり取りがスタッフにも概ね好評だったことから、そのまま朝丘が正式の金曜イレブンのアシスタント役として出演することになったと、1980年代終盤頃に放送された11PM特番内での同番組の歴史を辿る映像内でナレーションの徳光和夫が証言している。
- 巨泉と朝丘のオープニングの掛け合いである「野球は巨人、司会は巨泉の大橋巨泉と」「朝がまるで弱い朝丘雪路です」というやり取りは当時盛んにものまねの対象にされた。1999年の復活特番の際は、この年のプロ野球日本一がダイエーホークスだったため「野球はダイエー、司会は巨泉の大橋巨泉と」、「朝まるで弱くなくなっちゃった朝丘雪路」と自己紹介していた。
- エンディングでは、司会者が「明日は東京・日本テレビ(大阪・読売テレビ)からお送りします。おやすみなさい」のセリフで締めくくっていた。
- 読売テレビ制作分は、1988年8月2日の放送分から現社屋からの放送となった。
番組の終焉
1980年にテレビ朝日で『トゥナイト』がスタートすると、視聴率は徐々に低下していった。また、1983年にフジテレビで『オールナイトフジ』がスタートすると、それ以降徐々に大人向けの深夜番組が減って若者向けの深夜番組が多くなっていき、夜11時=深夜というイメージが薄らいでいったことも痛手になった。1985年には「ニュー11PM」と銘打ったリニューアルにより、番組の顔だった大橋巨泉と愛川欽也が降板し、日本テレビ製作分はそのテコ入れとして司会者を頻繁に交代させたり、若者向けバラエティ番組色を濃くしたりしたものの、視聴率はさらに低迷。1989年に番組の打ち切りが発表され、1990年3月30日をもって24年5カ月の放送にピリオドを打った。
出演者
※アルファベット3文字は制作局の略称を表す。
- NTV…日本テレビ
- YTV…読売テレビ
- NBN…名古屋テレビ
- CTV…中京テレビ
月・水・金曜日(NTV)
- 司会・アシスタント
- カバーガール
- ジューン・アダムス
- 沢知美
- 松岡きっこ
- ジュディ・アントン
- 池島ルリ子
- 樹れい子
- 沢田和美
- ナンシー・チェニー
- 秋川リサ
- かたせ梨乃
- セーラ(1979年 - 1980年2月) - 水曜日
- 中島はるみ
- サンドラ・ビショップ
- 木下裕子
- 藤田佳の実
- ドリーン・ボイド
- 浜野博子
- 清原美華
- 村上里佳子
- 飯島直子
- 岡本夏生
- 橘ゆかり
- 田島都
- 叶美香(カバーガール当時名玉井美香)
- 榎田路子
- 貴夜遊子(1986年) - 月曜日
- 小栗香織(1989年 - 1990年) - 金曜日
火・木曜日(YTV)
| 期間 |
司会 |
アシスタント |
| 火曜日 |
木曜日 |
火曜日 |
木曜日 |
| 1965.11.9 |
1969 |
藤本義一 |
安藤孝子 |
| 1969 |
市川靖子 |
| 1970 |
笹田泉 |
| 1971 |
1976 |
真理アンヌ |
| 1976 |
岸じゅんこ |
| 1977 |
多田千香 |
| 1978 |
東てる美
↓
横山エミー |
| 1979 |
テレサ野田 |
| 1980 |
1981.3 |
秋本圭子 |
| 1981.4 |
1985.3 |
松居一代 |
| 1985.4 |
1988.4 |
吉田由紀 |
| 1988.4 |
1988.9 |
藤本義一
桂べかこ1 |
藤本義一 |
(不在) |
遙洋子 |
| 1988.10 |
1990.3.29 |
池田裕子
↓
浦島三和子 |
- 藤本は全曜日中唯一の皆勤出演。
- 1 サブ司会として出演。
|
土曜日(NBN→CTV)
※全期間アシスタントは設置されていない。
ネット局
『11PM』はNNN系列外の局でも放送された一方で、オイルショックの影響や内容の過激さ、他系列ネットなどを理由に打ち切った系列局も多かった。ここでは各地区での放送状況を取り上げた。なお、後番組が『スポーツワイドプロ野球ニュース』(FNN・FNS系)扱いとなる局には★を付けている。『プロ野球ニュース』の系列外ネットは1994年3月で終了。
主なスタッフOB
パロディーなど
11PM 11回忌法要スペシャル
1999年(平成11年)11月11日、この日の日付に11が並んだこと、また終了からおよそ満10年(数えで11年)経ったことから「11回忌法要スペシャル」が日本時間午後11時37分から一夜限りでNNN30局で生放送され、大橋巨泉ら歴代の出演者をはじめ、有名芸能人が一堂に会した。メイン会場の司会進行は徳光和夫でサブ会場の司会進行は福澤朗。当時日本テレビのアナウンサーだった福澤は巨泉から「給料制か。フリーになって、ウチの事務所に来い」と突っ込まれていた。番組名物だったサントリーの生CMも再現された(CMの内容は「サントリーのワインで21世紀を祝おう」だった)。法要SPでは赤坂プリンスホテルのロイヤルホールでパーティー形式で開催され、過去の11PMの映像を振り返るトークを中心に、千堂あやかのストリップショーや爆笑問題の漫才などのイベントも行われた。番組の最後に巨泉、愛川、藤本の3人がトークし、日本のテレビ番組に対して苦言を呈していた。『11PM』現役スタッフだった菅原正豊率いるハウフルスが制作を担当した。
