2010/02/13 - 西国の山城
記録によると、天文年間には十神山城主として、松尾遠江守・佐馬頭重長が城主であったといわれ、同時期には前記した八幡山には、城主・木戸民部少輔という武将がおり、安来港にそそぐ木戸川の開削工事も行ったという。 松尾氏についてはその出自は不明な ...
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2010/02/17 - 西国の山城
前稿「十神山城」で紹介した、当城主・松尾左馬頭重長の時代、十神山の薬師谷に薬師如来が祀ってあった。しかし、江戸期になって薬師堂が荒廃したため、上記写真に見える「西方寺」に移転されたという。残念ながら、その西方寺 の写真や薬師堂を撮ってい ...
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2010/02/19 - 西国の山城
解説 「十神山城」の稿で少し触れたように、天文年間(1532~53)十神山城城主が松尾遠江守や左馬頭(さまのかみ)重長のとき、前稿「愛宕山城(砦)」の南にあった社日山(八幡山)に、木戸民部少輔(主計頭(かずえのかみ))が砦の守将として任じ ...
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2010/02/09 - 西国の山城
古事記によれば、大穴牟遅神(大国主命)には、八十神といわれる多くの庶兄弟がおり、かねてからその才能をねたまれていた。因幡の旅の途次、気多の前(現在の白兎海岸か)で、白兎を救い、八上比売に求婚してこれを得たことなどから八十神たちの恨みを ...
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2007/04/10 - 城めぐドットコム
十神山城は室町時代松田備前守の居城であったが、尼子氏に攻められ落城。後に尼子十砦の一つとして活躍するが、永禄九年に毛利方に攻められ落城。
http://www.siromegu.com/castle/simane/tokamiyama/tokamiyama.htm
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