脚注
- ^ 巨泉が『いつみても波瀾万丈』に出演して語ったところによる。
- ^ 『11PM』読売テレビ版最終回での回顧録より
関連項目
| 日本テレビ系 月曜 - 金曜深夜枠 |
| 前番組 |
番組名 |
次番組 |
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11PM
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大橋巨泉 |
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| 現在放送中のバラエティ番組 |
-
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| 過去の出演テレビ番組 |
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| 過去の出演ラジオ番組 |
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| 関連項目 |
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所ジョージ |
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現在放送中の番組
(レギュラー番組) |
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現在放送中の番組
(スペシャル番組) |
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放送終了した
テレビ番組 |
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| ドラマ出演作品 |
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放送終了した
ラジオ番組 |
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| シングル曲 |
ギャンブル狂騒曲 - ムーン・ナイト・セレナーデ (月光夜曲) - 夢見るジョンジョロリン - いい加減にしろよ - Do!Do!Do! - TOKYOナイト&デイ - 寿司屋 (所ジョージの曲)- 寿司屋(生鮮魚介類小片付握飯量販店) - ほんとうにいい気持ち - ご心配なく - 正男という名で小学生 - 君と二人で - まったくやる気がございません - 銀座アンノン娘 - 明石家さんまさんに聞いてみないとネ - 私の名前で出ています - I've got a すんごいですね ROCK'N ROLL HEART - 正気の沙汰でないと - 恋のバックファイヤー - LAST NUMBER - 白いTシャツ - ブルーライトチャイナタウン - 故郷 - 世田谷のアラブ人 - 春一番の前 - 真っ暗な夜に - ラクダの商人 - 僕の犬 - 東京BIG CITY - わかんない2 - ブウェーのビヤビヤ - トンカチ - 農家の唄 - 歩いてみっか - 旅の犬
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| アルバム曲 |
ジョージ・ファースト 現金に手を出せ!! - ジョージのセロリ・パセリ - 成りさがり 大学ぐらいは出たかった - LIVE 追跡 - REVENGE OF HONG KONG 〜ホング・コングの逆襲 - みんな不良少年だった - FUEL ALBUM - PILE DRIVER - FROM TOKOROZAWA WITH LOVE 〜所沢より愛をこめて - BLUE LIGHT CHINATOWN - HEAVY LIGHT - NIGHT OF COYOTE 〜コヨーテの夜 - ホテル・チャイナタウン - 僕の犬 - ブタとダイヤモンド - 洗濯脱水 - LIVE 絶滅の危機 - DISH - 本物 - 安全第二 - コケコッコゥ!!〜七色の声色〜
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| 現在放映中のCM |
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| 関連人物 |
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| 関連項目 |
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